[映画]『サンキュー、チャック (マイク・フラナガン監督/2024)』

データ
原題: The Life of Chuck
監督: Mike Flanagan
製作年度: 2024
製作国: アメリカ
アスペクト比: 1:1.85f
時間: 1h51
公開日: 2026年5月1日
鑑賞日: 2026年5月5日
配給: ギャガ=松竹
はじめに
今年のGWは暦通りに休んだが、バタバタしていて、観た映画は結局、この一本だけだった。
概要
映画は三幕(三部)構成で三幕から一幕へとリバースしていく。英字タイトルが"Act"なので以降は"幕"で記載していく。
第三幕 ありがとう チャック (Act Three Thanks Chuck)
世界中で地震や津波、火山の噴火などが同時多発的に発生し、SNSなどの通信手段が徐々に途絶えつつある中、中学校教師のマーティ・アンダーソン(キウェテル・イジョフォー )は電話で別れた妻フェリシア・ゴードン(カレン・ギラン)から"いつ終わるの(落ち着くの)?"と尋ねられるがマーティは答えられない。
マーティは隣人のガス(マシュー・ライラード)の話を聞く。世界は終わりつつある…もはや諦めの段階に入ったが、それでもその時をただ待つだけなのはつらい…と話す。
マーティは町のあちこちで謎の広告看板を目にするようになる。看板だけでなく、全局のテレビ放映が途絶える中でも同様のCMが流れる。
CHARLES KRANTZ
39 GREAT YEARS !
Thanks Chuck !
そのチャールズ・クランツ(チャック)が妻と息子に見守られながら脳腫瘍で39年の生涯を終えようとしている。妻のヴァージニア(クォリアンカ・キルヒャー)はチャックの手を握りながら声をかける。
素晴らしい39年間だったわ
ありがとう、チャック
通信エラーとなったスマートフォンを投げ捨てて、マーティはフェリシアに会いに行く。途中、道端に座り込む男と話しをする。男は車を捨てて家に帰る途中だったが、行き先がフェリシアの住む住宅街だったために一緒に向かうことにする。
男はサム・ヤーブロー(カール・ランブリー)と名乗る。葬儀社を経営していて近頃は儲かって仕方がない…と言いながら、本当は気象予報士になりたかった…と打ち明ける。
夜になりようやくフェリシアの住まいがある住宅街に辿り着くが、停電となる。周囲の住宅の窓にチャックの広告が浮かび上がる。
マーティはフェリシアの住まいに無事に辿り着く。二人は庭の長椅子で夜空を眺める。停電のせいか鮮やかに見える星の数々。しかし二人の目の前で星がひとつひとつ消滅していく。宇宙の終焉の始まりだった。マーティはフェリシアに"愛している"と告げる。
第二幕 大道芸人サイコー (Act Two Buskers Forever)
テイラー・フランク(ザ・ポケット・クイーン)はジュリアードに進学したものの常に"考えること"に違和感を感じ、自主的に退学し、いまはストリートドラマーとして日銭を稼いでいる。
一方、ジャニス・ハリデー(アナリース・バッソ)は一年以上付き合った彼氏に振られる。ジャニス自身もさして真剣ではなかったが、振られたこと、それ以上にスマホのチャットで別れを切り出されたことにショックを受ける。
テイラーがいつものようにドラムを叩き始めるとチャックが通りかかる。背広姿にブリーフケースといういかにも会計士のような井出達の(実際に会計士だが)チャックを見てテイラーは興味を持たないだろうと判断する。
しかし予想に反してチャックは立ち止まり、ブリーフケースを置き、ドラムのリズムに合わせて踊り始める。チャックのダンスは堂にいったもので次第に周囲に人だかりができる。そこにはジャニスもいた。
ジャニスがリズムに合わせて体を動かしているのに気付いたチャックはジャニスを誘い出し、二人は踊りだす。
テイラーはドラムセットを片付けたあと、テイラーはチャックになぜ踊ったのか、なぜ踊りを諦めたのかを問う。チャックはその時は答えられなかった。
後ほど、病の床でチャックは苦痛に耐えながら、神はなぜこの世界を作ったのかを考える。そしてブリーフケースを置いたあの瞬間こそが神が世界を作った理由なのだろう…と思う。
Later, he'll lose his grip on the difference between waking and sleeping, and enter a land of pain so great he will wonder why God made the world.
What he will remember, occasionally, is how he stopped and dropped his briefcase and began to move his hips to the beat of the drums.
And he will think, that is why God made the world.
