7 ホラー小説「のっとり」 鳥居はじめ
第五章
加奈子は自宅に帰ると、鮎川修平の車から抜きとった搭載ドライブレコーダーのマイクロSDチップをパソコンで再生した。
あの日の鮎川修平の別荘に向かう、山道の映像がパソコンの画面に映ったが、加奈子が確かめたかったのは、映像のほうではない。映像と共に記録されている、車内の音声のほうだ。加奈子は自分が乗っ取られたあとの、修平との車内での会話を聞きたかったのだ。だから修平を車からなんとか遠ざけて、SDチップを抜き取るチャンスを伺っていたのだ。
加奈子は、SDチップを再生機で再生した。
「あぁだれかに乗っ取られれる……修平さん助けて。あいつが来るわ……」
「え? どうした! なに? ……加奈ちゃん、大丈夫? 気分が悪いの? 車、止めようか」
「……殺された……私は……お前に殺された……」
「……えっ? なんだって? どうかしたの加奈ちゃん。しっかりしろよ」
「……私は加奈子ではない。私はお前に殺された、宇佐野真紀」
「なに、言ってるの! 冗談はやめろよ、加奈子」
「私はお前にひき殺された……宇佐野真紀。この加奈子という女の身体を乗っ取って、この女の声帯を使って喋っている」
「加奈ちゃんが誰かに乗っ取られたというのは、あのときの事故の、被害者なのか……」
「……」
「あんた、どうしょうというんだ。え? あのとき、死んだんだろ。あんた、幽霊なのか? あれは悪かったが、あんたはもう死んでいるだろ。頼むから成仏してくれよ。ここはあんたがいる場所じゃないだろ? ほっといてくれ。あれは事故だったのだ。あんたがあんな山道の道路を横切ろうとしたからだ」
「勝手なことを言うな。なぜそのまま私を見捨てた。なぜすぐに病院に運ばなかった。なぜ私の死体を山中に棄てた」
「許してくれ、気が動転したんだ。魔が差したんだ。パニックを起こしたんだ。そう、パニック症候群なんだ。病気を発症したんだ」
「この女が不幸になるのを見たくなかったら、罪を認めて警察に出頭しろ」
「おい、やめてくれ。頼むから、成仏でもなんでもしてくれ。だいたい、あんたはもう死んだんだ。そもそもここにいることが、おかしいだろ。お願いだから、消えてくれ」
「私は今でも山中で寒いんだよ。よくもあんなことを……。ゴミみたいに棄てられた山の中で、今も凍えているんだよ。お前が罪を逃れて、ぬくぬくと暮らしているのが悔しくて悔しくて、決して許せない。自首して罪を贖(あがな)え」
「勘弁してくれ。そんなこと今さら出来ない。殺人犯になってしまう。もう遅いんだ。判断を間違ったのは謝る。でもここまできたら、押し通すしかないんだ。だいたい、あんなどしゃ降りの雨の日、山道の道路を徒歩で横断するなんて、どうかしてるよ。まさか人が山の中の道路を横断するなんて、思ってもみないじゃないか! あんたにも非があるんだ。あれは不幸な事故だ。すぐに救急車を呼ばなかったのはすまなかった。でも貴方の頭は割れて、ほぼ即死の状態だったんだ。それを見て怖くなって気が動転して逃げてしまったんだ。仮に救急車を呼んでも、無理だ、あんたは死んでいたよ」
「ハイキングコースの道を外れ、道に迷っただけなのに……。急な雨に降られ、近道をしようとした、たったそれだけなのに。なぜお前の車に轢かれて、棄てられなければならないのだ? お前はじぶんの事故を隠すために、私の身体を山中に棄てたではないか。そしてその事故車の証拠隠滅のために車を故意にぶつけて、廃車にしたではないか。己の自己保身のみを考え、隠蔽し罪を逃れようとしたではないか。このままでは私は死んでも死にきれない。自首しろ」
「冗談はやめろ。お前なんか死んでいるのではないか。なぜ喋っている。そんなの信じないぞ。あの世なんてあるものか。お前は加奈子がつくりだした別の人格だろう。つまり加奈子の心の病気というやつだ。実体のない、偽の架空の人格に過ぎない。もともとお前はこの世に存在しないのだ。加奈子のストレス障害が生み出した、想像の産物なんだ」
「ではこの加奈子という女が作り出した別人間というのなら、何故お前のひき逃げ殺人を知っているのだ? 私はこの女の作り出した別人格なんかではない。私はお前に殺されるまで、ちゃんと肉体を持ち、普通に生きていた、宇佐野真紀という人間。いまは肉体を失っているだけの生命体だ。私は死んでなんかいない。ただ肉体がないだけだ。お前は証拠を隠滅させた積りだろうが、お前が罪を認めない限り、被害者の私はあの世にも行けないで、この世を彷徨うしかない……」
「……」
