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『マシュー空気を読む』③


第3章|「察する」という言葉を、まだ知らなかった僕へ



──言葉のないやさしさに、名前があると知った夕暮れ


昼休みの社内食堂。
静かな音楽と、プラスチックの箸がぶつかる音。
誰かの咳払いが、やけに響いた。

マシューはカレーを前にして、周囲の会話を聞いていた。

会話……というより、むしろ、
会話じゃない何か、だ。

「……それ、大丈夫?」
「あ……うん、たぶん」
「無理しないでね」

それだけ。
本当に、それだけなのに、
何かが通じ合っているようだった。

“たぶん”の声の揺れに、
“無理しないでね”が応えていた。

マシューはスプーンを止めた。

彼の国では、
人の調子を気づかうとき、もっと明確に訊く。
「体調悪い?」「悩みあるの?」「手伝おうか?」

でもここでは、
明言しないほうが、やさしいらしい。

それは“距離を詰めすぎない配慮”でもあり、
“相手の余白を信じる表現”でもあるようだった。

午後の会議で、プロジェクトの進行が遅れていることが話題になった。

ある資料にミスが見つかったとき、
空気が少し張り詰めた。

原因は誰か?とは、誰も言わない。

マシューは、自分のデータが絡んでいたことに気づいていた。
けれど、誰も責めない。
誰も顔色を変えず、話題は次へと進んでいった。

そのとき、隣のアキラがふっと視線をくれた。
小さな頷きと、かすかな笑顔。
マシューの心に、それが強く残った。

言葉じゃないのに、何かが伝わった気がした。
まるで、「大丈夫だよ」と言われたような。

マシューは思った。

“これは……なんて呼ぶんだろう?”

伝えてないのに、伝わった。
責められてないのに、許された気がした。


帰り道。
エレベーターでアキラと一緒になった。

マシューは、そっと訊いた。

「さっきの、あれ……何て言うの?」

アキラは少し笑って、ぽつりと言った。

「……“察する”、かな」

“Sassuru…”

マシューは口の中でゆっくり繰り返した。
あの一瞬に詰まっていた、静かな優しさ。
言わずに伝える、曖昧で、でも確かなもの。

夜の風が吹いていた。
見上げた電線に、カラスが一羽。
何も言わないけど、なぜか“おつかれ”と言われた気がして、
マシューは笑った。


【第3章 完】

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