傷心中の俺に構ってくる人たらしの藤吉さん。
「ほんっとにありがとう!〇〇が背中押してくれたおかげで、営業部の××さんに告白する勇気出た!」
オフィスの給湯室。
夕方の西日が差し込む小さな空間で、同期の女性社員が飛び切りの笑顔を咲かせていた。
〇:……おう。良かったじゃん。頑張れよ...。
「うん!私、今日の飲み会の後に絶対に成功させてくるね!」
パタパタと高鳴るヒール音を響かせ、彼女は嬉しそうにデスクへと戻っていった。
残された俺は、手にしたマグカップの中の冷めきったコーヒーをジッと見つめる。
ずっと好きだった。
入社した時の研修で隣の席になって以来、仕事の愚痴を聞いたり、休日の過ごし方の話で笑い合ったりしてきた。
俺にとって彼女は、同期という枠を超えた特別な存在だった。
だからこそ、数日前に彼女から切り出された「営業部の××さん、すごくカッコよくない? どうやったら距離縮められるかな」という恋愛相談は、胸をエグるのに十分だ。
引き止める言葉なんて、いくらでも浮かんだ。
『俺じゃダメなの?』
『俺はずっとお前のことが好きだった』
なんて、ドラマみたいなセリフを吐ければどれだけラクだっただろう。
だけど、目を輝かせて恋する彼女の顔を見てしまったら、そんなことを言えるはずもなく。
結局俺は、××さんの好きなタイプやよく行く店をリサーチして教え、二人の接点を作り、挙げ句の果てに「絶対うまくいくよ」と背中まで押してしまったのだ。
……何やってんだろ、俺。
自分の意気地なさ。バカさ加減。 都合のいい「頼れる同期」を演じきって、勝手に自爆して。
胸の奥がぎゅっと絞られるように痛くて、息をするのも苦しかった。
夏:……遠回しに振られてんじゃん。

静かな声が、背後から降ってきた。
驚いて振り返ると、給湯室のドアの隙間から、自販機の缶コーヒーを手にした藤吉夏鈴がこちらを見下ろしていた。
ゆるく波打つ髪、少し眠たげな目。
夏鈴とは同じ部署で同期という関係値。
〇:……いつからそこに居たんだよ。
夏:最初から。全部聞こえてたよ。
夏:……『頑張れよ』なんて言っちゃってさ。ダサっ。
〇:……っさい。
夏:完全に脈ナシだったよね。都合よく使われて、アシストして。
夏:……バカなの?
ぐうの音も出ない正論が、鋭く刺さる。
夏鈴とは、残業中に屋上で缶コーヒーを飲みながらお互いの愚痴を言ったり、くだらない恋バナをしたりする間柄だった。
だからこそ、俺がどれだけあの同期の女子に恋をしていたのかも、夏鈴は全て知っている。
弱りきった俺の心に、夏鈴の言葉が容赦なく追い打ちをかける。
〇:……分かってるよ。俺がバカなことくらい。でも、あいつが嬉しそうにしてたから。
〇:……俺じゃ、あいつをあんな顔にさせてやれないと思ったんだよ。
夏:……ふーん。
夏鈴は深く溜め息をつくと、飲みかけの缶コーヒーをゴミ箱に捨て、俺のスーツの袖を強く引っ張った。
〇:え、ちょっと……なに?
夏:ほらっ、行くよ。定時過ぎてるし。
〇:いや、まだちょっと書類の整理が……
夏:そんなの明日。今の〇〇とこれ以上同じ空間にいたら、こっちまで惨めな気分になる。
〇:言い方……。で、どこ行くんだよ。
夏:いいから。黙ってついてきて。
夏鈴の手首のスナップに引かれるまま、俺は逃げるようにオフィスを後にした。
連れて来られたのは、会社から二駅ほど離れた路地裏にある、小さな居酒屋だった。
ガヤガヤとした喧騒。
仕事帰りのサラリーマンたちで賑わう店内の奥、狭いカウンター席に、俺たちは並んで腰を下ろした。
〇:……なんで居酒屋なんだよ。
夏:傷心中の男に一番効くのは、お酒と美味しいご飯だから。
夏:……すみません、生二つと、焼き鳥適当に焼いてください。
手慣れた手つきで注文を済ませた夏鈴は、テーブルに肘をつき、ジッと俺の顔を覗き込んでくる。
〇:……なに。
夏:顔に大きく『振られました』って書いてあるなぁと思って。
〇:書いてねぇよ。……まだ振られたわけじゃないし。あいつが告白して、成功するかどうかも……
夏:往復ビンタされたい?

真顔で物凄い暴言を吐く夏鈴。
夏:自分が一番分かってるでしょ。アシストした時点で、〇〇の勝ち目はゼロになったの。諦めなよ。
〇:……分かってるよ。分かってるから、わざわざ口に出すなよ……。
運ばれてきた生のジョッキを掴み、勢いよく半分ほど煽る。
冷たいビールが喉を通り抜けても、胸の奥のモヤモヤとした熱は一向に消えてくれない。
夏鈴は知らん顔で自分のジョッキを傾け、ぷはぁ、と小さく息をついた。
夏:……で? あの子のどこが好きだったの?
串焼きを口に運びながら、夏鈴が淡々と聞いてくる。
〇:……どこって。……笑顔が可愛くて。仕事でミスした時も、いつも優しく励ましてくれて。一緒にいると落ち着くっていうか……。
夏:ふーん。優しさなら、私だってあるのに。
〇:は? なんか言った?
夏:べつに。
夏:……〇〇って、女を見る目ないよねって話。

