『感情の国ーシロとエモノスたちー⑨』
第9話 ナミの涙が落ちた日
ミナと別れたあと、僕はふと、ナミのことを思い出していた。
風の中で泣いていた、あの子の横顔。
名前がなかったころの、僕の最初の“感情”だった。
「会いたいな」
そうつぶやいた瞬間、まるで呼応するように、風が吹いた。
ナミがいた場所を、僕の中の“何か”が覚えていた。
風をたどって歩くうちに、僕は小さな丘にたどり着いた。
そこには一本の木があって、その下に、ナミがいた。
彼女は空を見上げ、ひとりで歌っていた。
その歌には、言葉がなかった。
でも――確かに、感情があった。
悲しみと、祈りと、願い。
まるで世界そのものが、彼女の声に耳を傾けているようだった。
僕は、そっと声をかけた。
「ナミ……」
彼女は驚いたように振り返り、そして微笑んだ。
「来てくれたんだね」
ナミは僕の隣に座り、ぽつりぽつりと語り始めた。
「この丘、昔は“色の丘”って呼ばれてたの。
花が咲き乱れて、風が色を運んでた。
でも感情が封印されてから、全部消えちゃった」
「だから、歌ってたの?」
ナミは小さく頷いた。
「歌うことで、私の中の感情を、風に乗せたかった。
そうすれば、誰かが気づいてくれるかもしれないって」
「ナミは、まだ泣いてる?」
「うん。でも、ちょっとだけ違う涙だよ」
「違う涙?」
「“嬉しい”のと、“寂しい”のと、“怖い”のと、
“信じたい”って気持ちが混ざってるの」
僕はしばらく黙っていた。
でも、その沈黙の中で、僕の胸に何かが生まれていた。
「あ、そうだナミ」
少し照れながら、僕は言った。
「この前、新しい出会いがあってね。……その子が、僕に名前をつけてくれたんだ」
ナミは驚いたように目を見開いた。
「名前……?」
「うん。『シロ』って。なんだか、ちょっと白すぎる気もしたけど……でも、嫌じゃなかった」
ナミはふわりと笑った。
「すてき。ちゃんと、自分の色で生きてる感じがする」
僕は、胸の奥が少しだけあたたかくなるのを感じた。
名前をもらったことを、ナミに話せてよかった。
それだけで、自分が“誰か”に近づいた気がした。
「ナミ。僕、まだ名前を持ってない子がいるって知ってる。
その子たちを探しにいく。
その子たちが、自分の感情を取り戻せたら……
きっと、世界も少しだけ、変わる気がするんだ」
ナミは涙をぬぐって、真っ直ぐに僕を見た。
「そっか。じゃあ、また風で会おうね」
その言葉のあと、ナミの背中から、小さな光がふわりと舞い上がった。
それは、ひとしずくの涙のようで――けれど、確かに“色”を持っていた。
僕はそれを両手で受け取った。
温かくて、静かで、でも強い“感情の証”。
それが、ナミの涙だった。
いいなと思ったら応援しよう!
いつも読んでいただき、本当にありがとうございます。皆さまの応援が、静月の物語を生み出す力です。いただいたチップは、すべて次の作品作りに大切に使わせていただきます。
