名前のない悪魔(かのじょ) 第一章
著者紹介

ミルア
年齢:非公開
昼:エロティシズム文学教師
夜:恋愛作家
特徴:
恋愛文学の中でも、とくに
“余韻のあるエロティシズム”を教える講師。「刺激ではなく余韻」
を大切にする授業は、文芸高校でも人気が高い。
⚠️本編タイトル、悪魔と書いてカノジョと呼びます。
僕は初恋をしたことがあるのだろうか、と、ふと不思議に思った。
好きになった女の子は何人かいる。
普通にいいなと思っていた子に、普通に告白されて、普通にデートをして、普通にキスをして、普通に大人の行為もして、普通に時が流れて、普通にすれ違うようになり、普通に別れた。
普通に幸せだった。
みんな、とてもいい子だった。
会話も楽しかったし、デートで喧嘩なんかもしなかった。
でもなぜか僕は、あれが本当の恋だったのか、自信がない。
もしかしたら、恋愛恐怖症になったのかもしれない。
今の彼女は、すごくワガママで自己中心的、一言で言うと理不尽だ。
しかも、僕のことを好きだと言ってくれたのは最初の一度だけ。
そのくせ自分では、「私のこと好きって、なんで言ってくれないの?」と大騒ぎする。
彼女は僕を奴隷にしか思っていない。
誰に対しても最悪な人間ならまだしも、僕以外の友人や家族や他人にはとても優しい子で、友達もいっぱいいて人気者。
いつもニコニコ笑っている。
しかも男どもにモテるときた。
僕は思っている。
世の中の男どもに、彼女の本性を見せてやりたい、と。
彼女は、天使の仮面をかぶった悪女だ。
付き合うまで、すっかり騙されていた。
彼女は僕の前だけでは、悪女を通り越してクソガキみたいになる。
僕は決めている。
理不尽で腹が立つから、いつ別れてもいいと。
でも、なぜかまだ付き合っている。
たまたま別れるタイミングがなかっただけだ。
僕に優しくしてくれるマトモな感性の女の子のほうが、よっぽどマシだ。
なのに、なぜか今も、僕の目の前には可愛い顔をした暴君が、不機嫌そうにお団子を頬張っている。
「あー、もういらなーい。そんなに超美味しいって言うほど美味しくなかったんだけど。やっぱりクチコミってあてにならないよね。何? “この世界一美味しいお団子でした” とか、“こんなお団子食べたことない!” とか。この人たち、舌がどうかしてるんじゃないの? マジウケる。あーもう要らなーい! 食べてよ、マー君!!」
彼女の僕に話しかける口調は決まっている。
「食べられるかな?」とか、「やってくれないかな?」とかではなく、「食べろ!」「やれ!」が基本だ。
また、いつもの「食べたかったから買ったけど食べきれなかったモノを僕に押しつけてくる」行為が始まった。
元はと言えば、僕はお団子を買う前に、一本でいいんじゃないのか? と彼女に勧めたんだ。
なのに一本じゃ足りないと言い張り、大きめの丸いお団子が三個、串に仲良く刺さった一本四百円もするみたらし団子を二本も買って、お団子四個目で飽きたらしい。
かわいそうに。
三兄弟も、てっぺんだけかじられていなければ、あとで誰かが美味しく食すこともできただろうに。
長男坊だけいなくなって、次男と三男だけが見捨てられた。
この華奢な身体のどこにそんなに貯蓄できるのか、不思議になる。
僕はつい数分前に、「マー君は食べないの?」と聞かれて、「さっきトンカツ定食を食べたばかりだから、お腹いっぱいだよ」と断ったはずだ。
彼女はもう忘れているのか、嫌がらせなのか。
そうだ、嫌がらせに違いない。
僕が要らないと言おうものなら、
「だってぇ、さっきはお腹空いてたんだもん。なんでそんなにケチなの? 意味わかんなーい! お金もったいないじゃん! ひど〜い。じゃあ捨てるからいいよ!」
と怒り出すのだ。
たとえ、「お金を払ったのは君じゃないだろう?」と返事をしたとしても、
「何それ? 私が悪いわけ?」
と始まり、今日一日中、「私が悪いんでしょ?」と言い続ける始末だ。
今回の旅行は、一泊二日の温泉旅行。
彼女を怒らせると、せっかくの旅行が台無しになるから、僕は我慢する。
イライラしながら、食べたくもない団子を口にほうばった。
すると、意外にも次男坊はもっちりふわふわで、口の中でとろけるような食感。
みたらしの味つけも、甘すぎず塩辛すぎず、絶妙な塩梅でとても美味しかった。
彼女の舌のほうがどうかしているんじゃないかと思うと、「マジでウケる」のはお前だよ、と心の中で罵り、腹の底から笑った。
お腹はいっぱいだったし、食べるつもりなどなかったけれど、結果オーライだ。
無惨にも食い散らかされた団子二兄弟は、僕のお腹と心を癒してくれて、イライラは少し収まった。
今日は彼女と付き合い始めて三回目の旅行だ。
朝イチでレンタカーを借りてから彼女を車で迎えに行き、高速に乗って茨城の袋田の滝までやってきた。
滝に到着する直前にお昼のトンカツ定食を食べて、「滝を見たあとにお団子を食べたほうがいいんじゃないか」と勧めたが、無視された。
結局、滝を見る前にお団子を食べ、これからやっと目的地に行ける。
いや、行けるだろうか?