第一幕 私の中には無数の人が存在する (Act One I Contain Multitudes)
チャック(ベンジャミン・パジャック)が7歳の時、両親と生まれてくるはずだった妹アリッサを事故で失う。チャックは祖父母に引き取られるが、祖父母もまた深い悲しみに沈むが次第に癒えていく。
祖母サラ(ミア・サラ)は得意の料理を一年振りに再開し、チャックは愉しげに踊りながら料理をする祖母からダンスの手ほどきを受ける。
祖父アルビー(マーク・ハミル)は酒量が増えていく。アルビーはチャックにヴィクトリア朝の自宅の三階にある屋根裏部屋には入らないように厳命する。
高校生になったチャック(ジェイコブ・トレンブレイ)は授業で新米の教師リチャーズ(ケイト・シーゲル)はウォルト・ホイットマンの詩「自分自身の歌 (Song of Myself/1855)」を朗読する。チャックはリチャーズに詩の一節"I Contain multitudes"の意味を尋ねる。
リチャーズはチャックの頭の中にはチャックが関わってきた、これから関わっていくあらゆる記憶で形成される"世界"がある、なのでこの先の人生で様々なことを経験することで豊かな人生を送るようにと、チャックを勇気づける。
アルビーは泥酔したときに屋根裏部屋の秘密を少しだけチャックに話す。部屋には幽霊が居て、その幽霊はディケンズの三人の幽霊のようなものだ…と語り、見てはいけないものを目にするので決して入ってはいけない…と改めてチャックにくぎを刺す。
そしてサラがスーパーで倒れて亡くなる。
チャックはハイスクールでダンス部に入る。チャックは小柄だが祖母仕込みのダンスで頭角を現し、顧問のローバッハ(サマンサ・スローヤン)を驚かす。チャックはダンスの旨いキャット・マッコイ(トリニティ・ブリス)とパートナーとなる。
そしてダンスパーティ。チャックはキャットに踊りに誘われるが、年上でかつ背も高いキャットに引け目を感じ、ためらうが、思い切って踊りだす。そしてチャックとキャットの踊りを会場にいた生徒や教師も見守り、喝采を送る。教師の中には第三幕のマーティの姿もある。
アルビーが心筋梗塞で亡くなる。アルビーは生前"待っている時間が一番つらい"と漏らしていた。チャックは屋根裏部屋で自身の末路を見てしまったのだろうと推測する。
葬儀後、葬儀を担当した男(第三幕のサム)から遺品を受け取る。アルビーは男の会計士でいろいろと助けてくれた、と話す。そして本当は気象予報士になりたかった…と話す。
チャックはアルビーの家に住み続けることにする。そしてある日、意を決して屋根裏部屋のドアを開ける。
チャックが目にしたのは自分が脳腫瘍で病院で死ぬ姿だった。チャックはその光景を拒絶して、自分は素晴らしい存在で、自分の中には多くの人が宿っている…と確信する。
そして命が尽きる日まで必死に生きることを自身に誓う。
I will live my life until my life runs out
感想
作品の理解
第三幕はチャックの頭の中の世界だろう。チャックが妻子に囲まれ死を迎えようとするシーンも描かれるがそこだけが現実で、そこ以外はチャックの脳内世界、それも死に向かって崩壊していく世界を描いている。ネット遮断は混濁していくチャックの意識、チャックの広告は妻ヴァージニアがチャックにかける言葉であり、チャックを形づけた様々なMultitudes達の賛辞だろう。
世界崩壊の描写はT.S.エリオットの「うつろな人々 (The Hollow Men/1925)」の有名な一節を思いおこさせる。
This is the way the world ends
This is the way the world ends
This is the way the world ends
Not with a bang but a whimper
第二幕は死期が近づいていることを知らないチャックのある日を描く。チャックはあれだけ好きだったダンスの道ではなく、祖父アルビーの言葉("数学は芸術であり、世の中のあらゆることに関わっている、そして何よりも嘘をつけない")を受けて祖父同様に会計士の道を歩む。
若く、心の赴くままに生きるテイラーになぜダンスを諦めたのか、と問われてもチャックは答えられない。
チャックは重体となり神を恨むが、道端で踊ったこの瞬間を得たことが自身の生きた証であり、それによって僅か39年で終える人生を"Great Years"と誇ることができた。
第一幕は10代の主人公を描く。早くから身近な人々の死を受け入れながらも、その身近な人々によって自己を形成していく。そして祖父と同じように自身の最後の光景を目にしながらも、祖父のように"その日を待ち続けるのが怖い"と思わず、人生を全うすることになる。
誰でも遅かれ早かれ死ぬ。それは突然かもしれないし、理不尽なものかもしれない、だからこそ人生を謳歌すべき…という明確なメッセージを感じた。
