猫が苦手だった夫
はじめて夫が家に来たとき、私は1匹の猫と暮らしていました。
「猫見る?」
猫と暮らしている人ならわかるかもしれません。家に遊びに来た人への挨拶がわりみたいなものです。私は昔から「猫好きに悪い人はいない」と本気で信じていました。
ところが夫の返事は予想外でした。
「いや、今日はやめとく」
えっ、そんな人いるんだ…。
かわいい猫がすぐ近くにいるのに、会わずに帰るなんて。しかも、その日は猫もまったく姿を見せませんでした。もしかしたら猫なりに何かを感じ取っていたのかもしれません。
猫好きの友人たちは遊びに来ると、まず猫を探します。でも無理に追いかけたりはしません。少し離れた場所から見守り、警戒心が解けた頃におもちゃを取り出す。そして人間と猫が一緒になって遊びはじめる。
私にとっては、それが当たり前の光景でした。
いっぽう、夫は動物にあまり興味がありません。
動物園にも行きたがらないし、私が動物動画を夢中で見ていると不思議そうな顔をします。
「何がおもろいん?」
家の中に動物がいると、毛が落ちたりニオイがしたりするのが気になるそうです。きれい好きな性格なので、清潔に保ちたい気持ちが強いのでしょう。
いっしょに暮らしはじめた頃、私は猫の前足をそっと持って、夫の腕をちょんちょんと叩きながら言いました。
「お父さん、お父さん」
すると夫は真顔で、
「いや、お父さんやないで」
と返します。
なんとも言えない空気が流れました。
私が猫を溺愛しているのを見て、夫は「仕方ないから受け入れている」という感じ。猫もそれを察しているのか、あまり近づきません。
おたがいに適度な距離を保つ、どこかドライな関係でした。
それでも、私が出張で家を空けるときは、食事やトイレの世話をきちんとしてくれました。猫好きではなくても、責任感はある人なのです。
そんな夫が、猫が亡くなった翌日にLINEを送ってきました。
私は会社を休み、一日中泣きつづけ、顔はひどい状態だったと思います。
昼休みに届いたメッセージにはこう書かれていました。
「オレでもさみしいんやから、お前は相当つらいよな」
そして続けて、
「幸せな猫だったと思うよ」
と。
その言葉を見た瞬間、また涙があふれました。
あんなに距離を置いていたように見えても、夫なりに猫の存在を大切に思ってくれていたのだとわかったからです。
本当は、いつかまた猫を迎えたいと思っています。
夫は動物嫌いではありません。もし子猫の頃からいっしょに暮らしたらどうだろう。名前を付けてもらったら愛情が湧くだろうか。そんなことを考えてしまいます。
でも、何度話しても夫は首を縦に振りません。
私自身も、あの別れの悲しみをもう一度受け止められる自信があるわけではなく。
それでも時々思うのです。
あのとき「お父さんやないで」と言っていた人が、「オレでもさみしい」とつぶやくようになるのだから、人の気持ちは案外ゆっくり変わっていくものなのかもしれない。
その日が来るのを、今は待つことにします。
