大宇宙の悟りり6 どのような危機の時代であっても道を拓け
1990年8月26日
千葉幕張メッセでの 大宇宙の悟りの説法です
1万8千人の人に、人類は宇宙から来た者の子孫でもあり、過去には高い文明を築いてきた存在であることを説かれました。
2025年の今現在聞いても、この話を真実を受け止めてくださる方はどれほどいらっしゃるでしょうか。
34歳という年齢で、この大宇宙の悟りを説いて1万8千人の人に説いて聴かせることは、やはり普通では考えられないことのようにも思います。
UFOや宇宙人、古代文明についても好奇心や関心を持つ人はいても、それが自分たちと本当に関わっている問題だと捉える人は少ないでしょう。
宇宙時代に入るときに、宗教の持つ意味や役割はどのようなものになっていくのでしょうか。
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宇宙人は笑います。
「ものごとは、このように原因·結果が巡ってくる。
今、お前がよいと思うことでも、将来は悪になることもある。その悪がまた、善になることもある。
それぞれの環境のなかにおいて、その原因·結果の連鎖があって、その時代そのの最高のもの、最高の考えというものがつくり出されてくるのだ。
しかし、それは『停止された状態において、これそのものが最高の考えなのだ、道徳なのだ、思想なのだ、哲学なのだ』というかたちで、固まったものがあるのではなく、いかなる環境下、いかなる時代下において生きていても、そのなかで最高なるものを目指そうとする人間の営為こそが、その珠玉の行為こそが尊いものなのだ。おまえたちは、それを知らなくてはならない。」
そう語り終えて、やがてまた階段を戻り、ハッチが閉まり、そのオレンジ色の物体がまた輝始めます。
オレンジ色ではあるけれども、なかは半透明であって、なかに何人かの人たちが入っているのが見えます。いずれの人も美しい顔立ちをしています。男女の別がはっきりとありました。
「いずれ、こうした人の仲間入りをしたいものだ」と、ラ · ムーは強く心に念じたのでありますが、やがて、彼らはその海辺から遠ざかってまいりました。
これが、今から一万七千年前にあった一つの事件であります。
それを契機として、このラ · ムーという人の思想はさらに深くなり、高くなりましたが、ただ、このときに知りえたことを、悟りえたことを伝える術はありませんでした。
それを一つのヒントにして、「人間というものが、それほど偉大な可能性を持っているものであり、われわれは、海のなかから這い上がって進化したような存在ではなく、原初より、あの神にも似た尊い祖先を持っている存在であったのだ」ということを知り、また「この地球を中心として、素晴らしい霊系団をつくっていったときに、やがて、彼らとも自由に交流し、お互いの文化高め合える時代が来る」ということを悟ったのでありました。
その後、このラ · ムーがまた、アトランティス大陸の末期、今から一万一千、二千年前に、トスという名で生まれ、「科学」と「宗教」と「政治」とを融合させる教えを説きました。
さらに、先程言った南米アンデスの地で、七千年余り前にリエント·アール·クラウドという名の嘔吐して生まれました。
さらに、今から四千三百年近い昔、ギリシアの
地にヘルメスという名で生まれました。
そして、二千六百年前に、インドの地でゴーダマ·ブッダ(釈尊)という名で呼ばれました。
それらの名で呼ばれた人々は、その宇宙人が語ったところの「エル・カンターレ」という魂の、それぞれの個性を持った一部であります。
このように、私たちの生きているこの地球の文明は、われわれが歴史の教科書で学ぶような、僅か三千年、四千年のものではありません。また、元人など、50万年前、100万年前に住んでいた猿に近い人類というのが祖先でもありません。
われらは、いつの次代にもたかい文化を経験して、そして、次から次へと文明を循環捺せてきた人々であるのです。
今また、これから、ムーやアトランティスの次代に似た、文明の最後の興隆が起きてまぎります。
これから、さまざまなことが
起きるかもしれません。
けれども、『太陽の法』のなかに書いてあるがごとく、
われわれは、過去、そのような危機をいつも乗り越えて、
新たな文明を作ってきたのです。
私の目は、すでに西暦2000年代に向いています。
さまざまな混乱が、今後、この十年にあったとしても、
そんなものは眼中にありません。
それから後に来る時代こそが、われらの正念場であります。
その時代に最高の文明と文化をつくり、
過去なかったような魂の輝きを放つことが大事であるのです。
