あるスペイン語通訳のモノローグ
私がスペイン語通訳の仕事を始めたのは20代半ば頃です。まだスペイン語の通訳法を教える学校はなかったので、現場で失敗を繰り返しつつ、同レベルの仲間と切磋琢磨してスキルを磨きました。その結果、30代半ばには公的機関の仕事の依頼も打診されるようになりました。
そうなると、同時通訳のようなもっと難しい仕事がしたいという願望が芽生え、仲間が立ち上げた勉強会に参加し、スペイン人講師を招いて猛勉強しました。皆同時通訳者になりたいと必死でした。
フリーランス、いわゆる自由業の代表格である通訳業は、電話かメールでの仕事の依頼をすぐに引き受けなければ、その仕事は他の人に回ります。だから、皆必死で仕事を逃さないように、電話やアイパッドに張り付いています。その結果、意図しなくても、誰かが打診された仕事を奪うことになってしまうのです。
自分にはレベルが高すぎると思う仕事の依頼があった時、ある大御所に相談しました。すると、大御所は依頼先の人材派遣業者に、「彼女には不相応なので、自分が引き受けます」と言って、その仕事はあっさり奪われてしまいました。確かに自分には難しすぎましたが、まさか尊敬する大先輩に取られるとは思っていませんでした。相談に乗ってくれるだろうと考えた私には、まだプロ意識が不足していたと言えます。
仲間とは仕事を分け合い協力する半面、自分だけ仕事がないと、嫉妬心が芽生えます。一見仲がいいようでいて、実はライバル意識満載です。そんな中で、この仕事は自分には向いていないのではないかと思い悩んだ時期があります。
ある日検診で立ち寄った保健センターで、「悩み相談」のコーナーを見つけたので申し込んでみました。白衣を着てはいても、香水がきついカウンセラーらしからぬ人でしたが、今までの経緯を説明し悩みを打ち明けると、よく話を聞いてくれました。
忙しく仕事はしていましたが、「私は認められていないと思う」と訴えると、思いがけず、「そうでしょうか?」という返事が返ってきました。彼女は私とは反対意見でした。これには納得できず、もっと認められたいと願いました。
カウンセラーのアドバイスで記憶に残っているのは、「人に自分の弱みを話さないほうがいい」ということです。確かに仲間内では仕事の悩みをよく話していました。けれども、仕事がからむと、それが命取りになると言いたかったのでしょう。プロなら、公私は切り離すべきだと教えてくれたのです。私はしばらくして勉強会を退会しました。
すると、個として行動できるようになり、とても気が楽になりました。もう、みんなで固まって外敵から身を守る時期ではなくなっていたのです。
そのころ40代になっていた私は頻繁に道を聞かれました。毎日、多い時は一日に3回ということもありました。バス停で数人がバスを待っている中で、人は私に道を聞きます。「仕事ができる女」だと思われたい気持ちが全身に漂っていたのではないかと思います。随分背伸びしていたものです。
それまで、同業者としか付き合わずにやってきたので、他の世界に目を向けてみようと思いました。
水が合わない場所でいくら頑張っても、思うような成果が出ないなら、別の可能性を探るしかありません。私は通訳と同時進行で、教職に就きました。教師は自我を抑える真逆の仕事です。
学生には申し訳なかったですが、最初はしどろもどろでした。90分の授業は長く、学生があくびをすると、教え方が悪いのかと悩みます。「飽きない授業」を目指して奮闘しても、大小の問題は起きます。
スマフォは学生の手の一部です。女子学生が目の前に大きなカバンを置いて、スマフォをこっそり使ったつもりでも、こそこそした態度からピーンとくるものがあります。テストで二枚の用紙に同じ間違いが並んでいると、またもピーンときます。ホスト風の男子が、授業を抜け出して戻ってきたときに、たばこの匂いが漂っていると、注意しようかどうか迷うのです。
思考錯誤するうちに、7年目のある日、「今日は落ち着いて授業ができた」と感じたときに、やっと自信がついたように思います。
約20年教えて、一昨年教職は卒業しました。教えることは楽ではありませんでしたが、成績が振るわない学生を励ますと、やる気を出して、次第に成績が良くなる姿を見るのは無常の喜びです。彼らの成長は私の成長でもありました。
こうして、通訳業での人間関係も順調になり、やっとプラスとマイナスがほどよくバランスが取れるようになったのです。
試行錯誤を繰り返しましたが、すべての経験は無駄ではなかったと思っています。

