"忘れない"から生まれた大切な繋がり
先日、我が家に大きな段ボールに入った荷物が届いた。
受け取ってまず見るのは、差出人。
"〇〇ちゃんからだ"
子どもたちは、いつも荷物が届くとうれしくて、
「何が入ってるのかな♪」
と、私がカッターを取りに行くのも待てないくらい、がんばって開けようとする。
カッターで切って、子どもたちが勢いよく開ける。
真っ赤な大きなりんごが
たっくさん入っていた。

すぐに夫に連絡。
冷して切って子どもたちと食べる。
子どもが食べているときの、うれしそうな写真を撮ったり、りんごを持って"ありがとう"の動画を撮る。
撮った写真や動画は、夫や送ってくれた人に送る。
久々に電話をしたり、お互い温かい気持ちになりながらLINEでやりとりしたりする。
私たち家族は、
"あの日"を境に、1年間に何度もこのやりとりをしている。
うれしい...といっていいのかわからないが、
大切な繋がりなのだ。
あなたも覚えているだろう。
"あの日"というのは、
2011.3.11
東日本大震災のことだ。
*-*-*-*-*
夫は、2011年の春、居酒屋の店主の一言で心動いたようだ。
福島の子どもたちが放射能の影響で外で遊べなくなったことで、自分に何ができるのか...
そこから、幾度も迷い、何人もの方に背中を押してもらいながら、夫はボランティア団体を立ち上げた。
"福島の子どもたちを、外で思いきり、自由にのびのびと遊ばせてあげたい"
それが最初に形になったのは、2011年の冬。
夫は福島の子どもたちを迎えにいき、12泊13日愛媛で過ごしてもらったのだ。
私もその最初の学生ボランティアとして参加。
大学の授業での、ボランティア実習で担当してくださった方からのお誘いがきっかけだ。
でも、実ははじめ、私は断っていた。
震災で辛い思いをした方たちに何かをしたいと誰もが思ったと思う。
私もそうだった。
でも、怖かった。
自分に何ができるのかわからなかった。
自信がなかった。
どんな深い傷を負っているかわからないから
怖かったんだ。
でも、私は"逃げる自分"になったとき
ある2つの言葉を思い出した。
1つは、社会人1年目で忙しさに友人からの誘いを全部断って、仕事一筋でやっていたときの
ある1人の友人からの言葉だ。
「いつも忙しいって言って諦めるんじゃなくて、時間は自分で作らないとできないんだよ」
私は社会人から大学へ編入して、自然と時間はできた。
でも、"忙しい"を言い訳にしようとしていた。
2つ目は、大学に入学したときのこと。
はじめ、大学に入ると決めたときは、私は"大学とは自分のために学ぶところ"だと思っていた。
でも、違っていた。
入学式で学長先生が言った。
「“誰かのために”といつも思いながら学生生活を送ってください」
私はそれからいつも“誰かのために”と思いながら、自分の時間を人のためにあてることにした。
まずは学校の清掃ボランティア活動に参加。
授業も再び保育士になるために、子どもや保護者のことを考えながら。
コーラスや聖歌隊の活動も、聴いてくださる方のことを想いながら。
私はその2つの言葉で、
楽しいことが増えた。
頑張れる力になった。
自分らしくいられて
感謝の気持ちが生まれて
大切な時間や嬉しい時間
にもなっていた。
なのに...
福島の子どもたちが愛媛に来るから参加しないかと誘われて、断ったんだ。
でも、その2つの言葉があったから、
「やっぱり、参加させてください!」
と数日後、連絡した。
最初、福島の子どもたちが愛媛に来たのは小学生20人。そこから30人とか。
大晦日から1月3日までは子どもたちの家族も来ていて、当時夫は一緒に過ごしていた。
学生ボランティアは、3つの受け入れ地域ごとに入れ替わり、私は最後のプログラムで参加。
最初から参加していたボランティアや子どもたちはみんな疲れていて、組んでいたプログラムをやめてゆっくり過ごすことも多かった。
初めて親元を離れた子もいたり、初めての宿泊する子もいたりする中での長い宿泊。
震災があって不安な中、初めての場所で、知らない人ばかりの中で過ごすなんて。
ホームシックになる子もいたが、気持ちを表に出していない子がほとんで、はじめは楽しみより不安の方が大きかったはず。
送り出してくださった親御さんの気持ちは、夫が一番感じているのではないかと思う。
この活動は、
2011年の夏、北海道から始まり、次に愛媛が手を挙げた。その後、横浜、岐阜、長野、石川、京都、兵庫、長崎、熊本、全国で動き始めた。
子どもたちは、行きたい場所を選んで参加していた。
5年間という約束で、愛媛では、夏休みと冬休み計8回、子どもたちを受け入れた。
活動内容も少しずつ変わり、学生ボランティアがプログラムを考えたり、子どもたちをお客さん扱いではなく、体験学習を取り入れたり。
この辺は、夫がいつか書くかな。
私も8回全部参加して、学生ボランティアリーダーをしたり、全泊したり。
学生ボランティアは、何度も参加しているメンバーも増え、話し合いも重ね、仲が深まった。
子どもたちも、愛媛の地域の人や学生たちとの繋がりができ、安心して、何度も愛媛を選んでくれる子も。
5年間で、たくさんの繋がりが生まれた。
最後には、活動にかかわった全国の方が福島に集まった。


