『感情の国ーシロとエモノスたちー⑧』
第8話 色のない花
名前を得てから、僕は少しだけ、世界が違って見えるようになった。
無色だった街の中に、ほんの少しだけ“音”が混じるようになった気がした。
人々の足音。遠くの風鈴。水の流れる音。
――音に、感情の気配がある。
けれど、色はまだ戻っていない。
世界は依然として、透明で、冷たかった。
そんな中、とある広場で、僕は一輪の“花”を見つけた。
白くて、透けるような花だった。
まるで、世界に忘れられたような存在。
「……きれい」
僕がそうつぶやいたとき、すぐ後ろから声がした。
「それ、“色のない花”だよ」
振り返ると、フードをかぶった女の子が立っていた。
髪も服も灰色で、存在すら薄れて見える。
「私の名前はミナ。
この花を、ずっと見てた」
ミナは膝をつき、花にそっと触れた。
「この花、昔はすごく綺麗な色だったんだって。
でも、世界から“感情”が消えた日、色も消えたの」
「感情と、色は……つながってるの?」
「うん。この世界では、誰かが“感じる”ことで、初めて“色”が生まれるの」
僕は花を見つめた。
「だったら、誰かがもう一度“感じたら”、色は戻る?」
「たぶんね」
僕は目を閉じて、胸に手を当てた。
すると、ナミの涙。ハネの言葉。風の声――
すべての“記憶”が、胸の奥でひとつになった。
「……きれいだな」
僕が心からそう思った瞬間、花が淡く光り始めた。
白い花びらに、ほんのりと――桃色の色がにじんでいく。
ミナが小さく息を呑んだ。
「……いま、“感じた”の?」
僕はうなずいた。
「“花がきれいだ”って思った」
ミナは、じっと花を見つめながら、ポツリと言った。
「私、ずっと“感じること”が怖かったんだ」
「どうして?」
「感じると、つらくなる。
喜びがあれば、きっと悲しみもくる。
だから、ずっと無色のままでいいって思ってた」
僕は、ミナの手に触れた。
「それでも、感じたら……世界が少しだけ、変わるかもしれない」
ミナは目を見開いて、そして――小さく笑った。
ほんの一瞬、彼女の頬に、うっすらと“桜色”が差した気がした。
それは、色のない世界に灯った、初めての春の気配だった。
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