そのボールは、ちゃんとそこに
ーはじめて見たその金メダルは、とてもキラキラとしていて。なんだかすごく誇らしい気持ちでしばらく見つめていた。あの風景は現実か幻だったか。
時計の秒針の音が耳にやたらと響く。
ーくそ、書けねえ。
今日こそは、とパソコンを開いて早二時間。
目の前の画面は見事にまっ白だ。
清々しいほどに…。
「ああー、なんも浮かばねえ」
ぱた、と後ろに倒れた。
見慣れた天井がただそこにある。
ブーン…と扇風機が回る音がした。カーテンの隙間から見える青い空と、入道雲。
時刻は十二時を過ぎていた。
今日も真夏日になりそうだと今朝の番組でアナウンサーが言っていた。きっちりとネクタイをしめて。
「腹減ったな…」
朝からなにも食べていないことを思いだし、とりあえずなにか腹にいれようとゆっくりと起き上がると同時にスマホが着信を知らせる。
誰からの電話なんてわかりきっているから出たくないがそういうわけにもいかないので渋々、通話のボタンをタップして耳にスマホを当てた瞬間に高いトーンの声が響いた。
「先生~!よかった、原稿!進み具合どうですか?今週中にはあげられそうですか?!」
早速それかよ、とげんなりする。まず挨拶だろうが。
「あー、書こうとはしてんですけどね、なんか不調っていうか。もがいています」
「そうですか!まあこういう仕事にスランプはつきものですから!あまり気にしないで!それより家のなかにこもりっぱなしなんじゃないですか?!それじゃあ煮詰まって余計書けませんよ!今日天気いいし!気分転換にどっか行ってみたら案外パッと浮かんでガッと書けるかもしれませんよ!じゃ、また明日連絡するんで!」
一方的にそうまくしたて、最後まで高い声のまま、通話は終了した。
新年から新しい担当になった岸野という男は前向きなところはいいと思う。こちらの無愛想など気にせず、明るく接してくれるところも助かっている。
だが…「おいしいごはん食べて、太陽の光浴びて、ぐうすか寝たらいいアイデア浮かびます!」が口癖でもあり、そんな簡単なもんじゃないと負けじと高い声で言いたくなる。
しかし家にこもりっぱなしはよくないという意見ももっともだ。書けないということばかりに目がついてしまい、本来のテーマが思考から外れ、悪循環だった。
今回、アンソロジーの仕事を頂いてそのテーマが「あのときの夏」だ。
昨日電話で仲良くしている作家にスランプのことを相談している流れで同じアンソロジーの仕事を受けていることが判明した。
なにかヒントを得られるかも、と思いどんな話を書くかさりげなく聞いてみたら自分の実体験を基に怪談テイストのものを書いているらしい。
しかし、頭の中が「書けない」で埋め尽くされている状態ではひらめくことはなにもなく…でるのは空腹を知らせる腹の音だけ。だが冷蔵庫にすぐに食べられるようなものはない。作るのも面倒くさい。
「…近くのカフェにでも行くか」
上下スウェットの服を脱いで、濃茶の麻のシャツに黒の短パンに着替える。財布と、スマホだけ入れて支度は完了だ。荷物は極力持ちたくない。
外に出た瞬間、焼けつくような強い日射しを全身に浴びる。汗がじわりと浮かび、空を仰ぐ。すこんと抜けた、どこまでも青い空に暑さを増幅させる大量のセミの鳴き声。すでに歩く気持ちが失せていた。
しかしここで部屋に戻ったって書けない状態は変わらない。料理を作る気力だって復活しない。やっぱりカフェに行こう。
しかし歩いて十分もしないうちに再び「後悔」の二文字が浮かんだ。暑い。暑すぎる。出前でも頼めばよかった。
ふと道の向こう側に目をやると陽炎が見えた。はあ、とため息をつきながら歩いているとはしゃいだ子供の声が聞こえた。
思わず顔を向けるとそこは公園で、水風船を投げ合いながら遊んでいる小学生のグループ。
砂場にはせっせと山を作っている小さいこどもら。その傍らで話しているお母さんたち。
「…平和だなあ」
しかしこの暑い中、元気だなあと再び歩き始めたとき、ちょうど公園からでてきた少年とぶつかってしまった。
「わっ」
バサバサと紙が舞い上がる。これは…原稿用紙?
