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好奇心が「いつもの快適さ」に負ける ——61歳バンコク生活🇹🇭

老いとは、足腰が弱くなることだと思い込んでいた。

どうやら違う。

本当の老いとは、
「未知への好奇心」よりも「いつもの居心地の良さ」が、ほんのわずかに勝ってしまう瞬間の、静かな積み重ねなのかもしれない。

圧倒的な時間と自由を手に入れたはずの
バンコクの空の下で、私は今、その事実に直面している。


「いつでも行ける」という甘い罠


年に10ヶ月を過ごすこの街、バンコク。

時間は、持て余すほどある。

体力が落ちたわけではない。
毎日2万歩歩き回る気力は、まだ十分にある。

スマートフォンを開けば、

・新しくオープンした施設
・気になっている路地裏
・行ってみたい店

そんなリストが、いくつも並んでいる。

「あそこに行ってみたい」

好奇心は、確実に私の中で脈打っている。

ところが——

いざ
「今日、あそこへ行こう」
と靴を履こうとすると、どうも足が重くなる。

体調が悪いわけではない。

ただ、
未知の場所へ向かう一歩が、ほんの少しだけ重い。

結局こうなる。

「今日はいつもの場所でいいか」
「馴染みのカフェで過ごそう」

慣れ親しんだ快適なルーティン。
いわば私だけの 『悠遊居』

その中に留まることを、選んでしまう。

そしてそんな日が、
確実に増えている。


言い訳と「快適」という名の麻酔


いつでも行ける。今日じゃなくてもいい。

時間はたっぷりあるのだから。

そうやって、新しい扉を開けることを
無意識に先送りにしてしまう。

最初は、これを肯定的に捉えようとしていた。

観光客のように汗をかいて名所を巡る必要がない。
それは長期滞在者の余裕なのだと。

今の生活スタイルが確立され、
満たされている証拠なのだと。

——見栄えの良い言い訳。

たぶん、そういうことだ。

本当は、

「好奇心」
「現状の居心地の良さ」

この二つを天秤にかけたとき、
後者がほんの数グラムだけ重いだけなのだ。

未知の刺激を得るエネルギーよりも、

エアコンの効いた
「いつものカフェ」
ーー私だけの『悠遊居』 の快適さ。

その心地よさを
手放すのが億劫になっている。


足腰ではなく、好奇心が負ける日


引きこもっているわけではない。

好奇心が枯渇したわけでもない。

ただ、
実行力だけが静かに削がれていく。

体が動かなくなることだけが
老いではないのかもしれない。

新しい行動を起こすための出力が、

現状の「居心地の良さ」という強烈な引力
吸い込まれて消えていく。

これもまた、
一つの老いの形なのかもしれない。

行ってみたい場所はある。
体力もある。

そして
圧倒的な時間もある。

それなのに——

私は今日も、
「快適」という麻酔に身を沈め、

新しい世界へ踏み出すことを
見送ってしまった。

無限の自由を手に入れたはずの私の世界は、
この居心地の良い空間の中で、

気づかないうちに
少しずつ狭まりかけている気がする。

明日こそは、新しい扉を開けるのだろうか。

それともまた、
馴染みの椅子に深く腰掛けて、
同じ言い訳を繰り返すのだろうか。



皆さんにも、

「好奇心が、いつもの快適さに負けてしまう瞬間」

ありませんか。


夕暮れのワット・アルンと共に









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