みかんの紙には、子どもたちの夢が書いてある
親御さんとも初めてお会いして話したり、子どもたちの家にホームステイもさせてもらったり。
福島の子どもたちは、
愛媛の子たちとなんら変わらないよ。
元気いっぱいでかわいくて。
でもね
2011年の冬
「わたし、こんなに笑えるんだ」
って、真冬の海に足をつけてた。
アンケートで、"今後やりたいこと"の欄に
「じゅうぶん楽しんだ」
って、書いてた。
またプログラム最後の日、アンケートの一番下に、こちらが"ありがとうございました"と書いていると、
「こちらこそ、ありがとございました」
って、かわいい字で書いていたんだよ。
プログラム中には、子どもたちの作文を読んでもらう機会があった。
「震災を忘れないのと同じように、愛媛での思い出も忘れません」
最後のプログラムで、6年生の女の子が言ってた。
そのとき、みんなすっごい愛媛での生活を楽しんでた。
出会えたことに嬉しいと思っていた。
でも、震災を忘れたいけど、忘れられない人もいて...
"忘れてはいけないんだ"
と、大人である私に、その子が教えてくれた。
2015年、福島の状況も見てきた。


当時は、旧警戒区域

"富岡は負けん!"
ここは、車から出たらいけない場所
避難区域ギリギリまで行った。
語り部さんの話も聞いた。
仮設住宅に住む方たちや、子どもたちを私たちに預けてくださった親御さんの思いも聞いた...
愛媛で笑顔になれた思い出が
子どもたちの心の中にいつまで残り、
これからの人生での心の支えになってくれたら嬉しいなと思った。
*-*-*-*-*
最後のプログラムから、もうすぐ10年。
こうやって、今でも"ありがとう"を届けてくれる。
年賀状をやりとりして、頑張っていることを教えてくれたり、
親御さんが、入学式の写真を送ってくれたり。
私たちも、
「受験がんばってね」
ってお守り送ったり、
「野球の試合、みんなで応援してるよ!」
って、ボランティアメンバー集まって寄せ書き送ったり。
"成人、おめでとう!"
"就職、おめでとう!"
ボランティアメンバーで、
「何送る?」
「このネクタイ、似合いそうだよね♪」
「みかんいっぱい詰めようよ!」
なんて、今でも話し合っていたりもする。
最近は、子どもたちも携帯もって、家を出た子も増え、直接子どもたちとやりとりもしている。
「成人式で、一緒に愛媛に参加したメンバーが集まったよ!」
って、子どもたちが電話くれたり、
愛媛に旅行に来たり、我が家に泊まったりもしてくれて。
うちの子たちと優しくかかわってくれる姿を見て、お姉さん、お兄さんになったなーって思う。
お互いの地域で災害があっても、
「大丈夫?他のみんなも大丈夫?」
ってすぐに連絡し合ってて。
みんな、兄弟、家族のような繋がりを持ち続けている。
うれしい仲間
大切な人
でも、決して忘れてはいけないのは、
震災がきっかけであったこと。
夢を追いかける、彼ら彼女ら、そしてそれを支え見守る、お父さん、お母さん。
私たち夫婦は、
ずっと...
いや、
一生
この繋がりを大切にする。
いつも
"ありがとう"を
ありがとうございます。
大切な人たちの将来の幸せを願いながら、
これからも、夫婦で想い届けていく。
*-*-*-*-*-*-*-*-*-*
ここまでお読みいただき、ありがとうございます。
夫も以前、noteに書いていたので、載せておきます。

あの日から海に入れなくなった子が、この美しい海で泳ぎ、喜んでくれたんです。
私自身、自分が生まれた町を思う気持ちも、育ててもらったなと思います。
