誰かのためじゃなく、自分の選択を 『汝、星のごとく』からの気付き
最近、凪良ゆうさんの「汝、星のごとく」を再読した。
映画化されると聞いて、復習で読まねば!と思い読んだら…瞬く間にその世界に誘われた。やっぱり好きだなあ。
ここであらすじ。
穏やかな海が広がる瀬戸内の島で暮らしている高校生の暁海(あきみ)と櫂(かい)。
親の不倫に恋愛に溺れがちになる母親。家庭の事情で孤独と欠落を抱えていた二人は出会い、やがて惹かれあっていく。
高校卒業後は一緒に東京に行こうと話していたがある事件で暁海は島に残ることに。
そこから徐々に二人はすれ違っていくー…。
これは、長い人生の物語だ。
親に振り回されることにうんざりしながらも手放すこともできず。
様々な鎖に縛られ、大きな濁流に巻き込まれるように二人の間がねじれるように離れていくのが本当に苦しくて。
長い時間をかけてたどり着いた二人の愛の結末に…涙が止まりませんでした。
次々と繰り出される衝撃の展開に目が離せない。二人の行く末を最後まで見届けたい。
それくらい一気にひきこまれてしまう「汝、星のごとく」。
どうしてだろうか。それは、人生の残酷さ…思う通りに生きれないもどかしさ、絶望を私達も知っているからではないだろうか。
だからこそ、苦しい。
暁海や櫂の人生だけど自分と重ねる部分があるから苦しいけど気になってしまう、読んでしまう。
そんな人生の過酷さ、生きるということも綴られているこの物語の登場人物のなかで私が特に好きなのは瞳子さんである。
清潔な綺麗さ。丁寧な暮らし。瑞々しい女性ららしさと言うべきことは言う真っ直ぐな、まるで揺るぎない一本の木のような強さもある頼れる大人の女性というイメージだ。
私は今回彼女の言葉に注目した。
暁海の父親の不倫相手という立場の瞳子さん。作中、修羅場シーンがあるのだが、その場面での瞳子さんの言葉が刺さった。
いざってときは誰に罵られようが切り捨てる、もしくは誰に恨まれようが手に入れる。そういう覚悟がないと、人生はどんどん複雑になっていくわよ
私が最初にふせんを貼った言葉だ。
なんて迫力のある、覚悟の詰まった言葉なんだろうと思った。
けれど、生きるということは常に取捨選択の連続だ。ここまでの重さがない場面だとしても
誰かのことを気にしてお利口である選択をしてその場は良くても後でやっぱり苦しくなるー…。そしてそれを繰り返す中で
その選択したことをなにかに責任転嫁し続ける姿に繋がることを想像した。
それは、自ら永遠に出られない迷路に入ることのような…。
つまり「人生が複雑になっていく」ということではないかと感じた。
結局苦しくなるとしても、自分を貫いて自分で背負う。
正しいとか正しくないとか、誰かを傷つけることになったとしても。
永遠に出られない迷路を作り出さないために時に、そういう選択が必要となることもある。
それが人生を生きるということかもしれない。
そんな厳しさを瞳子さんの言葉から感じた。
ほかにも響いたのが
「どこ行きかわからない、地獄行きかもしれない列車に、えいって飛び乗れるかどうか」
「必要なのは頭を空っぽにする、その一瞬だけ」あとは勝手に走っていく、後戻りはできないの、と瞳子さんはやはり軽やかに笑った。
暁海が櫂と別れた直後、これからのことを憂いながら瞳子さんのように強くないとこぼす。それに対して瞳子さんが自分は愚かなだけだと答えたあとの言葉だ。
人生は厳しい。
まるで風がごおごおと吹き荒れる乾いた地を歩いているような気持ちのときもある。
これからも取捨選択をし続けなければならないし、その結果に右往左往するかもしれない。
それでも私たちは列車に乗る自由さがある。
瞳子さんの力強さ、しなやかさにそう背中を押されたような気がした。
想像してみる。
荒野を走る列車。鳴り響く汽笛。力強く動く車輪。
そこから見える景色はあなただけの、特別な景色に違いない。
誰かのためじゃなく、自分自身で選んでいい。
そんなメッセージを感じた。
自分の人生の歩き方に悩んだとき、息苦しさを覚えたとき、ぜひ読んでみてほしい。
凪良ゆうさんの本についての感想などはこちらの記事にも書いたことがあります♪↓