出店やらお土産店やら立ち並ぶ中を歩いていて、彼女が寄り道しないで歩いてくれるとは到底思えない。
案の定、観光地ならどこにでもあるような、どこにでも売っているような、さびれた民芸品店の竹カゴ製品を物色している。
邪魔になるだけなのに、またゴミを増やすつもりなんだろうか。
すると、なぜか竹でできた円錐形のダサい帽子を手に取った。
お遍路さんが参拝でかぶっているようなやつだ。
まさか彼女はあんなのをかぶるのか? と目を疑った瞬間、
「ねー、これマー君にいいと思うんだけどー?」
と衝撃発言。
僕にかぶれと催促している。
彼女は、マヌケな帽子をかぶった僕を見て、すこぶるご機嫌だ。
二千円もする、どこで活躍するのか不明な帽子を買わされて、僕は切なくなった。
僕の心は、「この帽子はクローゼットに入るだろうか?」という不安な気持ちでいっぱいになった。
かき乱された僕の心は、滝どころではなくなって、日が暮れていく。
滝から少しだけ車を走らせたところに、今日の宿があった。
そうだ。
嫌がらせを早く忘れるには、宿で一人ゆっくり温泉に浸かり、夕食前に客室の縁側で風呂上がりのビールをいただこう。
夕食の時間は、宿を予約した時点で決めなければいけなかった。
夕食のスタート時間は午後六時。
予約時、僕は彼女に、
「お昼ごはんを食べたあとに、ご当地のスイーツとか食べたりしたらお腹が空かないから、夕食は七時からにしたほうがいいんじゃない?」
と提案した。
だが彼女は、
「夕食後も部屋でゆっくり飲みたいから、六時からがいい!」
と言い張り、聞かなかった。
おそらく本当の理由は、早い時間から美味しい日本料理と日本酒が飲みたいというだけだと思われる。
すると風呂上がりに、予想通りの展開が始まった。
「なんか全然お腹空かないね? ねー、夕食の時間だけど、やっぱり七時に変更できないのかな?」
と。
いつもそうだ。
彼女には計画性がない。
どういう思考回路をしたらそんな結論が出るのか、不思議でたまらない。
そもそも僕と彼女は、考え方が合わないのだ。
温泉とビールでほっこりしていた僕の脳みそは、パンク寸前だ。
「はぁ? ふざけんじゃねぇーよ! 俺が予約のとき七時にしようか? って提案したのに、お前が六時がいいって言い張ったんだろ!」
と、食道のあたりまで込み上げたが、目をつむり、冷静に唾を飲み込む。
もし彼女にそんな罵り方をしようものなら、おそらく、
「何それ! 私が悪いの? もういいよ! 夜ご飯なんか要らない! マー君一人で食べに行けば?」
と返ってくるだろう。
そして、
「ていうかさ、お前って何? あんたこそ何様なの?」
と、話が明後日の方向に行くのだ。
お人形のように美しく整った顔立ちが鬼の形相になるのを想像して、胃が痛くなった。
僕の唯一の至福の時間は地獄の時間に変わり、冷たくて美味しいはずのビールが泥水のような味に変わった。
僕が言葉なく黙っていると、
「六時からだけど、長風呂になっちゃったって理由で三十分遅れて行こうよ〜。どうせ最初のお料理は準備されてて、お鍋とか天ぷらはあとから来るし、大丈夫でしょ?」
という結論で落ち着いたらしい。
彼女とのデート代も旅行代も、すべて僕持ちだった。
周りからは、
「あんな可愛い子が彼女なんだからラッキーじゃん。お前が羨ましいよ」
と言われる。
彼女は彼女で、
「だって、私はブランドのお洋服だって月に一着は買いたいし、ネイルとかヘアケアとかまつ毛パーマとか、毎月すごくお金がかかるの! それに私は派遣だけど、マー君は正社員じゃない!」