ただ第一幕のラスト、チャック少年が出ていき、ガランとなった屋根裏部屋にエンドクレジットが出始めたとき、感動よりも先に実は唐突さを感じて戸惑ってしまった。クレジットを見ながら頭のなかで整理し直して納得して、"良い映画だった"という感想を持つに至ったのだった。
映画を観ていると途中でどんな終わり方をするか、いま映画は起承転結のどこらへんだろう…と、ぼんやり考えることがあるのだが、この映画に関しては屋根裏部屋のシーンの後にまだシーンが続き、そこがクライマックスだろうと思っていたのだった。エンドクレジットを見ながら、もしかしたらクレジット後になにかあるかな…とも思ったが、何もないまま館内の照明がついた。
後々考えればこのラストシーンしかありえないのだが、唐突さを感じてしまった理由はなんだろう…と考え、多分、第三幕の"世界の終わり"が強烈過ぎたためだろうという結論に達した。
全く内容を知らなかったので、この世紀末感をどう収束させるのか…と第三幕を観ながらずっと考えていて、第二幕、第一幕と観ていき第三幕の意味するところを理解しながら、なお第三幕の世界観に引きずられていたのかもしれない。
第三幕は『渚にて (On the Beach/1959)』、『メランコリア (Melancholia/2011)』などの終末系SF映画に引けを取らない完成度だった。それくらい印象的な、引っ張られる一幕だった。
原作も3幕から1幕へと展開する構成で、ほぼ小説通りに映画化されたらしい。そうなると3幕の描写、特に広告や印象的な心電図をどう表現しているのか、が気になってしまう。
この作品のキーとなる詩人ウォルト・ホイットマン (1819-1892)もその詩「自分自身の詩 (Song of Myself)」も初めて聞いた。第三幕で教師が朗読する詩は1855年の詩集「草の葉 (Leaves of Grass)」の第51節の一部となる。
Do I contradict myself?
Very well then I contradict myself
I am large, I contain multitudes.
私は…ではなく、人間は…に置き換えると映画のテーマに繋がっていく。人は矛盾した行為・言動を行うのは、その人は自身に巨大な多義を抱えているためで、その矛盾が人の在り方として自然であると、ホイットマンは肯定しているのだろう(ネットに上がっていた訳詞をざっと読んだ上での印象)。
multitudeは大勢、群衆という意味で、それが複数形multitudesとなっている点がポイントだろう。
役者について
トム・ヒドルストンは『マイティ・ソー (Thor/2011)』のロキ役が有名だが、同時期に出演した『ミッドナイト・イン・パリ (Midnight in Paris/2011)』ではフィッツジェラルドを演じていた。
当作品では第二幕のダンスシーンに圧倒され、そして訳も分からず感動させられる。ロキと同一人物とは思えない平凡なルックスが良かったのだと思った。
第一幕でチャックの祖父母を演じたマーク・ハミルとミア・サラーも良かった。祖父役を演じる役者は誰だろう…一昔前のウィルフォード・ブリムリーのような雰囲気だが…と思ったら、よもやかつてのルーク・スカイウォーカーだとは思わなかった。祖母役のミア・サラは『レジェンド/光と闇の伝説 (Legend/1985)』でデビューした、息の長い役者。キッチンでの孫息子とのダンスシーンは素晴らしいシーンだった。
他にも第三幕のクランツ家の隣人で噂好きのベラ・スタンリーにヘザー・ランゲンカンプ(『エルム街の悪夢 (A Nightmare on Elm Street/1984)』)、第一幕の父兄面談のシーンで"エロサイトが見れない…"と嘆く父兄役にデヴィッド・ダストマルチャン(『悪魔と夜ふかし (Late Night with the Devil/2023)』)など意外な配役も。父兄面談にはキング御大も。
第二幕のドラマー、ザ・ポケット・クイーンはパーカッショニストのテイラー・ゴードンの別名だとか。
ナレーションを担当するニック・オファーマンは『シビル・ウォー アメリカ最後の日 (Civil War/2024)』で大統領を演じている。
監督
マイク・フラナガンは私は『ドクター・スリープ (Doctor Sleep/2019)』しか観ていないが、主にホラー映画を撮っている。ほぼ全ての作品で脚本を担当し、『ドクター・スリープ』含む半分以上の作品で編集も担当している。当作は原作発表当時からキングに映画化を直訴していたらしく、ようやく2024年に実現した。
インタビューによると、原作をもとに新たに映画を構築するというより、原作の魅力を忠実に(キングの熱狂的なファンに怒られないように)映像化することに固執しているように感じた。
よってこの作品が監督にとっての成功作か否かは原作を読まないと判断できない。実際にどうか気になるところでもある。
フラナガンはこの先、『ミスト (The Mist/2007)』のリメイクや『ダークタワー (The Dark Tower/2017)』のTVシリーズ化とキングとのコラボが続くらしい。

