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春、はじまりのノート

あの、桜の日を覚えている?


ー巡なんてばかみてぇ。
ちっとも巡ってなんかいない。ただ同じところをグルグルしてるだけ。
この家の空気と一緒で俺の血もよどんでいる。
いっそ切って全て流してしまおうか。


はあ、はあ、はぁ。
息を切らし、教室へと向かう。

まだなじんでいない制服を鬱陶しく感じながら俺は三階の教室へと急いだ。

あれを見られたら、おしまいだ。
新生活早々、ヤバイやつ認定確定間違いなし案件。

一階から三階までほぼノンストップで駆け上がる。教室の前に着いた頃には心臓がバクバクと鳴り響いていた。

1-A。
そこが今日発表された自分が所属することになったクラスだ。

俺はぼんやりと取り付けられた白いプレートを見上げる。

今朝の母の言葉がふとよみがえる。

ーえ、ああ、そっか。今日だったよね。ごめんね、行けないけど。まあほら、入学祝い。これで夜、なんか適当に食べてね!

ゆっくりと足元から沈みそうな感覚。目の前の視界が白くぼやけそうなそのとき。

ガタガタ!強い風が吹き、廊下の窓が激しい音をたてた。その音で我にかえり、もう一度白いプレートを見上げる。

一刻も早く、あれを回収しなければ。

そっとドアに耳を当てる。
人の気配はなさそうだ…よし。
その事を確認して、ゆっくりとドアを開ける。

だがその瞬間、俺の頭に「絶望」の二文字が浮かんだ。

「あれ…君…。春野巡くん、だよね」

そこにいたのは今日、ともに入学式を迎えた同じクラスの…俺の後ろの席に座っていたやつだった。名前…名前はなんていったか。

「あ、まだ覚えていないよね。春日(はるひ)。春日愛(はるひあい)」
そうだ。担任が二人とも名字に同じ春の字が入っているなあ、なんて笑っていたっけ。

太陽のひかりなど浴びたことがなさそうな透き通りそうに白い肌を改めて間近に見て人形みたいだと思った。

いやそれよりも。春日愛の手元にあるノートに視線を移し、俺は言った。
「あの、それ。そのノート」
角がだいぶくたびれた感じになったモスグリーンのノートを指差す。
「それ、俺のなんだけど」

少しの間があって、聞こえてるのか?と不安に感じた頃、「ああ」とゆっくりとした動作で春日愛はノートを俺のほうに差し出した。

青白い、滑かな質感の手。
「床に落ちてたよ」
 「あ、ありがとう、ところでー」
ノートの中、見てないよな?そう聞こうとした瞬間、外の風が強く吹いて窓が激しく揺れた。

「すごいね、外。桜吹雪」
ぽつんと春日愛が呟く。
「あ、ああ。本当だな。じゃあまた明日」

とりあえずノートの回収というミッションが無事完了した。あえて中身のことは触れなくなくてもいいだろう。

俺はそう判断して、教室をでた。
出る瞬間、そっと後ろを振り返ると窓の外の桜吹雪を眺めている春日愛の後ろ姿がそこにあった。

その夜。
ベッドの中でいつものようにモスグリーンのノートを広げて俺は叫びそうになった。

まず見慣れた文字が飛び込む。
いままで書いてきた、俺の…思考のすべて。

昨夜書いた、文章の下にブルーのインクで、妙に四角っぽい文体でこう綴られていたのだ。

ー…いっそ切って全て流してしまおうか。

ー春野巡くん。
ぼくも、ぼくも全て流してしまいたい。だけど知っている。底の底のほうにある気持ちも。

          同じ春をもつものより

ほかにもノートのあちこちに、ブルーのインクで綴られた文字が散りばめられていた。

ーずっと一人だったけど、一人じゃなかった。それは君も。

ー暗いトンネルで僕を照らしてくれた。

ブルーのインクがゆっくりと心の中で滲んでいく感覚。それがある種の変化に切り替わる前に俺は布団にもぐり込んだ。


翌日。俺はずっとジェットコースターの、とんでもない角度で下るところの、一歩手前にずっといるような。心がふわふわしている状態で過ごしていた。

ばれても構わない。ぼっち上等。ああ、ばらされたらどうしようか。針のむしろ状態で過ごすのは嫌だ。

行くなら行ってくれ。いや、やっぱり…。
ああ、そうだ、ばらすのやめてくれと懇願すればいいじゃないか。いや、しかし。

そんな風にとめどなく浮かんでは消える思考に悶々としながら午前中を過ごし、昼休みにトイレから戻ると、ペンケースの中の紙切れの存在に気付いた。

もしや…と広げると見たことのある、ブルーのインクの四角い文字がそこに並んでいた。

ー放課後、体育館裏の桜の木の下に。
来ないとノートのことばらすよ。

             春日 愛

今度は堂々と実名を出してきた。しかも脅迫までかけての呼び出しだ。一体なんのつもりだろうか。

俺は本人に問いただそうと一瞬思い立ったが教室で話しかける勇気もなく、仕方なく放課後まで待つことにした。

今日も風が強い。ドッ、ドッ、と鳴り響く心臓のリズムを感じながら、体育館裏に向かうと春日愛は大きな桜の木の下に座っていた。

空を見上げていた。いや…激しく空を舞っている桜を、眺めているのだろうか。

「あ。きた」
俺に気付いた春日愛がそう呟いた。

「おまえ、どういうつもりだよ。ノートに…ノートにあんなよくわかんないことまで書いて」
「なんだ…見たんだ。何も言ってこないからてっきり読んでないかと。こっちからアプローチしちゃったじゃないか」