「あ、ごめんなさい」
慌てて紙を拾う少年は中学生ぐらいだろうか。
「いや、こちらこそごめん、手伝うよ」
と二人で原稿用紙を拾い集め、最後ちゃんと全部あるか確認してもらう。
「ありがとうございます」
「君、小説書いているの?」
そう思わず聞いてしまったとき、少年にじっ、と見られた。
しまった、これじゃ急に話しかけてきた怪しい人みたいじゃないか、と焦っていると、
「へへ、見られちゃった。うん、そう小説書いているんだ、おじさんも小説好きなの?」
人懐っこい笑顔で大事そうに小説を抱えているその姿に思わず自分も小説家だとこぼす。
「えっ、そうなの?おじさん小説家なの?すげー!え、そしたらまだ途中だけどこれ読んでよ、感想聞かせて」
「あ、いや、確かに小説家だけどそんな有名ではなくて…」
「でもおじさん、小説家なんでしょ?僕のまわりに小説家なんていないし、ちょうどいいから読んでよ、ねっ」
なにがちょうどいいのかよくわからないけど少年のその勢いに押されて俺は、その小説を読むことになり、暑さも限界だったので一緒にカフェに入ることになった。
色々な意味で大丈夫だろうか。
はい、と先ほど一緒に拾い集めた原稿用紙を手渡され、わくわくした表情を浮かべる少年。
いったいどうしてこうなった。
あっさり個人情報を明かすからこうなったのだ。心のなかでこっそりため息をついて、読み始める。
それは、ある家族の物語だった。
元・ケーキ職人で小説家希望の父。美しいバーテンダーの母。推し活に情熱を燃やす高校生の姉。そして、現在不登校中の中学生のボク。
姉の家出によって、その家族の日常や在り方が変わっていく…という話だ。
拙い文章ではあるけど、生き生きと文字が跳ねているのがわかる。書いていて楽しい。届けたい。それが伝わってきた。
「読ませてくれてありがとう。ラストがどうなるか、とても気になる話だった。いつから小説は書いているの?」
「昨日から」
思っていた返答と違い、昨日?と驚いてしまった。
「うん」
「そっかあ、はじめての小説でこんな面白い話かけるなんてすごいなあ。おじさんもずーっと書いているけど…もう最近書けなくなっちゃったんだよなあ」
ついぽろりとこぼして、なに言ってるんだ、俺は。
慌てて取り消そうとすると、
「わかる!書けないのどうしようって焦るの、わかる」
目の前で少年が大きく頷いていた。意外な反応に戸惑っていると、
「あっ、ごめんなさい、プロの方に!」
両手を大きくこちらに広げて振る。
「…僕ね、小学生のとき、本当に書くの苦手で。作文の時間きらいだったんだ。こういうテーマで書いてくださいって言われて、なんとなくこれって思うんだけどいざ書こうとすると書けなくて。読書感想文とかもそう。本を読んで、面白いって感じたのに、文章にしようとするとわからなくなる。そんなときに先生がね、教えてくれたんだ」
ー焦らなくていいんだよ、一気に書こうと思わなくていいんだよ、まず大事なのは潜ること。ほら、プールの授業でもあるでしょう、最後に宝さがしの時間。底のほうに潜ってボールを見つける時間。君のなかにも投げたいボールはすでにあるけど、見えていないだけ。見えないからますます何も書くことない、どうしようってなっているだけ。
書く前に潜ってごらん。例えばおでかけしたときに楽しかったなーって思ったり。ごはんを食べて、おいしいー!って感じたり。だれかの言葉でイライラしたり、悲しかったり、嬉しくなったり。そういうこと、あるでしょう?
あったなあって思い出したら、一文でも一語でもいい。そのことをまず書いてごらん。
「海で魚見つけた」とか「アイスクリーム食べておいしかった」、「ありがとうって言われて嬉しかった」とか。そこからどんな見た目の魚がいたとか、なんでそのアイスクリームを食べることにしたとか。潜ったら、ほら、書くこといっぱいでてきたんじゃない?それをありのまま、書けばいいよ。
俺は、その話を聞いて潜る…とつぶやいた。少年はまた大きく頷いて、
「うん、おじさんはたくさんお話書いてきたんでしょう?だから潜ること知ってるはず。いまは…迷子になっちゃっていたんじゃないかなあ。だけどおじさんが届けたいボールは中にあると思うからゆっくりそれを探せば、きっとまた書けるよ…なんてえらそうにごめんね」
なんか、すとんと肩の力が抜けた気がした。
いつの間にか「書く」に別のことを見てたかもしれない。
ーまわりはなにを求めている?
ーどんな風に書いたら、目をひくだろうか。
そんなことばかり気にするようになって、自分がなにを書きたいとか二の次になっていたような気がする。
日々のなかで自然と感じたこと。だからといって無理やりひねるでもなく。
書いた先のこと、色々考えてしまうけど。そうだな。自分が届けたいボール。
それを見つめてみようか。
よっ、と気軽に投げてみよう。
しかし…。くくっと笑いが込み上げる。
「おじさん急にどうしたの?」
「いや…ちょっと思い出し笑い」
新しい担当になった、岸野の口癖を浮かべた。
ーおいしいごはん食べて、太陽の光浴びて、ぐうすか寝たらいいアイデア浮かびます!
角度は違うけど、あながち間違いじゃなかったな。
夕方のチャイムと、ー帰る時間になりました。のアナウンスが響く。
「あ、もうこんな時間。僕、帰るね、今日は小説読んでくれてありがとう!」
「いや、こっちこそありがとう」
もう俺のなかで書くことが浮かんでいた。
少年と話しているうちに思い出したのだ。
俺も読書感想文に苦しめられていた小学生だったことや、そのことを書いた作文が市のコンクールで金賞に選ばれたことを。
その夏の出来事のことを書きたくなった。
書けないと苦しんだ時期のことも、きっといつか届けたいボールと変身するだろう。
そのヒントをくれた少年の背中を見送りながら考える。
君はこれからどんなボールを見つける?届けたいと願う?
まだ明るい夏の空の下、様々な人の、様々なボールが目には見えないけれどきっとたくさん飛び交っているのだろう。
そのなかに自分のボールも混ざることを想像したらちょっと楽しい気持ちになりながら家路についた。
ここまでお読み頂き、ありがとうございます。今回、春に引き続きこちらの企画に参加させて頂きました。
