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ミステリー長編『100人自主-裁けない国の物語-』第1章⑤


第1章 選択 
                           


第5話 遅延:白石悟


彼はその夜、何かを探していたわけではなかった。

眠れず、画面を眺めていただけだ。

仕事のない日は、時間の輪郭が曖昧になる。

昼と夜の境目が溶けて、気づくと、何時間も同じ姿勢でスクロールしている。

匿名掲示板の深い階層。

広告もなく、更新も遅い場所。

そこに、奇妙に整った文章があった。


――あなたが引き受けられる「過去」はありますか。


件名だけで、指が止まった。

問いかけの形をしているのに、

感情が混ざっていない。

彼は、文章を読むとき、

まず「誰が書いたか」を想像する癖があった。

これは、衝動で書かれた文ではない。

時間をかけて削られている。

余計な熱がない。

最後まで読んで、

画面を閉じた。

しばらく、何も考えなかった。


翌日、ニュースを流し見した。

未解決事件の特集が、偶然目に入る。

古い映像。

曖昧な証言。

途切れた捜査。

彼は、思った。


――これなら、成立する。


その考えに、罪悪感はなかった。

演じることへの抵抗もなかった。

むしろ、

「雑音が少ない」と感じた。

殺人は、重い。

だからこそ、型がある。

供述の順番。

動機の置き方。

沈黙の意味。

軽い事件では、

誰も真剣に話を聞かない。

疑われもしない。

記録にも残らない。

彼はもう一度、募集文を開いた。

どこにも「殺人」とは書いていない。

だが、

成立する確率だけを考えれば、選択肢は一つしかなかった。

――よくできている。

感心はしたが、

敬意ではなかった。

これは試せる。

自分の中に、

確かめたい衝動があった。

もし、完璧に演じられたら。

もし、誰にも破綻を見抜かれなかったら。

それは、

嘘ではなくなるのではないか。


彼は、事件を選び始めた。

被害者の年齢。

発見時刻。

報道写真。

証言の揺れ。

ノートに書き出し、

消し、

書き直す。


夜が明ける頃には、

動機も、感情も、

自分のものになっていた。

彼は、まだ迷っていた。

だが、その迷いは、

やめる理由ではなかった。

「取り消せません」

募集文の最後の一行を、

もう一度だけ読んだ。

彼は画面を閉じ、

静かに息を吐いた。


――一度くらい、

 本気で嘘をついてみてもいい。


それが、

彼の決意だった。

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