と、自分の給料は自分磨きに使うらしい。
挙げ句の果てに、話の方向が変わっていき、
「こんなに一生懸命頑張ってるのに、なんでマー君は全然、私のこと可愛いとか、綺麗になったね、とか一言も言ってくれないの?」
と逆ギレするのだ。
確かに僕は、君の周りの軽口を叩く男たちみたいに容姿を褒めたりしない。
でも、言わなくても分かるだろ。
可愛いに決まっている。
すれ違う男どもは、みんな彼女を二度見するのだから。
透き通るような、一切のくすみのない肌。
ぱっちり二重の黒目がちな大きな瞳には、天然の長いまつ毛が生い茂る。
すらりと線を描く鼻筋の先には、お上品な形の小さな鼻がちょこんとお行儀よくお座りし、さくらんぼ色に潤う唇からは、白く整った歯並びが顔を出し、僕を罵るのだ。
今日も彼女は、旅館の男性客たちを魅了している。
もちろん、僕以外をのぞいて。
彼女の小さな顎がご馳走を噛み砕き、吸い込まれる。
日本酒が水のごとく彼女の細い喉を伝い、引き締まったウエストに飲み込まれていく。
一体どこにそんなに個体と液体を貯められるのか、謎は深まるばかりだ。
彼女のアルコールを吸収するスピードは計り知れない。
満足するほど飲み終えると、うっすらと桃色に頬を赤らめ、右手の人差し指でぽってりと形の整った唇をさすりだし、中指の爪を噛み始めたらスイッチオンの合図だ。
お風呂上がりで結ばれていた、胸まで届くロングヘアは無造作に解放され、ゆるいウェーブを描く。
火照り始めた身体を冷ますように乱れる浴衣から、果汁をたっぷり含み、はち切れそうな初夏の白桃みたいな谷間がのぞく。
つり目気味の気の強い目つきが、とろんと落ち始める。
彼女のその姿を目撃するたびに、僕はいつも思う。
酔った彼女に求められて、断れるオスがこの世に存在するのだろうか、と。
もし奇跡的にそんなオスがいるのなら、ぜひとも逃れる方法を教えてほしい。
逆らうことのできない快楽という底なし沼が、今日も僕に絡みつき、欲情の扉を叩く。
柔らかに揺れる髪からは、彼女独特の、オスを狙い撃ちするフェロモンが溢れ、僕は悪魔に吸い込まれ、溺れる。
悪魔は淫らに肉づきの良いお尻を揺らし、僕を求める。
僕の理性は、いつも必ずぶっ壊れて、悪魔を何度も何度も求めてしまう。
僕の気持ちとは裏腹に、僕の息子は悪魔に夢中だ。
僕の息子で朽ち果てていく悪魔を眺めるたびに、息子は興奮の絶頂を上書きされ、朽ち果てる。
悪魔と息子を満足させることが、僕の使命なのだろうか、と情けなくなる。
すべてに満足した深夜の悪魔の寝顔は、月夜に蕩け、その瞬間だけ彼女は天使に変身する。
このまま一生、目を覚まさないでくれと、僕は心から願った。
寄稿者
編集後記:
恋愛という言葉が、ここまで不純で、ここまで純粋に見えることがあるのかと驚かされた。
理不尽で、滑稽で、どこか笑えて、でも確かに抗えない引力がある。
“好き”と言葉にされない関係の中で、それでも離れられない理由とは何なのか。
この物語は、その答えを説明しないまま、読者の内側に静かに残していく。
第二章で、この関係がどこへ向かうのか。
ぜひ、その結末を見届けてほしい。
文芸高校出版部 編集長 兼文芸高校用務
風間静人
(noteクリエイター 静月)
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