夏鈴は冷めた手つきでビールを口に運んでいた。
藤吉夏鈴という人間は、不思議なやつだ。
口数は少ないし、いつもどこか退屈そうに冷めた目をしている。
なのに、なぜか社内には彼女に密かに想いを寄せる男が多い。
無理に愛想を振りまくわけでもないのに、ふとした瞬間に相手のパーソナルスペースにぬるりと入り込んで、気づいた時には相手を魅了している。
社内でも有名な、天然の人たらしだ。
そんな夏鈴と、こうして二人でお酒を飲むのはこれが初めてだった。
夏:私と飲むの、嫌だった?
〇:……いや。別に嫌じゃないけど。お前、いつも一人でスッと帰るから、珍しいなと思って。
夏:〇〇が一人で泣きそうな顔してたからでしょ。放っておいたら、今夜あたり家で一人で暴れてそうだったし。
〇:泣かねぇよ、大人なんだから。
夏:今にも泣きそうな顔してるくせに。
夏鈴はクスッと小さく鼻で笑うと、狭いカウンターで少しだけ俺の方へ身を乗り出してきた。
ふわりと、夏鈴の髪からフローラルなシャンプーの香りと、ほんのり甘いお酒の匂いが漂う。
夏:……ねぇ、〇〇。
〇:......なんだよ。
夏:自分の好きな子を他の男に譲って、裏で一人で酒飲んで……何がしたかったの?
夏:悲劇のヒーローごっこ?
〇:っ……、お前さっきからズケズケ言いすぎだろ。俺だって、好きでこうなったわけじゃない
夏:じゃあなんで引き止めなかったの
いつも感情を表に出さない夏鈴が、真っ直ぐな瞳で俺を射抜いていた。
夏:『行くな』って言えばよかったじゃん。『俺を見ろ』って抱きしめればよかったじゃん
夏:なんで何もしないで、良い奴のフリして諦めてるの…...。
〇:……それは。
夏:バカじゃないの……ほんと、バカ。
夏:……〇〇のそういう情けないところ、本当に嫌い。

夏鈴は悔しそうに唇を噛み締めると、ポツリと溢すように呟いた。
〇:お前、今日やけに絡んでくるじゃん。いつもはもっと冷めてるのに。
夏:……〇〇が隙だらけだからでしょ。
夏鈴は残っていたお酒を飲み干すと、コトン、と静かにグラスを置き、ゆっくりと俺の方へ体を向ける。
カウンター席の距離は、最初から近かった。
だけど、夏鈴が肩を寄せてきたことで、お互いの服の袖が触れ合う距離になった。
夏:……ねぇ、あの子のどこがそんなに良かったの?
〇:……またその話? もういいだろ……。
夏:良くない。知りたいの。私と何が違うのか。
〇:……お前とあいつは全然違うだろ。あいつは……もっと素直で、可愛くて……
夏:私は可愛くないって言いたいの?
上目遣いで覗き込んでくる夏鈴の顔。
酒のせいでほんのりと頬が染まり、いつもは冷静な瞳が、潤んで光っていた。
〇:……そういう意味じゃないけど。お前は……高嶺の花だろ。会社でもモテるし、俺なんか相手にするような奴じゃないじゃん。
夏:……バカ。
〇:またバカって言った。
夏:バカだからバカって言ってるの。
夏:……私が誰の誘いも断って、誰と一緒に残業して、誰と屋上でコーヒー飲んでたと思ってるの?
〇:……え?
夏:会社の男なんて、みんな下心しかなくてウザい。……でも、〇〇だけは違う。
夏鈴の小さな手が、テーブルの上にあった俺の手元に伸びてくる。
冷たくて細い指先が、俺の手の甲にそっと触れた。
夏:〇〇は、いつだってあの子のことばかり見てた。……私のことなんて、ただの愚痴を聞いてくれる同期としか思ってないみたいに。
〇:夏鈴……お前、それ……
夏:あの子のために傷ついて、一人で落ち込んで……そんなの、見てて面白くない。
握られた俺の手の中に、夏鈴の指が滑り込んで、指と指が合わさり、しっかりと握り締められる。
夏鈴の体温が、俺の手のひらから全身へと伝わっていくようだった。
夏:……私じゃ、ダメなの?

低い、でもどこかとろけるように甘い声。
居酒屋の騒音が、完全に遮断された気がした。
〇:……お、お前、酔すぎ。
夏:酔ってない。……私、お酒強いの知ってるでしょ。
夏鈴は絡めた指にギュッと力を込めると、もう片方の手で俺のスーツの襟元を掴んだ。
逃がさない、と言わんばかりの強情な力。
夏:あの子のこと忘れられるくらい……私と楽しもうよ?
〇:っ……!
夏:私のこと、見てよ。

あの子に向いていたはずの胸の痛みが、激しい勢いで塗り替えられていく。
失恋の傷口に、夏鈴という甘い毒がじんわりと染み込んでいくようだった。
〇:……夏鈴、本気で言ってるのか?
夏:本気じゃなかったら、わざわざ会社から連れ出したりしない。
夏:……私ね、〇〇があの子の話聴くの、ずっと嫌だったんだよ?
〇:っ……。
夏:『あいつが可愛かった』とか『あいつと話せた』とか……隣で聞いてる私の気持ちも知らないでさ。
夏:どれだけ我慢してきたと思ってるの。
夏:これからは、私の話だけして。
夏:私だけ見て。……いい?

耳元で低く囁かれた、甘い束縛。
ずるい。 こんなの、落ちない男がいるわけない。
傷心で弱っていた俺の心の隙間に、彼女は完璧なタイミングで、完璧な温度で踏み込んできたのだ。
これが人たらしの本領発揮なのか、それとも彼女の執念なのか。
〇:……ずるいわ、夏鈴。
夏:……今さら言っても、もう遅い。

