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追突事故が教えてくれたこと

頭上10メートルから見ていた私

先週末、運転中に思いがけない出来事が起きました。

前方の交差点を、サイレンを鳴らした救急車が横切ろうとしていました。私は当然のように停車します。隣のレーンの車も同じように止まっている。ごく普通の、日常のワンシーンでした。

しかし、

次の瞬間、後ろから猛烈な衝撃が来ました。


茹でダコになった青年

後続車から降りてきたのは若いの白人男性。
コンサートに向かう途中だったそうです。
おそらく、救急車のサイレンが聞こえないほどボリュームを上げて音楽を聴いていたのでしょう。

彼は前方が大破した自分の車のを見ると、顔を真っ赤にして
「なんてこった!!!、買ったばかりの車が……!!#@$%^&!!」と、叫び出しました。

正直に言えば、私も全く動揺しなかったわけではありません。それでも、自分でも驚くほど冷静に対応することができました。

彼の感情の波にのみ込まれないよう、自分の中に境界線 (結界) を引いて、他の車の迷惑にならないよう、彼を近くのスーパーの駐車場へ誘導しました。


「敵」ではなく、「ミス」をした人

駐車場に着いても、彼はまだ自分のしたことに感情の整理がつかない様子で、「どうすればいいんだ!!」と大声で叫んでいました。

私は彼にこう伝えました。

「当て逃げする人もいる中、あなたはちゃんとここまで付いて来てくれました。あなたがジェントルマンでよかったわ。」

彼は「僕は逃げたりはしない」と呟き、顔の赤みが引いていきました。
それから私たちは落ち着いて保険情報を交換し、警察を呼びました。私は彼のために、「救急車が赤信号の交差点を横切っている最中に起きた事故として、何か特別な配慮はないか」と警察官に尋ねましたが、結局、彼の前方不注意ということで処理は変わりませんでした。それでも、少しでも彼の負担が軽くなるようにという気持ちだけは、伝えられたと思います。

事故に遭ったとき、相手は敵ではありません。たとえ相手に100%の過失があったとしても、そこに悪意はなく、言ってしまえばただの「ミス」です。ミスに対して怒りをぶつけても、何も生まれない。淡々と対処して、「お互い気をつけようね」と気持ちよく別れられたら、それでいい。

もちろん相手が酔っ払い運転や、煽り運転の時は別の話です。


頭上10メートルから見ていた、もう一人の私

これだけ落ち着いて対応できたのは、単に「歳のせい」と片づけることもできます。でも実際には、衝突の瞬間から、まるで自分の意識が体を離れて、10メートルほど上空から他人事のようにこの状況を見下ろしている感覚がありました。

「彼が少し落ち着かないと、話が進まないな」
「ラッシュアワーに道を塞いだままだと、まわりに迷惑がかかるな」
「視界が少し霞んでいる。念のため友人を呼んでおこう」

そんなふうに、状況を俯瞰しながら、彼の放つ苛立ちのエネルギーを受け取りすぎないよう自分を守りつつ、声をかけるタイミングを静かに見計らうことができたのです。

怒りや混乱の渦中にいる人のそばでは、こちらまで同じ波動に飲まれてしまいがちです。

でも、意識的に結界を張り、少し引いた場所から状況を眺める「もう一人の自分」を持てると、感情に反応するのではなく、必要なことを選んで行動できる。あの日はそれを、身をもって体験した時間でした。


CTスキャンの結果を待ちながら考えたこと


念のため翌朝、私は病院で頭と首のCTスキャンを受けました。

検査結果を待つ間、ベッドに横たわりながら、こんなことを考えていました。

もしここで脳腫瘍か何かが見つかって、「余命90日です」と言われたら、残りの時間で何を優先し、誰と過ごしたいだろう。

それが60日だったら。30日だったら。あと3日だったら。

そうやって時間を区切って考えていくうちに、本当に大切なものだけが見えてきました。

人生はもっとシンプルでいい。
周りの雑音に振り回されている暇なんてないのだと。


起きたことより、どう在るか

事故そのものは、望んで起きたことではありません。でも、その出来事をどう受け止め、どう対処し、そこから何を学ぶかは、いつでも自分次第です。それは結局、自分がどう「在る」かにかかっているのだと思います。

波動というものは、怖い一面もあります

実はあの日、駆けつけてくれた友人が、その夜になって体調を崩しました。めまいと吐き気に見舞われ、まるでむち打ちになったかのような症状だったそうです。事故に遭ったのは私であって、彼女ではないのに、です。

ごめんね。あなたに結界を張ることを、忘れていました。

私は彼女が苦しんでいることを知らないまま、家に帰ってセルフヒーリングを行い、氣功仲間たちからも遠隔でヒーリングを受け取っていました。あれほど強く後頭部をヘッドレストに打ちつけたにもかかわらず、私自身は大事に至らずに済みました。

けれど、いつも今のように波動をコントロールできたわけではありません。

29年前、イギリス人の夫が登山中の事故で突然帰らぬ人となった時の私は、味覚、食欲どころか記憶力も失い、自律神経は乱れ切っていて、精神をコントロールするなんてことは全くできませんでした。

不幸の波動は不幸を引き寄せる
一人になった私に追い討ちをかけるように、駐車場から公道に飛び出てきたジープに衝突され、私の運転していた軽自動車は廃車。その時のムチウチは、歩くことさえ困難になり、痛みと恐怖に怯える日々を1年以上過ごしていました。

あのときの自分と、今回の自分。衝撃を受けても、受け止め方も、まわりに広がっていく波動も、まるで違います。

こうして自分を守れるようになったのは、歳を重ねたから、というだけではないのだと思います。これまでの人生の中で、傷つきながらも少しずつ、自分の内側を整える術を身につけてきたからなのでしょう。

そして今回、結界は自分自身だけでなく、まわりの大切な人たちにも張らなければいけないのだと、改めて教えてもらいました。友人には、心から「ありがとう、そしてごめんね」と伝えたいと思います。

追突事故のおかげで、
今日も、こうして命があることに改めて感謝です。

あの23歳の真っ赤になって叫んでいた青年にとっても、この出来事がきっと、何かしらの人生の学びになっていますように。



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