そう肩をすくめて、悪戯っぽい笑みを浮かべた。それからちょっとして、
「別に…春野くんの言葉に共感したから、ああ書いただけだよ」

共感…。そのワードを聞いた瞬間に胸のなかがざわりとした。

それは昨日の夜、ブルーのインクの四角い文字を見たときに感じた…なにかと同じような気がした。

その正体をきっと自分は気付いている。しかしそれを認めるのが怖い自分がいる。

「ねぇ」と春日愛がいつの間にか近い距離にいて驚く。

とっさに反応できず固まっていると、そんな俺の様子なんか構わず、春日愛が続けて話す。

「入学式でさ、生徒会長だかなんだかそんな人が話してたじゃん。季節の巡りだか、友情だとか愛とか。ふふ、なんだかぼくたちの名前がさ、とんでもなく素晴らしいものに思えるよね」

まるで気持ちがこもってない台詞のようだった。なんて返せばいいか悩んでいると春日愛が「春野巡くん」とはっきりと発音した。

本当にね。あのノートの文章を見た瞬間、同じだって思ったんだよ。ねえ、君は自分の名前の由来を知っているかな?

よかったら名前のことを含めて聞いてほしい。


春日愛の場合

こぼれ落ちそうなほどの大きな瞳には無数の星が煌めき、形のいい唇は艶やかでまるで赤い飴玉のよう。絹のように細く、指通りのいい髪のてっぺんにはいつも光の輪が輝いていた。

幼稚園、小学校、中学校といつでもどこでも容姿のことを褒められた。

ぼくが小学校のとき、ママが言った。あなたが産まれたとき、天使がそこにいると思ったの。私の愛すべき存在。

だから、「愛」と名付けたのよ、と。それは満面の笑顔で。

最初そのことを聞いたとき、とても嬉しかった。でも小学校を卒業する頃、パパが天国に行って、一気にぼくは自分の容姿が嫌いになった。


ママは誰かに頼らないと生きていけなくて、マッチングアプリで知り合った人と結婚した。

そいつがとんでもないクズで最初はあんなにニコニコしてたのに、急に脱皮したみたいに毎晩毎晩ママに暴力を振るうようになった。

そのくせぼくには猫なで声で話しかけてきて気持ち悪いと思った。

いつの日からか、ママに「そんな年で色目使って」と、そしてどんどんパパに似てくるらしいぼくのことを睨んで産むんじゃなかった、と叩かれるようになった。

ギョロギョロしたやたらでかいこの目が嫌い。血のりをつけたみたいなこの唇も嫌いだ。
ぺたりとして頼りないこの髪の毛もいらない。


そんなことばかり考えて、中学を卒業し、まわりがグレーにしか見えないまま、薦められるままに入った高校の入学式。

あほみたいに桜が狂い咲いてるな。帰りたくなくて、ぽつんと1人残った教室でそのノートを見つけた。何気なく開いたそこから激流のような言葉の波がぼくのなかに入ってきた。

ああ、ここにもいた。ぼくと同じ様に自分という存在を消したくてたまらない。なのに、心のどこかで自分を見つけてほしいと願っている。

なんて矛盾。だけど捨てきれない。

同じ人に巡り会えた。
本当にそう思って嬉しかった。



ぽつりぽつりと紡がれる春日愛の言葉と共に流れる透明な雫を見ながら俺はまるで凪いだ海にいるようだった。

ああ。やはりあの正体は。


春野巡の場合

あなたのパパと会ったとき、運命の人に巡り会えたって思ったの。ママとパパ、その子供として産まれてきたあなたは奇跡みたいだった。

だから、あなたにも出会いの嬉しさを知ってほしくて「巡」と名付けたのよ。

それは自分の名前の由来を調べなさいという、小学校の宿題だった。

「ふーん」とそっけなく答えたけど、とても嬉しかった。

しかし、そのあと母が浮気をして離婚が決定した。「パパは運命の人じゃなかったの」

父のほうについていこうとしたら、すでに父には新しい居場所ができていた。

そこに馴染める気がしなくて、俺は母についていった。けれど母は「今回こそ運命」と、次から次へと現れる出会いを受け入れては

「運命じゃなかった」と次々と切り捨てられていく出会ったものたち。または切り捨てられる母。それはまるでゴミを捨てるような容易さだった。

笑ってしまう。自分の名前の由来である、出会いはこんなものなのか。

自分の名前の響きが空々しく感じた。

苦しい。でもなにが苦しいのかわからない。常に窒息している状態で、自分のなかでどんどんあふれる何かを書き連ねるようになった。

書いた直後は少しだけ息がしやすいことに気付いて、毎日浮かぶ言葉を吐き出すようにノートにぶつけた。そこしか、なかったから。

そんなときに浮かび上がるように現れたブルーのインクの、四角い文字。

最初は見られたという羞恥心。見たやつへの怒り。どうしようという焦り。

だけど最終的に浮かんだ気持ちにそれらはどこかへといった。

ー見つけてもらえた。自分の存在を、思いを。

そうだ。認めてもらいたかった。

俺は…。
ぼくは…。


存在していいの?

だけど怖かった。求めて…認めてもらえなかったら?

でも。


おまえの言葉が。
君の文章が。

掬い出してくれた。

書いててよかった。
書いててくれて、ありがとう。

さあ、これからも言葉を紡いでいく。


…想いって閉じ込めておくと時に苦しいですよね。自分自身のために、書いてみませんか?

それが…物語のように、誰かに届いたらもちろん嬉しいです。でもまずは自分自身のために書くのもいいのかなって最近、思います。

今回、こちらにエントリーさせて頂きました。

ここまでお読み頂き、ありがとうございました。真夜中のカフェでした。





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