「安いから」で選んでしまう...娘がくれた“ものを大切にする”原点
「安いから」で選んでしまう…
娘がくれた“ものを大切にする”原点
「それいる!これもいるの!」
4歳の娘は、そう言った。
ぐしゃぐしゃの紙切れも、壊れかけの空き箱も、娘にとっては宝物。
私には“ごみ”に見えても、娘には“作品”。
命が吹き込まれている。
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いつからだろう。
「安いから」「すぐ手に入るから」と、必要以上に物を買うようになったのは。
100円だから、気軽に手が伸びる。
壊れても、「まぁ、100均だから仕方がない」と言い訳しながら、ゴミ箱へ。
壊れたら、また買えばいい。
そんなふうに、使い捨てるようになっていた。
でも、子どもが大切にする姿を見ていると、「私は、ちゃんと自分のものを大切にできているだろうか」と...
心のどこかでゴミ箱に手を伸ばす自分に、胸が痛むことがある。
もともとは、いいものを大切に長く使う方だった。私の子ども時代の服を、今は娘が着ているほどだ。
親から受け継いできたはずの「ものを大切にする気持ち」。
でも今は、いつでも手に入るから、いつでも手放せる。
安いものは直してもまたすぐ壊れるから、諦めて捨ててしまう。
「また買えばいい」と思っていた。
そんな自分に、はっとする。
娘は毎日のように園から作品を持ち帰ってくる。
鞄のあちこちから出てくる、折り紙や空き箱、カップでつくった世界にひとつの作品たち。
うれしそうに取り出して、「見て見て!」と話してくれる。
けれど、作品を置いている場所は、すぐにいっぱいになってしまう。

ゴミではない。


「これは、もう捨てていい?」
そう声をかけると、娘は慌てて言う。
「それいる!これもいるの!」
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私は、かつて保育士だった。
廃材を使って遊ぶことを大切にしていた。
そこには、たくさんの「育ち」があるから。
・創造力・想像力が育つ
・身近なものを大切にする心が育つ
・環境へのまなざしが芽生える
・「自分だけの世界をつくる」喜びがある
そのため、娘の「残したい」という気持ちを、簡単には否定できない。

空き箱や洗って乾かした容器を集めた
「材料入れ」がある。

そうめん流しを作った。

5人用の鬼の帽子を作って
園に持って行っていた。


切ってコレクションにする。



アイスのカップは、種入れになる。

積み上げて遊ぶこともできる。
水遊びにも使える。

壊れても修理して、
もう5年以上使っている。
買ったおもちゃよりも、作ったものの方が、ずっと長く大事にされている。
市販のものは手に入れた瞬間こそ喜ぶけれど、すぐに飽きてしまうこともある。

しまわれている物たち。
フリーマーケットで、
子どもたちの手で次の人に手渡す予定だ。
一方で、自分で作ったものには、特別な愛着が宿る。
ゴミになるようなものでも、また使える。
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…とはいえ、置ける場所には限りがある。
すべてを残しておくことはできない。
そのため、写真に撮って、娘と一緒に
「残すもの」「手放すもの」を選ぶようにしている。

作ったものを手に持つ顔は、いつも笑顔。

特別なものは、1枚の紙にまとめて飾ったりしている。
片づけても、片づけても増える子どもたちの宝物たち。
「全部は無理だけど、想いは残したい」
そんな選び方も、またひとつの“ものを大切にする”カタチ。
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でも、こうして子どもたちには“ものを大切にすること”を伝えているのに、自分のものはどうだろうか。
「これは、もういらない?」
「これは、まだ使えるかな?」
今の私は、すぐに“いらない”と判断してしまいがち。
子どもたちは「これもまだ使える」「ここが好き」と、一つひとつと向き合っているのに。
私も寄り添うようにしているのに。
たとえ誰かにはガラクタに見えても、
子どもにとっては、かけがえのない宝物かもしれないなって。
ありふれたものの中にある価値を、子どもたちは自然に見つけている。
捨てられるようなものにも、新しい命を吹き込んでいる。
その姿に、私は“ものを大切にする”原点に気づかされた。
ものとの向き合い方を、改めて考えるきっかけになった。
私たちは、つい安さに惹かれて買い、手軽さゆえにすぐ捨ててしまう。
でも本当に、それでいいのだろうか。
「これはまだ、使えるかもしれない」
そんなふうに、一度立ち止まることができたなら...
小さな気づきが、子どもたちにも、地球にも、
きっとやさしい未来につながっていく。
それは子どもたちのものだけに限らない。
私自身も、子どもと一緒に「ものを大切にする心」を育てていく必要がある。
