戦国時代の合戦場に付いて思うこと
最近noteに色々と戯言を書いています。
戦国時代のことを書くことも多いのですが、あれ?これはどうやっていたの?実際に出来るの?と、「?」が次々と出てきます。
以下は私の仮説です。
戦国時代の合戦には、川の名前が付いたものが多くあります。
姉川の戦い、手取川の戦い、川中島の戦い、犀川の戦い、長良川の戦い等々。
川が国境である場合もありますが、大軍が戦える場所――河原や中洲――が戦場になっているとも考えられます。
大軍が激突した関ヶ原は、山に囲まれた盆地で扇状地が広がり、水田もあったと思われますが、季節が秋で稲刈り後だったため、大軍が展開できたのでしょう。
三方原は台地で水の便が悪い荒地でした。
平地は水田か湿地、水郷だったと思います。
意外に使えません。
山と川が多い日本では、中国のように大軍が陣形を組んで戦える場所が、あまり無かったのではないかと思っています。
戦国時代の軍は、国衆や有力家臣がそれぞれ1,000人前後の規模で指揮する兵力が、いくつか集まって出来ていたのではないでしょうか。
1人が一度に指揮できる最大規模も、その辺りだったのではないかと思います。
仮に一万石で250人の動員だとすると、4万石で1,000人動員となり、十分に大名クラスの軍役規模です。
つまり、数万人が一つの陣形を整えて戦うのではなく、独立した部隊がそれぞれ並行して局地戦を戦うのが、戦国時代の合戦の実態ではないでしょうか。
信長のような大名が、お前の隊は川沿いに進めとか、北から回り込めとか大体の指示を出して、後は部隊長に任せる感じです。
鶴翼の陣や魚鱗の陣は、江戸時代の軍学者が中国の古典を参考に作り出したものだと思います。
皆様のご意見をいただければ幸いです。
