大宇宙の悟り4 ムー文明が終わりを迎えた理由
1990年8月26日
千葉県幕張メッセでの法話
1万5000年前に沈んだムー大陸、そのムー帝国の指導者ラ·ムーが宇宙からの使者の来訪を受けたときの話になります。
宇宙人が語る「愛」とは何かについてです。
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「しかし、私は、おまえが今、頭を痛めている問題についても知っている。おまえは。『ムーに生きている人たちが、どうやったら幸せに生きていけるか』ということを念頭において、毎日毎日を苦しんでいるはずだ。『どのような教えを説けば、人々が、幸福に生きられるか』ということを、おまえは日々探求しているはずだ。
私は一言、おまえに言っておこう。
おまえたち地球の人間は、大切なことを一つ忘れている。いちばん大切なことだ。
人間として生きていく間に、おまえたちは『愛』という言葉を限りなく使っているが、私の目には、おまえたち地球の人間たちが使っている『愛』とい言葉は、どうしても愛には思えないのだ。
おまえたちが『愛』と呼ぶものは、所有欲にほかならないのではないのか。私たちは、そういう心を持っていない。少なくとも、おまえたちの先祖(の一つ)である、この星から来た私たちには、そのような心はない。
愛というものは『他の者を自由にしたい』とか『手に入れたい』とかいう、そのような思いではなくて、『ほかの人々を無限に美しく輝かせていきたい』という思いであるのだ。
愛に所有欲、そう、あの美しい女性を手に入れたいとか、この財宝を手に入れたいとか、こうした地位を手に入れたいとか、こういう家を、国をいろんなものを手に入れたいという思いが入っていると聞いたならば、私たちの星の人は、誰一人、信ずるまい。
『そんなバカなことがあるものか。そういう所有欲こそが、実は戦いのもとではないか、争いのもとではないか。それがもとで戦争が起きるのではないか。
だから、それは愛であるはずがない。愛は人々を幸福にするためにあるはずだ。そんな愛は間違いだ。それはまだまだ未開の人愛だ』と彼らは思って、おまえたちの考える愛など、決して理解することはないのだそのことを知らなくてはならない。
おまえは、私の言うことをよく聞きなさい。
ムー人々は優れた人々であるが、この文化の高みのなかで『驕る心』が出てきている。大殿堂をつくり、そして、自分の地位を顕示し、心を蔑ろにして、人々を自由に動かすことが偉いのだと思い始める人たちが次第に出ている。
それは、おまえが地上を去ったあとに、さらに拍車がかかってくることになるだろう。そして、この文明の終わりを迎えることになるのだ。
いや、それは、もう避けることができない事実であるのだ」
と彼は語って、さらにボタンを押しますと、海上のスクリーンに次なる光景が映りました。
それは信じられない光景で、自分が今、生きているところのムー大陸が沈んでいくところの光景でした。「信じられない」と、何度も何度も心のなかで叫んでしまいました。どんどん沈んでいくのです。
これほどつくってきた国が、東からだんだん沈んでいきます。一部の人々は船によって逃れることができましたが、ラ·ムーは叫びました。
「こんな危機が来るならば、私は、何とか人々を助けなくては!」
その宇宙人は言いました。「いやこれはおまえの時代に起きるのではない。もっと時代を下って起きる事態であり、おまえは、それをどうすることもできないのだ。」
ラ·ムーの目に涙が浮かびました。
「そんな無力な指導者であるならば、私はただいま、この国の指導者をやめてしまいたい。そんな無力な指導者であるならば………………」。そう語りましたが、しかし、その宇宙人は言いました。
「だが、おまえの国民たちに、未来ということを、おまえは説明することができるだろうか。おそらく、できはしまい」
確かに、ラ·ムーもそう思いました。なぜ未来が分かるのか、そのようなことを言うこともできないし、それを信じさせることもできいし…………。
「そうなのだ」。かの宇宙人は語りました。「人間には、今という時間しかないのだ。そのなかに過去·現在·未来がすべて入っている。おまえは今のなかを最高度に生きる以外に、輝かせる以外に、今、生命を持っている人たちの魂を救う以外に、道はないのだ」と。
ラ·ムーは驚きました。そして、その宇宙人の言っていることが、おそらく真実であろうということを確信しました。
彼は言いました。「あなたの名を伺わせてもらえませんか」。
その人は、「いや、わが名を語る必要はない」と言いました。
ラ·ムーは、「しかし、あなたは神のごとき人ではありませんか。神のごとき智慧を持っているではありませんか。ならば、この地上にとどまり、私の代わりにこの国を治めてくだされば、人々はどれほど幸福になるでしょう」、そう語りました。
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愛というものは『他の者を自由にしたい』とか『手に入れたい』とかいう、そのような思いではなくて、『ほかの人々を無限に美しく輝かせていきたい』という思いであるのだ。
🌈ほかの人々を無限に美しく輝かせていきたい🌈
キリスト教では「愛」を素晴らしいものだと教えられますが、お釈迦様は愛を渇愛(タンハー)として斥けるものとされています。
私たちの多くの考えている愛が「所有欲」でることを知って戒められたのでしょう。
大川隆法先生は、「与える愛」と「奪う愛」という言葉でこの愛について説かれました。
奪う愛は、やはり見返りを期待してしまう愛のことです。身近な人間関係でも、親子関係、夫婦関係、恋人同士、友人関係、上司と部下、あらゆるところで、私たちはこの愛の問題について 悩んだことのない人はいないのではないでしょうか。
思ったように認められない。これだけ尽くしたのに感謝されない。こうした感情はついつい出てしまっていると感じます。
これは、お釈迦様の説かれた執着なのでしょう。
愛に対する考えの間違いや人間の傲慢さが招いた世界の行く末。
ラ · ムーは、自らの治めた国が沈んでいく。
姿を見て、高い人格を持つ宇宙人に私の代わりに民を治めて欲しいと申し出るのですが………………。
