許せない気持ちに、居場所をあげよう
植本一子さんの「かなわない」という本を読んだ。日々を綴った日記が主な内容で、こんなに本音を書いていていいものか、と驚いた。
後半にはお母様との関係について植本一子さんが悩んで苦しんでいた心情が綴られいて、その言葉たちに心がゆらいだ。
母親である自分が嫌いだ。また自分が自分の母のようになるのではないかと思うとゾッとする。上の娘も下の娘も、私の顔色を窺っているように思える。それは私が母に対してやっていたのと同じことだった。
植本さんが自身の自己肯定感の低さや、育児に対しての不安、怒り、恐怖心を感じていて、その原因が「自身の親子関係や育ってきた家族の問題である」。
好きな漫画の作者さんにそう指摘を受け、チャットでのカウンセリングを受けることになり、そのやりとりの中での一部の、この文章にドキリとした。
私も似たような恐怖心を感じたことがあるからだ。
子供に思わず手を挙げてしまった時があった。二人目が産まれたばかりで、余裕がないときに上の子が癇癪を起こしていたと思う。
それで気付けば叩いていた。母がむかし、自分に対して行ったことを思いだし、同じようになるのではないか、と当時の私は恐怖心を抱いた。そのことを思い出したのだ。
見えない振りをしながら心の底にグリグリとしまいこむようにしていたことが浮かんできた。
私は母に、踏みつけられたことがある。物理的に。とっくに成人を迎えていた年齢のときだ。
もう十年以上も経っているが、いまだにあのときの出来事はことあるごとに脳内に再生されてはそのたびに制御する思考。
ーいつまで気にしているの。
ーあれは私のせいなんだ。母に、そうさせてしまったのは私。
ーそれに、いまたくさん助けてもらっているじゃない。
まさしくそれとリンクするような内容が本に綴られていて、またハッとした。
未だに母を悪く思いたくない節がある。自分はまともな人間に育てられたと思いたい。母にはいいところだってあった。
それに対してカウンセリングをしている漫画の作者さんがこう返しています。
ー今また母親を好意的に見ようとしましたね。かばおうとしましたね。そういうのがあなたの目を曇らせるのです。この人にもいいところがあるって思うからその人に似てしまうんです。
(中略)
怒れないあなたの代わりに怒っています。ここまで言っていいんだという見本を示してるんです。
涙がぱたぱたとこぼれ落ちた。
私はそこで気付いた。母に踏みつけられたことやそれに付随すること、いつの話だと、とっくに時効だと言いながらまったく大丈夫じゃない自分に。
ずっと引っ掛かっているにも関わらず、許さなくちゃと、もう過去のことだから、と心の奥にしまっていた…自分の本当の感情に。
…ここからはあの時、母に感じたこと、いま思ったことを書いていきます…。
このnoteを読んで下さった方から、とても嬉しい感想を頂きました。

誰かを許せないままでも、幸せになっていい。自分自身の言葉も受け止めてもらえたような気がしました。
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