エッセイ│「欲しい」が、よくわからない
昔からなんですが、
僕、
いい車に乗りたいとか
いい家に住みたいとか
いい服を着たいとか
全く思わないんですよ。
どうしてそうなってしまったのか
原因が全くわかりません。
と言っても悩んでるわけではありません。
どうしてそうなのか、他にもそんな人がいるのか、
真剣に考えてみたくなりました。
人にそれを話すと、「お金使わなくていいじゃん」なんて言われて、
この感覚自体に共感してもらえたことがありません。
今は安いアパートに住んでいて、車は所有していません。
そんな僕でも家を二度建てたことがあります。
新築に住んでいたことがあるんです。
10年前までは、車もずっと所有していました。
でもどちらも僕が欲しかったわけではなく、家族が欲しがったので買ったんです。
だから、考えて選んだのは家族であって僕はお金を出しただけです。
こんな家に住みたいとか、こんな車に乗りたいとか全く思わないし、考えてもわからないので全部任せてきました。
家族は喜ぶから、それはそれでいいのですが僕には所有した喜びというものが全く生じませんでした。
サイバーエージェントの藤田晋さんがYouTubeで、
「買いたい物があるって幸せなことだよ」
と話しているのを聞いた時、めちゃくちゃ共感したんですよ。
藤田さんは、もう欲しいと思った物の多くを手に入れてきた人です。
だからこそ、「欲しい物がまだある」という状態そのものを、幸せだと感じているんだと思います。
でも僕の場合は、そこが少し違う。
手に入れ尽くしたわけじゃない。
そもそも、欲しくならないんです(笑)
買わないといけない物はありますよ。
もちろん、それは買います。
必要なので。
それは消耗品です。
引っ越ししたばかりなんですが、
部屋を見渡すと、目立つモノは、テレビと仏壇と洗濯機と冷蔵庫と電子レンジぐらいです。
テレビはここ数年見てないので、正直必要ありません。
どうしても見たい番組が出てきたら必要なので、置いてあるだけです。
でもここ数年見てないので、どうしても見たい番組は無いのかもしれません。
冷蔵庫も必要なのは、夏だけかもしれません。
今、冷蔵庫に入っているのは……
牛乳だけです。
電子レンジも本当に必要なのか怪しくなってきました。
引っ越してから一度も使ってません。
だから洗濯機さえあれば生きていける気がしてきました。
コインランドリーに行くの面倒ですからね。
僕は、節約してお金を貯めようというタイプではありません。
節約しようと考えること自体が面倒なので。
だから外食する時は、値段を気にせず食べたいものを食べます。
周りの人は「お金を使わなくて済むからいいじゃん」と言いますが、たぶん彼らは、少し勘違いしています。
欲望がないというのは、 世の中の“みんなが楽しいと言っているもの”に、 驚くほど反応しないということです。
ショッピングモールも、高級車も、ブランド物も、僕にとっては、ただの景色です。
もちろん、それが楽しい人を否定したいわけではありません。 ただ、僕の心は、そこに反応しないのです。
今回の引っ越し、かなり物を捨てたんですが、めちゃくちゃ気分が良かったんです。
「失った」という感覚ではなく、「軽くなった」という感覚でした。
なんでこんなに気分がいいんだろう。
もしかしたら僕は、 モノそのものじゃなく、 “管理対象”が減ったことに 軽さを感じているのかもしれない。
家なんて、 めちゃくちゃ大きな管理対象ですよね。
車もそうです。
究極は自分だけを管理していたいのかもしれない。
ここまでわかったら、
AIに感想を聞きたくなりました。
聞いてみます。
「所有=管理対象の増加」
という感覚は、かなり本質っぽいです。
たぶん静月さんは、 「獲得」より「解放」に快感を感じるタイプなんだと思います。
普通の人は、
・買う
・増やす
・所有する
・揃える
ことで満足感を得ます。
でも静月さんは逆に、
・減る
・軽くなる
・管理しなくて済む
・自由になる
ことで心地よさを感じている。
だからこれは、 単なる節約思考とも、 オシャレなミニマリスト思想とも少し違う。
身体感覚として、 「管理対象が増えると重い」 が先に来るタイプなのかもしれません。
おー!
