6「ぼくの『ゆうべの夢』、彼女の『明日への讃歌』。そして、その頃。」鳥居はじめ

これもお気に入りの、マグカップだつた。


【ぼくの『ゆうべの夢』、彼女の『明日への讃歌』。そして、その頃。】

 

第四章
 
九月になり、学校が始まった。
 
お互い家の黒い固定電話は親の部屋にあったので、連絡は取りにくかった。
白石の身体の調子が良くて学校に来たときは学校ではあまり言葉を交わさず、帰り道に示し合わせて合流し一緒に自転車で帰った。その帰り道に、例の農道から少し離れた例の雑木林での寄り道をして、昨日聴いた、『ヒツヤン』の投稿された葉書について意見を言い合ったり、ゴローさんがかけた新人歌手の荒井由実の『返事はいらない』の感想を言い合ったりした。
荒井由実のデビュー曲『返事はいらない』の発売は、ぼくたちが中二の七十二年だったが、そんなにヒットしてない感じだったが、たまにラジオで流れてた。でも『やさしさに包まれたなら』は、七十二年に不二家の『ソフトエクレア』のCMソングだったので(歌詞は一部違った)、その時期テレビでよくかかっていたこともあり、その頃から荒井由実のことは気になっていて知っていた。
ぼくが深夜ラジオを聴き出して一年目の中一の頃、ゴローさんの担当の『ヒツヤン』でも、ビートルズが解散して一年後の七十一年時点では、ビートルズの『ハロー・グッバイ』や『レット・イット・ビー』『ヘルプ』等はよくかかっていたし、解散後にジョン・レノンがアルバムで発表した、とてもシンプルなピアノ演奏とシンプルな歌詞の『ラブ』がまだシングル・カットされるまえにゴローさんの『ヒツヤン』で聴いた。
ぼくは英語の歌がまるで聞き取れなかったが、この曲はシンプルな単語でゆっくり歌ってくれていたので、意味が分かる部分も多かった。
特に『love is touch  touch is love ――愛とは触れること』だけは鮮明に分かった。
 
そしてそれで十分だった。
 
『そうだよジョン! 綺麗ごとじゃなくって、愛って、この気持ちだよな。こうでなくっちゃね』とそれを歌ってくれたジョン・レノンに、中学一年生のぼくは心から共感し、感謝したい気持ちだった。
『愛とは触れること』の歌詞の解釈は、曲解もはなはだしかったが、十二、三のぼくにとっての『touch』の意味は『いつか必ず女の子と手をつなぐこと』に他ならなかった。そしてその頃ぼくの中学での密かな目標は、まさにそれだった。
日本ではレターメンのカバーでヒットし、七十一年にオリコン最高十九位まで健闘したその曲は、その頃ラジオから毎日のように流れていたのを覚えている。
白石も中学一年生から『ヒツヤン』を聴いていたと言っていた。彼女がぼくと同じ時間に、同じラジオ番組をこの二年間半、お互いを知らずとても熱心に聴いていたことが凄く不思議で、とても特別なことのように思えた。
 
中三の十月に入り、白石のセーラー服が冬服になった。でもしばらくして、また検査入院とかで白石が学校に来ない日が続くととても心配になったが、夜に『ヒツヤン』で『月ウサギ』の名前を聴くと、ホット安心し本当に嬉しかった。
遠く離れていても、ぼくたちはラジオの電波で繋がっているような、そんな感覚だった。
よく『月ウサギ』はリクエストと近況を伝える便りの最後に、
『今この瞬間、窓を開けてください。そこから月は見えますか?』と付け加えた。ゴローさんがそれを読んだ瞬間、ぼくは毎回必ず窓を開けて月を探した。窓から月が見えない日には、1970年代に発売された、伝説的なnational・クーガのラジオのスイッチを切り、SONYのトランジスターラジオを片手に持ち替え、寝ている親や妹に見つからぬようにそっと外に飛び出て、月を探した。
夜空に月が輝いているのを見つけたら、白石もきっと今、あの月を見ていると確信し恋しい気持ちがつのった。
それでも恋しさが我慢できないときは、それを鎮めるためにも、夜空の月を眺めながら、深夜の市営団地の中をトランジスターラジオに耳につけながら聴き、散歩した。
湿った空気の深夜、生暖かい風が緩やかに肌に感じるのは心地いい。そんなときは、月が厚い雲をボゥっと照らしている夜だ。
 
静まり返った団地に、冷たい水銀灯の光りを浴びて、駐車スペースに黙って並んでいる車たち。
自転車置き場に並ぶ、無数の自転車。
交互に赤く点滅する、深夜の交差点の信号。
だれもいない、公園。遊具の影。
 