そのような誇り高い歴史を生きてきた私たちであるならば、
どのような危機の時代にあっても、
必ずや道を拓いていくことができるものと信じます。
そのために伝道ということがあるのです。
これより後、さらに、この地上を光に満ちたものと変えていくために、
われらは、今こそ決起し、戦い抜かねばなりません。
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ものごとは、このように原因·結果が巡ってくる。
今、お前がよいと思うことでも、将来は悪になることもある。その悪がまた、善になることもある。
それぞれの環境のなかにおいて、その原因·結果の連鎖があって、その時代そのの最高のもの、最高の考えというものがつくり出されてくるのだ。
原因と結果の連鎖で物事は進んでいくというのは釈尊が説かれた縁起の理法ですね。
でも、そのときには善いと思われたものが次の悪になることもある
ということを考えいくと
人·時·場所で同じ行為が善にも悪にもなれることがあることがわかります。
この智慧を持たないと一律にこれは善だとか悪だとかという戒律で人間を縛っていくものになるでしょう。
例えば、性の問題についても、相手に対する尊敬や思いやりのないものであったり、未成年や責任を負わないで肉体的な快楽だけを求めるものであったり、不適切な場所であったりすると悪になってしまいます。
でも、それがすべて悪だとすると、子孫は生まれてきません。
宗教的にあれを食べてはいけない、これを食べてはいけないという教えも、その教えが説かれた時代、環境に合わせたものであった可能性もありますから、一概にすべて括ることはできないかもしれません。
停止された状態において、これそのものが最高の考えなのだ、道徳なのだ、思想なのだ、哲学なのだ』というかたちで、固まったものがあるのではなく、いかなる環境下、いかなる時代下において生きていても、そのなかで最高なるものを目指そうとする人間の営為こそが、その珠玉の行為こそが尊いものなのだ。
世の中が変化していくなかで、開祖が説かれた教えは時代や地域を超える普遍性があるものかどうかという問題があるのだと思います。
あの世があるというだけでもなかなか信じる人は少ないのにさらに宇宙存在の話までとなるとなかなか受け入れ難いものがあるであろうということを、大川隆法総裁先生は、時折話されていました。
しかし、初期の頃、1990年年の時点においてすでにこれだけの話をされていたのです。
今、人類が宇宙時代に入ろうとしているからこそ、過去の人類と宇宙との関係も説いておかないといけないと思われたのでしょう。
過去の歴史を知ることで、私たちは考える材料を与えられます。
宇宙人の話を荒唐無稽な話だとして斥けてしまうだけでは、新しい出来事に対処できないかもしれません。
確立した、従来の宗教が、時代的制約のもとで説ききれなかった部分や、人間を地球に縛り付けてしまいがちな教えでは、人類が宇宙に出ていく時代には、何が善で何が悪かを問われることも増えてくるでしょう。
🌈いかなる環境下、いかなる時代下において生きていても、そのなかで最高なるものを目指そうとする人間の営為こそが、その珠玉の行為こそが尊いものなのだ。🌈
私たちは、失敗したり、悪を犯したり、間違った行動をするとは思います。けれども、そのなかで、よりよい世界をつくろうとして努力している。間違いを犯さないように設計されたロボットのように人間はつくられていない。
その時に正しいと信じたものを精一杯生きています。
神の愛というのは、人間に与えた自由意思にあるのではないか。その自由意思を使って失敗や間違いを犯したり時に必要な教え「反省」
その時代において必要な教えを伝えることが「伝道」の意味でもあるのかもしれません。
愛·知·反省·発展の教えについて
❤️愛
❤️知
❤️反省
❤️発展
という四正道の教えは、人類を幸福にする原理であると今私たちは教えられています。
この反省の部分が、
世界にも、日本のなかにも欠けているし、
霊的世界の真実をを知るという
知も欠けている。
日本や世界の多くの為政者にも愛が分かっていない
庶民である私たちの多くも、どちらかと云えば人から与えてもらうことをもって愛だと考えることが多い。
愛についての理解が足りないのです。
発展については、科学技術の唯物的な発展を非常に重視する人たちもいますが
そこに愛や反省の教えが入っていないために他の者を害してしまうことがある歪なものになってしまう。
決起して戦い抜くという言葉はちょっとひいてしまう方もいるとは思うのですが、生々流転する世界と混迷の時代に人間の尊厳を奪うものに対しての思想を出していくというこです。