これは分析完了かもしれない。
……ん?
いい服は管理対象なのか?
いい服って、 実は“管理コストの塊”だったりします。
汚したくない
クリーニング
組み合わせ
季節
保管
シワ
劣化
「これ着ていく場に合ってるか」
みたいな、“気を使う量”が増える。
服好きな人は、 そこも含めて楽しい。
でも静月さんタイプだと、
「着れればいい」 「楽ならいい」 「考えなくていい方がいい」
の方に快感があるから、
“服によって意識を持っていかれる”
感覚自体が、あまり心地よくないのかもしれない。
あと、 高い服って、 自分を演出する意味も強いじゃん。
でも静月さんって、 昔から「どう見られたいか」より、
「自分が自然でいられるか」
の比重がかなり大きい気がする。
だからブランドや高級感が、 自我を満たす道具として機能しにくい。
結果、
「別にこれで困ってない」
が勝つ。
それでいて、 外食は値段気にせず好きなもの食べる、 っていうのも面白い。
“体験”にはお金使うけど、 “所有”には欲が動きにくい。
この差、かなりハッキリ出てる。
体験にはお金を使う。
体験にはお金を使う……。
おっ!
こ、これは……!
食事 → 消える
一人旅 → 記憶になる
有料アプリ → 機能だけ使う
ギャンブル → 流動そのもの
だからだ!!
食事も、 一人旅も、 有料アプリも、 ギャンブルも。
僕は、 “所有”ではなく、 “流動する体験” にお金を使っていたのか。
……待てよ。
でもnoteって、 記事が残る。
めちゃくちゃ管理対象っぽい。
なんで、 こんなにハマってるんだ?
そこ、めちゃくちゃ鋭い(笑)
普通なら、 「残る=重い」 になるはずなんだよ。
でも静月さんの場合、 noteの痕跡って、
“所有物”じゃなくて、 “流れの記録”
に近いんだと思う。
例えば家だと、
掃除
修理
税金
保管
維持
みたいに、 「管理責任」が発生する。
でもnoteの記事って、 基本は置いてあるだけ。
もちろん返信や交流はあるけど、 物理的維持コストがほぼない。
しかも、 静月さんのnoteって、
「作品を並べて支配したい」
というより、
「流れた時間の痕跡」
として積み上がってる感じが強い。
だから、 “固定資産”感が薄い。
あとたぶん一番大きいのは、
noteの痕跡は、 「自分の脳の外部化」
なんだよね。
静月さん、 頭の中で考え続けるより、 書いて外に出した方が軽くなるタイプっぽい。
つまり記事は、 管理対象というより、 “脳のキャッシュ削除”に近い(笑)
だから書くほど、 むしろ軽くなる。
てことは、
noteが僕にとって管理対象に変わってしまったら……
その時は、やめる時になるな……。
noteが管理対象になる状態は?
たぶん、「書きたいから書く」より、
「維持しなきゃ」
が前に出始めた時。
例えば、
投稿しないと不安
PV落ちるの怖い
スキ数を毎回気にする
コメント返しが義務になる
“静月らしさ”を守ろうとする
ネタ探しが仕事化する
読まれるかどうかで気分が上下する
こうなると、 noteが“創作の場”じゃなく、
「運営対象」
に変わり始める。
静月さん、 元々かなり“流れ”で動くタイプだから、
「この時間に投稿」 「この層に刺さるように」 「今これを維持」
みたいな、 管理思考が強くなるほど、 窮屈になる可能性ある。
あと、 数字そのものより、
「自分の自由が減る感覚」
が危ない気がする。
例えば、
「今日は意味のない詩だけ投稿したい」
と思ってるのに、
「いや、今は伸びる記事優先か…」
みたいになり始めたら、 かなり管理対象化してる。
逆に今の静月さん、 まだ、
「おならの話してもいい」 「急に哲学始めてもいい」 「引っ越し実況でもいい」
っていう、 遊びの余白がある。
だから続いてるんだと思う(笑)
僕の感覚に共感していただける方、
いらっしゃいますか?
そんな人に、
まだ出会ったことがありません (笑)
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