『内側の住人ーお前は、もう、喰われているー⑨』
第9章 壁の向こうの名前
赤い部屋を飛び出して、俺はひたすら廊下を走った。
何もかもが赤く染まっていく中、天井からはヒビが走り、
壁の隙間からは、黒い「何か」が覗いていた。
だが、走っても走っても、出口は現れない。
気づけば、同じ部屋を何度も通り過ぎていた。
いや、「同じに見えるだけ」だった。
よく見ると、家具の配置が違う。壁紙が、ほんの少しだけ裂けている。
まるでこの家全体が、“俺を迷わせる”ように造られているみたいだった。
――ドン。
突然、身体が何かにぶつかった。
目の前には、白い壁があった。
何の装飾もなく、ただ、ぬめるように白い。
俺はそこに、無意識に手を伸ばした。
すると――壁の中から、“声”がした。
「たすけて……」
はっきりと、誰かの声だった。
壁に耳を当てると、かすかに泣いている声も聴こえた。
そして、壁に浮かび上がるように、何かが“書かれて”いった。
それは、名前だった。
俺の――本当の名前。
だが、その名前は、どうしても思い出せなかった。
頭の奥に霞がかかったように、
何かを忘れているという確かな感覚だけが、胸を締めつけた。
「名前を、呼んで……」
その声が、もう一度、壁の向こうから響いた。
俺は、手を壁に当てたまま、そっとつぶやいた。
「……君は、誰?」
すると――壁が音もなく崩れ始めた。
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