結婚に反対していた母がくれた、人生でいちばん嬉しかった“瞬間”
人生でいちばん嬉しかったこと
それは......
結婚式の日、母がそっと白いベールをかけてくれたあの瞬間かもしれない。
母の言葉が、心に届いた瞬間
7年前の春。
私は結婚式を挙げた。
扉の前で父と腕を組み、バージンロードを歩く。
2〜3歩進んでお辞儀をしたあと、私は母と向かい合った。
少しかがむ私に、母はベールをふわっと顔の前へ。
そして母は、こう言った。
「幸せになってね」

思いがけない言葉に、私はグッと涙をこらえながら、ベール越しの母の顔を見て小さくうなずいた。
あの瞬間、母の愛はまっすぐに、私の心に届いた。
でもね......
そんな母は、私たちの交際にも結婚にも、誰よりも反対していた人だったんだ......。
「まさか付き合ってないでしょうね」
夫と出会ったのは、式を挙げる6年半前。
ボランティア活動を通じてだった。
活動の話し合いの日には「通り道だから」とよく車に乗せてくれた。
帰りにご飯に行くこともあって、1年後にお付き合いがはじまった。
交際してまだ数か月。
彼と遊んで帰った日の夜、母がふと口にした。
「まさか、付き合ってないでしょうね……」
さすが母。なんでもお見通しだ。
返事に困っている私に、母は続けて言った。
「芸能人じゃないんだからね」
......彼は、10歳年上だった。
見た目も実年齢より年上に見え、不健康そうにも映る。
母は、娘の未来を思って、不安だったのかな。
私は当時24歳。
年上の相手ということで、母はきっと“結婚”も意識していたのだろう。
はっきり「反対」と言われたわけではなかったけれど、結婚には釘を刺されたようだった。
母に「伝え続けた」4年間
それでも、私は彼とのことを話し続けた。
・彼がどんなボランティアをしているか
・どこに行くのか、どこに行ったのか
・どれだけ私を楽しませてくれているか
・22時には必ず家に送り届けてくれること
彼を信頼してもらえるように。
私が幸せであることが伝わるように。
母が安心できるように......。
娘を振り回すような人ではないと、少しずつ伝えていった。
すると母は、ボランティア活動での取材を受けることが多かった彼が、テレビやラジオ、新聞に出ていると必ず教えてくれた。
「出てるよ」って。
テレビをつけて、ラジオをつけて、私のところまで来て教えてくれた。
でも母は、私に伝えるとすぐに離れていってしまう。
応援したい気持ちと、受け入れたくない気持ち。
母の中で、その両方が揺れ動いているようだった。
交際から4年後。
私たちは「結婚しよう」と心を決めた。
母からの「許し」
「ねー、あのね......結婚することになった」
私は、小さな声で母に伝えた。
すると母は、「えー……イヤよ」といい、それ以降の話は聞いてくれなかった。
でもその後、言葉少なに、顔合わせの日を一緒に決めてくれた。
父にはそのあと、「この日に顔合わせするから」と伝えた。
するとあっさり、「うん」の一言だけ。
「誰でもいいの?」と聞いたら、
父はこう言ってくれた。
「カハリーが決めた人なら誰でもいいよ。
カハリーを幸せにしてくれる人は、パパにはわからないからさ」
......私の選択を信じてくれている言葉だった。
けれど母は、顔合わせまでの1か月間、彼の話はしなかった。
顔合わせの日。
楽しい会話が続く中、結婚の話題は一切出ず、食事が終わろうとしていた。
そして夫が、私に小さくささやいた。
「……いつ言おうか」
その声をきっかけに、話していた声も、笑っていた笑顔もすっと静まった。
父、母、兄、姉。
全員が、私たちを見つめ、夫は言った。
「カハリーさんと結婚させていただいても、よろしいでしょうか」
少しの沈黙のあと、母が言った。
「大切に育てたので、大切にしてください」
夫もはっきりと応えた。
「大切にします」
母からのその言葉に、私はこみ上げてくるものを感じた。
結婚を許してもらえたことだけではなく、母がこれまで私をどれだけ大切に育ててくれたのかが伝わってきて、胸が熱くなった。
あの瞬間を、一生忘れない
それから1年後、春の訪れとともに、私たちは結婚式を挙げた。
式の準備中、私は妊娠がわかった。
式のとき、お腹の中には5か月の命が宿っていた。
実家を離れて1年が経っていた私は、寂しさよりも感謝の気持ちが大きかった。
扉の前で父と腕を組んだ瞬間、
優しさに甘え、ワガママばかりだった自分がよみがえった。
そして、扉が開き、2〜3歩進んでお辞儀をし、母と向かい合った。
ベールをかけてくれたあのとき、母は言った。
「幸せになってね」
母の目には、うっすらと涙。
私はグッと堪え、小さくうなずいた。
それは、結婚して初めて母からもらった言葉だった。
反対されていたからこそ、あの一言が、ずっと心に残っている。
私だけの、母からの愛。
人生でいちばんうれしい瞬間だった。
母のように、愛を伝えていきたい
もちろん今でも母は、ときどき寂しさをこぼす。
「女の子2人育てたのに、みんな遠く行っちゃって……」と。
そのため、ときどき私や孫たちと会って一緒に過ごしている。
でも、あの瞬間、母は私の幸せを願って送り出してくれた。
私という存在は、私だけのものではなく、
父と母が形づくってくれた、大切な命のつながり。
だからこそ、私は自分を大切にしたいと思えるようになった。
わが子が生まれたとき、
わが子が何かをできたときも、もちろんうれしい。
でも、“育ててもらった私がいる”ことへの感謝を、忘れずにいたい。
そして私も、母のように。
言葉で、行動で、まなざしで、愛を伝えられる人でありたい。

大切に育てるね
最後までお読みいただき、ありがとうございました。
