答えが出ないまま、持っていること
今、里帰り中。

少しゆるんだ時間の中で、
久しぶりにとあるAさんと話す機会があった。
小さい頃からの恩師である。
先生と生徒、って言えばそうなんだけど、
それだけじゃ言いきれない歴史がある。
今日はAさんが言ってくれた言葉を、ふと思い出していた。
「あなたの存在は、いつもここにあるのよ」
そう言って、胸のあたりに手を当てていたのを覚えている。
うまく説明はできないけど、
ただ教えてもらうだけじゃない、
どこか深いところでつながっているような、不思議な関係。
いつも深い話を聞いて育ってきたと思う。
習い事を通して、その子たちの自信につながるような関わりをされている、本当に素敵な人だ。
そんなAさんと、1年ぶりくらいに会ったけど、
ふとした流れで「命」の話になった。

Aさんは、
自ら命を絶つことについて、
簡単には受け入れられないという感覚を持っていた。
命は大切なものだからこそ、
そういう選択には否定的な思いがある、というような。
そしてもうひとつ、印象に残っている話があった。
とあるオリンピック選手のこと。
失敗すれば命に関わるような状況の中で、
それでも自分のやりたいことを選び、覚悟を持って挑んでいる人の話。
その姿に対しては、
簡単に否定はできない、という思い。
命を絶とうとする人には
「大切にしたほうがいい」と思う一方で、
命がけで挑むその姿も、
同じように否定しきれない。
その矛盾のような感覚の中で、
答えはわからないまま、話をしていた。
昨年くらいから、私は「翻訳」を使った活動をしていて、
そのこともAさんには少し話していた。
AIと対話しながら、自分の中にあった感覚をすくい上げるように言葉にしていった。
社会としては、きっと
「命は守るべきもの」とされていて、
だからこそ、自ら命を絶つことには否定的になる。
それは、「生きてほしい」という前提があるから。
一方で、個人の内側から見たときには、
そこまで追い詰められてしまった理由があって、
その人の限界は、外からは測れない。
だから、「その人の現実を尊重する」という見方もある。
どの立場に立つかで、
このテーマの“答えの形”は変わってしまう。
そしてもしかしたら、
「答えが出ないまま持っていること」そのものが、
ひとつの在り方なのかもしれない。
その“わからなさ”に触れているとき、
人はどこかで、相手と同じ場所に立とうとしているのかもしれない。
そんなふうに言葉にしてみて、Aさんとお話ししたら、
そこからまた新たな視点が生まれていた。
「“どうしてそう思うようになったのか”を、聞いてあげることなのかもしれないね」
その言葉を聞いたとき、
ああ、この人はやっぱり“生きてほしい側”に立ちながら、
ちゃんとその人の内側に触れようとしているんだな、と思った。
否定するだけでもなく、
理解するだけでもなく、
そのあいだで、
人に関わろうとしている感じ。
Aさんは「ほっとけないのよ」とも言っていた。
そういうところも、やっぱりAさんらしいなと思う。
私も学生の頃から20代、Aさんにたくさん助けてもらってきた。
気づけば、もう40年近くの関係になる。
そう思うと、なんだか静かにあたたかい気持ちが残った。
このまま、しばらくはゆったりと過ごしていこうと思う。

※内容はプライバシーに配慮して一部表現を調整しています。。

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