怖がり|正義感が暴走することへの恐れ
ズル賢こさに、どうも昔から嫌悪を抱く。
小学低学年から始めた空手で正義を学び、中高学校時代の野球やラグビーでスポーツマンシップを学んだ。そして社会人になってからは誠実が売りのセールスマンシップを学んだ。
通じるのは、「人としてどうあるべきか」という問いなのだと思う。
正面の信号機に従って待てば良いのに、コンビニワープで赤信号を逃れるドライバーを散見する。
立派な犯罪を白中に堂々とやってのける姿が愚かで浅ましく感じてしまう。
急激に歩道を横切る危険、施設駐車場内を走り抜ける浅はかさ、時間短縮をさも得意げに走り去る姿。
怒りを通り越した呆れの境地。
もちろん、自身の辞書にはコンビニワープという言葉は存在しない。
他人の行動に気を奪われる必要はないのだろうか?
自身の正義感という塊が、時々手に負えない重たさに感じることがある。
横断歩道を渡っている人がいるにも関わらず、目の前をすり抜けるように走り抜ける車も頻繁に目撃する。
こんな時、パトカーや白バイが近くにいればいいのに。
自身に資格があれば、直ちに検挙するだろうにと思っている。
自分を守ること。そして相手の安全も確保すること。そして願わくば交通流として大きな流れに貢献すること。
こんな正義感を常に抱いているのは確かだが、無関心な方々にとってはお節介、余計なお世話と映るのだろう。
また、お節介が過ぎた先には、人間関係(感情的)な衝突によるトラブルも可能性として浮かび上がる。
見ないふり、知らないふりをしているのが得なのだろうか。
いや、そんなはずはないと気持ちが揺れ動くこともある。
もちろん交通ルールは守られるべきだと思っている。
危険な運転を見れば腹も立つ。
見過ごして良いとも思わない。
しかし最近は、別のことも考えるようになった。
違反者に腹を立て続けることで、自分自身の心まで荒れてしまわないだろうか、と。
正しさは大切だ。
だが、正しさだけでは人は生きていけない。
見て見ぬふりはしたくない。
しかし、怒りに支配されるのも違う。
その間のどこかに、自分が立つべき場所があるのだろうと思っている。
そして実は、その場所を見失うことこそが、私の恐れていることなのかもしれない。
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