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泣けたなら、それは「心が生きている」証拠【癒し最終話:前編】

もし、誰かの笑顔を見て涙が出たことがあるなら。
もし、風景や言葉や物語に、胸がぎゅっとなったことがあるなら。

それは、あなたの心が
「心が生きている」という何よりの証拠なのかもしれません。


心は、生きるために感じる力をしまってきた

生きていると、
人はたくさんのことを我慢します。

感じないほうが楽なときもある。
考えないほうが生きやすいときもある。

傷つくくらいなら、
閉じたほうが安全だと学ぶこともあります。

だから心は、
少しずつ、少しずつ、
感じる力をしまい込んでいきます

それは弱さではなく、
生きるための知恵です。

感動する力は、決して消えない

でも、完全には消えません。

どんなに蓋をしても、
どんなに閉じても。

感動する力は
心のいちばん奥で、ずっと息をしています。


ふとした瞬間に、心は目を覚ます

そしてある日、
ふとした瞬間に目を覚ます。

子どもたちの笑顔だったり、
誰かの優しさだったり、
言葉だったり、
風景だったり。

そのとき、理由もなく涙が出ることがあります。

泣いてしまう自分を責めてしまうとき

「なんで泣いてるんだろう」
「大したことじゃないのに」
「弱いのかな」

そう思ってしまう人もいるかもしれません。

でも私は、
まったく逆だと思っています。

泣けるということは、
感じる力が残っているということ。

心が、ちゃんと反応できているということ。

このシリーズが辿ってきた心の旅

ここまでのシリーズで、
私たちはこんな旅をしてきました。

第1話:
外の世界に心が共鳴した

第2話:
記憶がなくても、感情は生きていると知った

第3話:
自分を責める視点を、抱きしめる視点へ変えた

第4話:
今の自分が、過去の自分を育てられると知った

第5話:
比較さえも、癒しの入口だったと気づいた

最終話でたどり着く場所

そして最終話で、
たどり着くのはここです。

「私は、まだ感じることができる」

感動する力は、生きてきた証

感動する力は、
才能ではありません。
特別な人のものでもなくて。

それは、あなたが生きてきた証です。

傷ついても、迷っても、閉じても、

それでもなお、
感じる力を手放さなかったという証

泣ける私は、弱さではない

泣ける私は、弱い私ではありません。

泣ける私は、ちゃんと生きている私です。


心が動くということの意味

心が動いているということは、
人生に触れているということ。

誰かの幸せに、
胸が震えるということは、
幸せを知っているということ

感動できる人は、また幸せになれる

感動できる人は、
もう一度、幸せになれる人です。

なぜなら、
幸せを受け取る器が、ちゃんと残っているから。

あなたの中に生きている「感じる力」

どんなに過去が大変でも、
どんなに自分を責めてきても、

あなたの中には、
「感じる力」が生きている。

それは、
人生をやり直せる力と同じです。

心が疲れているときこそ思い出してほしいこととは?

もし今、
心が少し疲れていたとしても。

もし、
過去を思い出して苦しくなることがあったとしても。

泣けた自分にかけてあげてほしい言葉

泣ける自分を見つけたら、
こう思ってあげてください。

「私は、まだ生きている」
「私は、まだ感じられる」
「私は、まだ大丈夫」

このシリーズが伝えたかったこと

このシリーズは、
癒しを“完成させる”ための物語ではありません。

癒しが、もう始まっていると思い出すための物語です。

あなたの心は、壊れてなくて生きていた

あなたの心は、
壊れてなくて生きていた。

少し疲れて、
少し隠れて、
それでもずっと、生きていた。

生きている証としての涙

泣ける私は、
ちゃんと生きている。

感動できる私は、
これからも幸せになれる。

自分自身に贈ってほしい言葉です。

この言葉を、
どうかあなた自身に贈ってあげてください。

今日、心にそっと触れてみる

そして今日、
少しだけ胸に手を当てて、こう言ってみてください。

「ここに、ちゃんと生きている心がある」


最後まで読んでいただきありがとうございます。

スキやコメントをいただくことはとても有難く、
感謝でいっぱいです。

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