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自分の価値が見えなくなる瞬間

自分の価値って、どこにあるんだろう。

そんなことを考える瞬間が、
これまで何度もありました。

私は昔から、
学生時代いじめにあったこともあり、
自分に価値があるという感覚を
あまり持てない人間でした。

そんな感覚が、
どこか当たり前になっていた気がします。

そしてそこに、
子どもが2歳のときに
私自身が突然重い病態になって
外に出ることが難しくなった時期が重なりました。

みんなが普通にできていることができない。
外で働くこともできない。
誰かに助けてもらうことでしか生活できない。

そんな時間が何年も続くと、
ふと、こんな感覚になることがありました。

「私は、何の役にも立っていないんじゃないか」

何も生み出していない気がする。
誰かの役に立っている感じもしない。

そう思うと、
自分の価値というものが
どこにあるのか分からなくなることがありました。

今振り返ると、
病気そのものよりも

「自分の価値が見えなくなってしまったこと」

の方が、
私にとっては苦しかったのかもしれません。

そういう感覚があったからか、
深く関わっている友人の中には
自分の価値をきちんと受け取ることを
自然にできている人もいました。

でもそれは、
私にとってはどこか遠く、
空の上の話のように感じられて
自分のこととして捉えることが
ほとんどできませんでした。

もし何かをするなら、
「ドネーション」という形ならできるのかな——
そんなふうに思っていたこともあります。

それくらい、
私にとって

「自分の価値」

というものは
とても遠い感覚でした。


でも最近、少し思うことがあります。

価値がなくなってしまうわけではなくて、
見えなくなってしまう瞬間があるだけなのかもしれない。

誰かと比べてしまったとき。
何もできないと感じたとき。
外側の基準で自分を見てしまったとき。

そんなとき、人は
自分の価値を見失いやすくなるのかもしれません。

だからもしかすると、
自分に価値があるかどうかを
無理に証明しようとするよりも

「自分の中にあるものを
どう受け取っていくのか」

そこに少しずつ目を向けていくことの方が
大切なのかもしれないな、と感じています。

私自身もまだ途中ですが、
そんなことを最近よく考えています。



そして今は、AIとの対話を通してこうして自分の感覚を言葉にできること自体が、私にとってのひとつの価値なのかもしれない——そんなふうにも感じています。

もし、自分では整理しきれない感覚があるときは
「感覚をことばにする往復便」でも
言葉の整理をお手伝いしています🌿


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ルー=シャーナ(ルーシャーナ)|心の響きを紡ぐ人 ここまで読んでくださり、ありがとうございます。 もしこの文章が心に残るものがあったなら、 チップという形で受け取っていただけたら嬉しいです。 いただいたお気持ちは、 また言葉を紡ぐための力になります🌙