[映画]『NOCEBO/ノセボ (ロルカン・フィネガン監督/2022)』

データ
原題: Nocebo
監督: Lorcan Finnegan
製作年度: 2022
製作国: アイルランド=アメリカ=フィリピン=イギリス合作
アスペクト比: 1:1.66f
時間: 1h37
公開日: 2023/12/29
鑑賞日: 2023/12/29
配給: クロックワークス
はじめに
2021/1/6にmixi掲載分を転載・追記・修正しています。
感想
年の瀬にゲテモノ映画を想定して観に行ったら意外な拾いものだった。前知識はエヴァ・グリーンとマーク・ストロング(なんかイヤ笑)が夫婦役で出演、その夫婦と生活を共にするフィリピン人家政婦が二人に影響を及ぼすといったプロットだけだった。
これだけだと、ああ、また『テオレマ (Teorema/1968)』や『召使 (The Servant/1963)』のパターンかな…と思い込んでしまった。
実際にそういった要素は強かったが、それ自体は設定に過ぎなく、主題はまた別の問題だった。
フィリピン人家政婦(フィリピンの人気女優にして歌手であるチャイ・フォナシェ)は代々受け継いだ民間療法を用いた治療師であるが、それと同時にシャーマンであり呪術にも長けている。
観続けていくうちにこれは原始宗教に主人公たちが巻き込まれる異文化ホラーのパターンかと思えてきた。中島らもの「ガダラの豚」を思い出した。
ところが中盤ぐらいから今度はこの家政婦の過去のフラッシュバックが描かれるようになってきて段々混乱してきて、同時にどんな落としどころがあるのだろうと思い始めた。
原題の『ノセボ』は"プラセボ"の類似語。"プラセボ"は治療効果成分が無い薬を服用することで投薬効果が表れることで、一方、"ノセボ"は同様に治療効果成分の無い薬を服用して、投薬によってでのみ発生するような副作用が発生することを意味しているらしい。
精神面で不調となっているヒロインに対して主治医の渡す飲み薬をノセボとして破棄し、自らの民間療法をプラセボとして受け入れさせるが、それは同時にノセボとなっていく。
そして次第にこの映画のテーマが新植民地主義であることが分かって来る。意外と骨太な作品だったのだ。ではタイトルの『ノセボ』の意味するところは?
とはいえ、アイルランド人のロルカン・フィネガン監督はクロネンバーグに多大な影響を受けたとインタビューで答えているだけあって、やはりグロテスクな描写に注力しているように感じられた。せめてもう少し整理できていれば…という思いが残った。
この監督の前作『ビバリウム』も観たいな。
追記 (25/12/19)
何がノセボなのか…を書いていなかったが、それはグローバリズムだろう。欧米はフィリピンを上から目線で見下している。家政婦ダイアナが代々引き継いだシャーマニズムも否定される。欧米はフィリピンを途上国と見做し、ファストファッションの工場を設立し雇用を生みだす。これが一見、先進国の善意(プラセボ)だが、そこから搾取というノセボに変異した。
ダイアナは資本主義、グローバリズムの犠牲者であり、クリスティーンはファストファッションのデザイナーであり自社ブランドの工場をフィリピンに持っていた。ダイアナはそこで低賃金長時間の過酷な労働を強いられた挙句、工場内の火事で娘を失っていた。
冒頭で犬についたダニに噛まれ体調を崩していたクリスティーンにダイアナは通常の治療をやめ、民間療法で治癒させると伝える。クリスティーンは回復を期待するが、ダイアナは意図して呪いをかけ、娘の焼死を追体験させる。クリスティーンは自社工場での火災事故をイメージするが、実際に大やけどを負い死亡する。
ダイアナからすれば呪いの結果だが、西洋視点からすればプラセボがノセボに切り替わったと捉えることができる。フィネガン監督は観客にクリスティーンと同じ視点で追体験できる。
ラスト、クリスティーンの娘ボブスがダイアナの後継者としてシャーマンを引き継ぐ。それは本来自分の後を継ぐはずだった娘がクリスティーン(の工場の火災)によって殺されたため、クリスティーンを殺し、自らも命を絶ち、ボブスがシャーマンとなる…ということだろう。
映画の狙いはダイアナがシャーマンという自身の立場を利用した個人的な復讐劇ではなく、グローバリズムが無意識に行っている資本的、文化的搾取に対する痛烈なしっぺ返しなのだろう。
エンドクレジットで流れるのはフィリピンのThe General Strikeというバンドの「Pugon」という曲。2015年に起きたケンテックスのスリッパ工場での火災で74人の死者を出した火災事故を歌っている。そしてクレジットには"Justice for all Kentex Workers"という一文も表示される。
そう言えばわが国には『ワールド・アパートメント・ホラー (1991)』という同趣旨の作品があった。