市営団地の自衛団が防犯を兼ねて『火の用心!』と拍子木を打ちながら見廻るのは、ヒツヤンが始まる夜の十時頃までだったので、出会うことはなかった。
ぼくが夜の散歩に出かけるのは、午前零時から午前一時くらいの間だったから、自転車に乗って見回る警官もいたが、急に進行方向を変えたり、何かの物陰に隠れようとせず堂々と歩いていると、ほとんど呼び止められることもなかった。たまに呼び止められることがあっても、
「受験生で、自動販売機のカップヌードルを買いに来ている」と言うと、
「まぁ、気を付けなさい」と大抵は納得してくれた。
ぼくはトランジスターラジオを耳に付け、白石の入院していないときは、白石の家のある団地の1支部までよく散歩した。
でもさすがに家の前までは行かない。
深夜、家の窓を下から眺め佇むのは、芝居の『ロミオとジュリエット』なら許されるかも知れないが、現実にそれを行うときっと危ない変質者か付きまといのストーカーになるのは間違いない。
白石の部屋は二階だと聞いていたので、不審者にならないよう、離れた大通りの向かいから、まだ起きている白石の家の二階の窓の明かりをそっと眺めた。
そんなとき若草色のカーテンの向こうに影が映り、それが大きくなったり、また小さくなったりするのを見ただけで、なんだかとてもドキドキした。
いつだったかそんな夜の散歩の帰りに、ラジオからリクエスト葉書を読むゴローさんの声がした。
『月を眺めながら深夜の町を散歩している、恋する受験生さんに贈ります。月ウサギさんのリクエスト曲、アリスの『愛の光り』です』
そして今年(1973年)の七月にアリスのサード・シングルとして発売された、『愛の光り』が流れた。
白石が書いた言葉に、ぼくの思いと行動のすべてを見透かされているようで、怖かった。
だとすれば『いつか白石の手を取りたい』とその機会をうかがっているぼくの頭の中など、白石にはとっくにお見通しなのだろうか? いや、そうに決まっている。
 
そのときのリクエストで、白石はアリスが好きなんだと初めて知った。
 
後日、アリスのことをさりげなく白石に訊いたら、
「本当にいい曲を創ってくれるチンペイさんに有難うと言いたいな。特に『明日への讃歌』なんて、なんで私たちの気持ちが分かるのって? いえ、私の気持ちを―― だね。この広大な世の中で私のこの気持ちを分かってくれている人がいることだけで驚いたし、アリスの曲で生きる勇気が湧いたわ。こんな広い宇宙の中で、こんな小さな私の存在を見つけてくれて、本当に有難うだわ。一生懸命生きてるけど、だれにも知られず目立たない人生って確かにあるのよね。でもじぶんなりに、みんな精一杯、頑張ってると思うの。それを心から分かってくれた人に巡り合えた歓びっていうの? そんな気持ちに共感した女性って、大勢いたんじゃないかなぁ? 『明日への讃歌』聴いて、みんなもうちょっと頑張れるかもって、私を含め、きっと感じたって思うよ」と白石はアリスの曲を創っている、そのころ深夜ラジオでチンペイさんと呼ばれていた、谷村新司を絶賛した。
そのとき、ぼくらしくなかったが、そんなに白石を感動させている谷村新司になにか一言言ってやりたかった。
いや、言わずにはおれなかった。
「まぁね、それがプロなんだよ。プロって、それでお金稼いでいるんだよなぁ。ほんと上手く書くよなぁ、プロって。ほんと、凄いよ」と、とてもつまらないことを口走ってしまった。
ぼくはアリスの曲が凄くいい曲だと知っていたのにも拘らず、なぜか反射的にそう言ってしまったんだ。別に谷村新司と張り合う積りもなかったし、例え張り合ったとしても、相手にならないことくらい分からない馬鹿でもなかった。
つまり白石に尊敬されている谷村新司というひとりの男に対し、十四歳の中学生が同じ男として恥ずかしいくらい、無意識に嫉妬していたのだ。
白石は好きな谷村新司を褒めなかったぼくの言葉に気づかなかったのか(白石に限ってそんな訳はないか)、さりげなく話題を逸らすかのように、そしてぼくの勝負にもならないライバル心に気づく気配もなく無邪気に、
「こんな曲の恋に憧れるよね。内村くん、そう思わない?」と言われてしまったので、ぼくは
「そうだね」としか答えることができなかった。
            (第七回目に続く)
 

 



いいなと思ったら応援しよう!