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『終わりの音を聴いた少年⑤』

第5章 沈黙の階段

――ゴォォォォン……

二度目の鐘が、空間を裂いた。

その音を境に、空気の密度が一段階、変わったように感じた。

「急がないと……!」

ミユが走り出した。僕とアキラもすぐに続いた。

向かったのは、校舎の奥にある“使われていない階段”。
かつて地下倉庫への通路だったらしいけど、今は封鎖されている場所。

「この階段……前から気になってた」

ミユが言う。

「私、夢の中で何度もここを見た。誰かが階段の下にいて、“開けて、開けて”って言ってるの」

「それが……次の“鍵”?」

「分からない。でも、扉が開くたびに、“誰かの記憶”が反応する」

その言葉を聞いて、僕は昨日の“ピアノの少女”を思い出した。

あの旋律。あの祈り。あれも誰かの記憶だったのだ。

じゃあ、この階段の先にも……誰かの“沈黙”が、眠っている?


鉄の扉は錆びていて、鍵がかかっていた。
でも、ミユがそっと手をかざした瞬間――

カチャッ

なぜか、自然にロックが外れた。

「やっぱり……“音の記憶”に選ばれてる」

重たい扉を開けると、ひんやりとした空気が流れ出してきた。
まるで、長い時間、誰も踏み入れていなかった冷たい過去のような空間。

僕たちは、懐中電灯を手に、ゆっくりと階段を降りていった。

音が、一切しない。

自分たちの呼吸と、足音だけが、暗闇の中に吸い込まれていく。

「静かすぎる……」

アキラがつぶやく。

「この沈黙が、こわい……」

ミユが立ち止まる。

「……ここ。なにか、いる」

彼女が指さした先には、広いコンクリートの部屋があった。

倉庫として使われていたにしては、あまりに無機質で、異様なほど“何もない”。

でも――部屋のど真ん中に、“ひとつだけ”置かれていたものがあった。

白い、子ども用の椅子

その上には、小さなカセットテープが乗っていた。

「……これ」

アキラが近づこうとしたその瞬間――

“カツーン……”

コンクリートの壁のどこかから、金属を叩くような音が響いた。

「誰かいる……!」

三人が身構える。

「来る……!」

影――ではない。

もっと“細くて、長くて、軋んだ何か”が、ゆっくりと天井から降りてきた。

それは、人の耳の形をした“黒いコード”だった。

天井に這うように張り巡らされていたそれは、まるで意志を持った“聴覚の触手”。

音を“奪う”ための、黒い聴覚の亡霊。

「アレ……“沈黙の番人”だ」

ミユの顔が蒼白になる。

「聴いたものを、“沈黙の世界”に閉じ込める」

「聞いたら……出られなくなるのか?」

「ううん、違う。“聞こえなく”なるの。二度と、音が届かなくなる」

「音が……?」

「心にも、世界にも。完全な静寂。“感情の凍結”」

コードは、天井からゆらゆらと揺れながら、僕たちの方へ近づいてくる。

そのとき、アキラが突然叫んだ。

「カセットを流すんだ!! 早く!!」

「えっ、どうして!?」

「わからない……けど、頭の中で声が聞こえたんだ。『この部屋の音は、一つだけ』って!」

ミユがテープをデッキに差し込み、再生ボタンを押す。

キュルル……カチッ

そして、流れ始めたのは――

赤ちゃんの泣き声だった。

薄暗い地下に、かすれた、けれど確かな“命の音”。

コードが動きを止めた。

“音”がある限り、この部屋は完全な沈黙にはなれない。

「それが、鍵……?」

「違う。“鍵を守る音”だよ」

僕が言った。

すると、その泣き声に混ざるように、微かな声が聞こえてきた。

「……ありがとう……聞こえて、よかった……」

部屋の奥の壁が、ゆっくりと光を帯びる。

そして、そこに――文字が浮かび上がった。

『第二の鍵、記憶の沈黙を超えし者に与える。』

その文字に手をかざすと、また譜面が現れた。

『終わりの音 第2楽章』

次の扉が、開いた。

譜面を手に取った瞬間、僕は違和感を覚えた。

音符が、歪んでいた。

正確には、ところどころの小節が“かすれて”いて、まるで何者かに消されかけているようだった。

「……なに、これ?」

ミユも顔をしかめる。

「第一楽章は、はっきりと書かれてたのに……これは、“音の骨”だけが残ってるみたい」

アキラが、静かに言った。

「この楽譜……“まだ完成してない”んだと思う」

「え?」

「僕たちが、続きを“思い出さなきゃ”いけないんだ。きっと、これから先のどこかで」

そのとき、アキラの顔がゆがんだ。

「……っ!」

「どうしたの!?」

アキラが、足首を押さえた。

靴下をまくると、あの黒い痣が、膝の近くまで広がっていた。

「影の呪いが、進行してる……?」

「うん。でも、痛くはない。冷たいだけ」

アキラの声は震えていなかった。

「僕さ、最初に“音”を聞いたとき――自分が“誰かの代わりに選ばれた”って思ったんだ」

「……代わりに?」

「ほんとは、僕じゃなくて……“隣の子”が、選ばれるはずだった。でも、その子、すっごく明るくて、未来を信じてて……」

アキラは言葉を飲んだ。

「それで、たぶん、僕が代わりに……」

沈黙が降りた。

ミユがそっと、アキラの頭を撫でた。

「違うよ。あなたが選ばれたんじゃない。あなたが、“手を挙げた”んだよ。気づかないうちに、自分から」

「……そう、かな」

「そうだよ。だって、怖くても、まだ逃げてないもん。ちゃんと、ここにいる」

アキラは、うつむいたまま、頷いた。


その帰り道。
学校の裏庭の方から、妙な音がした。

――ガリ……ガリ……カチ……ガリ……

三人で駆けつけると、校庭のベンチが真っ二つに裂け、地面に“黒い線”が這っていた。

「影が……地上にまで出てきてる……!」

「やっぱり、扉が開くたびに、“境界”が崩れてるんだ」

ミユが言った。

「このままだと、あと三つ扉が開いたとき……“現実”の中に、完全に影が出てくる」

「止めるには……」

「楽譜を“完成”させるしかない。次の“楽章”を、ちゃんと“響かせる”しかない」

その時だった。

突然、空が“音を消した”。

校庭のざわめき、風の音、葉の揺れる音。すべてが、ふっと止んだ。

「……無音域が、広がってる……!」

無音のドームが、ゆっくりと街を覆いはじめていた。

音が消える世界。

その中では、“心”の声すら、聴こえなくなるという。

「急ごう。もう、“沈黙”は、後ろから迫ってきてる」

「次の扉はどこ……?」

ミユが言った。

「たぶん、“現実”じゃない。“記憶の中”にある」

「記憶の……中?」

「うん。誰かの心にしか、存在しない場所。次はそこに、降りていく」

僕は、震える胸を押さえながら、答えた。

「じゃあ――次の扉は、僕の記憶の中にある」

ミユも、アキラも、黙って頷いた。

次の鐘が鳴るまで、あと二日。

でもその前に、僕たちは――過去と向き合わなければならない。



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