『終わりの音を聴いた少年⑭』
第14章 名を呼ぶものたち
名前を呼ぶということは、
存在を“認める”ということだ。
それがたとえ、どんなに歪んでいても、
傷つけてきたものであっても――
名を呼ぶ限り、その存在は否定できない。
その日、僕たちは旧・音楽準備室にいた。
校舎の一番奥、誰も使わなくなった防音室。
そこは、誰かの「名前」が響いた最後の場所だと言われていた。
「ここ……空気が変だ」
アキラがぼそりとつぶやいた。
たしかに、他の部屋と違う。
音が、ここだけ“圧縮”されているような感じ。
言葉を発しても、喉で止まってしまう。
鼓膜が微かに軋む。
“何か”が――ここで待っている。
ドアを開けた瞬間、真っ暗だった部屋の奥から、声がした。
「……誰?」
それは、少女でも、少年でもない。
名前すら持たない“影そのもの”のような声だった。
「……私たちは、名前を探してる」
ミユが答える。
「失われた音。呼ばれなかった感情。
それらをもう一度、呼び起こすために」
沈黙。
そして、闇の中から、ひとつの形が現れた。
それは“人”のようで“人でないもの”。
まるで、何百という名前の断片が、黒い糸で編まれたような姿。
「僕たちは“呼ばれること”を拒まれた者たち」
その声が、無数の囁きに変わる。
「忘れられた」「言えなかった」「怖かった」
「謝れなかった」「届かなかった」
「泣いていたのに」「見てくれなかった」
ひとつひとつが、誰かの本当の感情だった。
アキラが、ポケットの中からノートを取り出した。
震える手で、詩の断片を読み上げる。
「あなたが笑ってくれたから、
僕は、泣くことができたんだ」
影が揺れた。
「……“名前”が、あるの?」
ミユがそっと言った。
「あるよ。全部に。
私たちが呼ばなかっただけで、
ちゃんと最初から、あなたには“名”があった」
僕は、譜面を取り出した。
『終わりの音 第5楽章』
このページだけは、ずっと開けなかった。
それは、僕自身の“名前”と向き合うことだったから。
影たちの中心に、一つだけ空白があった。
そこに、僕は音を置いた。
たった一音。
でも、それは確かに、僕の中にずっと響いていた音。
「……ルイ」
ミユが、僕の名前を呼んだ。
その瞬間、影が弾けた。
世界が、音を取り戻しはじめた。
小さな声が、どこからともなく聞こえた。
「……ありがとう」
「……覚えててくれたんだね」
「……ちゃんと、届いたよ」
名前を持たない存在たちが、ようやく名前を受け取って、
静かに、音の中へと溶けていった。
僕たちは、ただ静かに立っていた。
それぞれが、自分自身の名前を、胸の奥で確かめながら。
「ねえ、ルイ」
ミユがぽつりとつぶやいた。
「次の楽章は、あなた自身なんだと思う」
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