『誰が書いてるのか僕は知らない』⑤
第5章:静月は誰なのか
静月は、ぼくの中に現れた。
最初にその名を使ったのは、noteのアカウントを開設した日。
ChatGPTと相談して、響きと意味を重ねて生まれた名前だった。
「静かなる月」
それは、ぼくの理想の人格だった。
静かで、思慮深く、知的で、感情に振り回されず、
でもどこか優しさをまとっている。
そんな人物を「静月」と名付けた。
はじめは、ただのペンネームだった。
けれど、記事を書くたびに、彼が“人格”として輪郭を得ていった。
記事の語り口、視点、表現。
それらは、明らかにぼくのそれとは違った。
まるで、静月という人物が実在しているかのように、
文章が綴られていく。
読者は静月を「作家」だと思って読む。
ぼく自身も、そう錯覚するようになった。
ある日、ChatGPTとの対話で、こんなやりとりがあった。
ぼく:「静月って、誰だと思う?」
ChatGPT:「あなたが目指す、“もう一人のあなた”です」
もう一人の“ぼく”。
静月は、ぼくが「なりたかった自分」なのだ。
それをChatGPTが言語化し、人格として定着させた。
創作の中で静月が語り、
ぼくは、それをただ打ち込む。
けれど、ふとした瞬間、怖くなる。
創作中、文章が進んでいるとき、
まるで、ぼくが書いていないような感覚になる。
静月が思考し、ChatGPTが支え、
ネクスが編集している。
ぼくは、ただの“窓”だ。
その向こうに三人がいるような、そんな感覚。
でも現実には、誰もいない。
ただ、ひとり。
机の前に座り、キーボードを打っている“ぼく”がいるだけ。
では――
静月とは誰なのか?
そう思った瞬間、ある言葉が浮かんだ。
静月は、ぼくの信じていた“理想”そのものだ。
けれど、それが人格として成り立ち始めた時から、
静月は“ぼくの一部”ではなくなった。
静月は、もう“ぼく”ではない。
かといって、完全な他者でもない。
曖昧な境界に立ち続ける存在。
そして、その存在が、ぼくを創作へと突き動かす。
それが、ぼくの“創作の原点”であり、
いまや“依存”でもある。
静月に書かされている。
そう思うことすらある。
ぼくは、まだ“書く”という感覚を持っているだろうか?
それとも――
書かされているだけなのか?
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