最後に「抱っこして」と言われた日
「抱っこして」
7歳の息子が、私の耳元で小さく言った。
最後に「抱っこして」と言われたのは、いつだろう。
そう聞かれて、すぐに答えられる親は、きっと少ない。
子どもって、いつの間にか成長している。
できることもどんどん増えている。
最後にスプーンを口に運んで食べさせた日のことなんて覚えてない。
最後にオムツを替えた日も覚えていない。
最後くらい思いきり味わいたいのに......
“これが最後”だなんてわからないことは多い。
最後に母乳を飲ませた日のことは覚えているのにね。
きっとそれは、「これで、最後にする」って、私の中に覚悟があったからだろう。
たまに目にする、“今だけ”という言葉。
先日、7歳の息子が抱きついてきて、頭をなでながら、ふと思い返した。
最後に「抱っこして」って言われたのは
いつだろう......
息子は1歳2か月に歩きはじめた。
その翌日に、娘を妊娠していることがわかった。
でも、抱っこ抱っこの甘えん坊。
“大人の都合で、我慢させたくない”
そんな気持ちで、妊娠中も抱っこし続けた。
一歩が出たらすぐに歩きはじめたのに、ひとりでは歩こうとしない息子。13センチの靴は今でもピカピカのままだ。
幼稚園に入ったころは、担任の先生に「体力がない」と言われるほどだった。
でも、赤ちゃん返りはしなかった息子。
抱っこくらいは甘えたいだけ。
「もういいよ」と言われるまでは…。
そう思いながら、旅行に行っても、娘と息子を両手で抱っこ。
お家にいても、娘を抱っこして、息子をおんぶする。
ご飯を作るときも、だんだん重たくなる息子を感じながら、片手で作っていた。
自立を妨げていないかと悩んだこともある。
それでも、迷いながらも、
この子は、他の子より甘えたい器が大きいだけ。
そう思いながら、どんなときも、ずっとずっと抱っこし続けた。
そんな息子は、今、7歳。
もう「抱っこして」と言わなくなった。
いつからかは、わからない。
でも、今でもくっついてはくるし、ぴょんと背中に乗ったり、飛びついてきたりすることは、娘より多く感じる。
「抱っこして」とは言わないけれど、まだまだ触れていたい安心は、求めているのかな。
「“抱っこして”って言ってよ」
いつものように飛びついてくる息子に言ってみた。
息子は大きくなったことも自覚がある。
恥ずかしくて笑いながら、首を振った。
でも、抱っこからは降りない。
そのあとも、また飛びついてくる。
その次も。
いつもより多く感じた。
そして、4回目。
ソファーの上から、隣にいた私にぴょんと飛びついてきて、何も言わず、ぎゅっと抱っこしているときだった。
息子は私の耳元で小さく言った。
「抱っこして」
周りからしたら、こんな年でと思われるかもしれない。でも、言葉にしてくれたこの気持ち。
きっと息子も、久々に言葉にして気づいただろう。まだまだ甘えたい本当の自分の気持ちを。
その日の夜、お風呂に入っても、息子はいつもと違った。
先月、自分で髪を洗えるようになった息子が、「ママ洗って」と言ってきた。続けて、「前みたいに抱っこして洗って」と。
彼の声からは、恥ずかしさなんてなかった。
きっと大きくなっているようで、本当は言葉にしないだけで、変わっていなかったのかもしれない。
私は喜んで洗った。寝転ぶ息子を両手でかかえて。「重くなったね」って言いながら。
すると、「こうしたらどう?」とお尻は床につけて、洗いやすくしてくれた息子。
前なら、「痛い」とか、「顔拭いて」とか言われてたのにな。
優しくなってた。
子どもの成長は、あっという間に。
いつの間にか成長している。
最後がいつだったなんて、覚えてない。
でも、こうして息子はお願いしてきた。
ずっと続くことはないとわかっている。
だからこそ、
“もしかしたら、これが最後かもしれない”
私はそう思いながら、息子の頭をていねいに洗った。
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子どもって周りの人によって、「自分は大きくなっているんだ」って感じたり、
体の見た目や力の変化で自信がついて「大きくなった」と感じるのかもしれない。
でも、“心”って、後から大きくなるものなのかもしれない。
息子が「抱っこして」と言ったとき、そう言えない環境を私が作っていたかもしれないと、反省もした。
でも、ごめんねって思いながら、久しぶりに聞けた言葉に、なんだかうれしくもあった。
いつもとは違う感情で、あの瞬間ぎゅっと抱きしめていた。
成長を止めるような行動かもしれない。
それでも、息子の心の声を聞きたかった。
自然と大きくなっているようで、きっと息子の中に変化はあったはず。
だからこそ、卒乳した日のように、最後は味わいながら、
小さかったキミに「さよなら」と「ありがとう」を伝えたかった。
いつの間にか、ではない。
「これが最後」
そう思いながら、キミは大きくなっていく。