「……恨む。お前を恨み殺してやる。お前がじぶんの罪を悔いて自殺するまで、ワシはお前を祟ってやる。いまワシが乗っ取ったこの女も、絶対不幸にしてやる。みんな死ぬのだ。お前が信じたくなければ、信じなくていい。これからお前の人生をゆっくりと追い込んでやるから、楽しみにしておけ。そして忠告だが、この女が真実を知ったとき、全てを警察に話すだろうから、お前が殺人犯として捕まるのも時間の問題だと知れ。そしたらどうなる? 全国紙の新聞の一面をお前は卑怯者のひき逃げ殺人犯として、大きく報じられるだろうな。テレビのワイドショーでも、連日繰り返しお前の非人道的行為を繰り返し流し続けるだろうよ。ハハハ。親や親戚が悲しむぞ。妹の婚約は破棄され、世間から後ろ指を指され、もう一生結婚は出来ないだろうな。そんな不幸を背負わせた兄のお前を恨むだろうよ。可哀そうに、将来を悲観して、自殺するかも知れないな。え? どうする。この加奈子という女が、お前とお前の周りの人間の運命を握る鍵だ。やがてこの女はお前の隠した悪事に辿りつき、それを世間に暴くぞ。この女は勘がいいから、必ず気づく。お前の悪行を白日のもとに曝すのは、皮肉なことに、お前の愛した女だ。本当にこの女をこのまま生かしておいていいのか? いずれこの女がお前を警察に売るぞ。お前を裏切る。今のうちに始末してしまったらどうだ。お前があくまでもじぶんの罪を隠そうとするのなら、代償を払わなければならない。それが第二の殺人であり、二度目の証拠隠滅なのだ。ワッハハハハハハハ――その選択に苦しめ、この、うすのろめが――ハハハ」
「おい、なにを言っているんだ。加奈ちゃんは関係ないだろ。加奈ちゃんだけには手をだすな……。おい、聞いているのか?」
「車のダッシュボードの中に、ハンティングナイフがある。そのナイフはお前が趣味で集めていた物だ。それを先日、お前自身がそこに入れた」
「知らない。そんなことは知らない」
「それを部屋の引き出しから持ち出してここに入れたのは、お前自身の潜在意識だ。ワシがお前の肉体を乗っ取って、物理的にナイフを動かしたが、それはお前の隠れた願望を手助けしたに過ぎない。そうだ、お前も潜在下ではこの女が真相に辿り着くのを恐れ、始末しようと思っていたのだ。ワシの思惑とお前の隠れた願望が一致して、お前は無意識のうちにこのナイフをそこに入れたのだ。お前の表面意識がどう否定しょうとも、潜在意識には抗うことは出来ない。なぜならそれはじぶんが本当に望んでいることだからな。お前はお前の幸せを守る義務がある。それはワシにも止める権利はない。いまお前の前に立ちはだかる最大のやっかいな存在は、この加奈子という女だ。こいつがお前の人生をやがて破滅に追い込んでいく。それを阻止するのは、お前しかいないのだ。この女、加奈子を殺(や)るのだ。ワシはじぶんと同じ不幸な目にあうのを見たいのだ。それでお前も許してやる。ワシは約束は守る。私はいい人間だ……」
しばらく沈黙があって、車内に流れている音楽と車のエンジン音だけが聞こえている。
「……うーん」と加奈子の気が付いたような声がした。さきほどの声とは明らかに違う加奈子の声だ。
「……なに? いま、何かあった? 修平さん、今、私、だれかに乗っ取られてなかった?」
「……加奈ちゃん、急にどうしたんだよ。びっくりしたよ。大丈夫なのか? さっきのこと、何か覚えてないの?」
「なにがあったの? どうしたの? 顔いろが悪いわ」
「ほんとになにも覚えてない? あぁ、それならいい。それは、よかったよ。もう一人の人格が現れてたんだよ」
「なにを会話してたの」
「いや、特に。そいつは、じぶんのこと霊みたいなこと言ってたけど、実際どうなんだか。そんなこと信じられる? 多分、加奈ちゃん、疲れているのだよ。別人格っていうのか、二重人格障害って、初めて見たのでびっくりしたけど。なんかよく聞くじゃない? 夢遊病のような、意識がないときに、無意識に行動したり、普通に会話したりする病気。たぶん、そんなふうじゃないかな……」
「じぶんで覚えてないのが、怖いわ」
「やっぱり町医者じゃなくて、ちゃんとした設備のある大きな病院で調べてもらうといいよ。分からないけど、脳波の関係とか、そんな影響かもしれないよ」
加奈子はこのSDチップを持って、神岡のクリニックに行った。
神岡と加奈子はこの録音を再生して聞いた。聞き終わっても、ふたりともしばらくはなにも声をだせなかった。それほど衝撃的な内容だったからだ。
神岡のなかで、これでマッサージ店の失踪した宇佐野真紀と須賀美加奈子ののっとりの案件が繋がった。
鮎川修平の起こした事故で死んだマッサージ店の従業員の宇佐野真紀が、たまたま訪れたじぶんを殺した鮎川の彼女の須賀美加奈子の意識をのっとり、なんらかの復讐を企てているという全貌が見えてきた。
いや、加奈子が宇佐野が働いていた店に行ったのはたまたまではなく、それも加奈子の脳内に侵入しインスピレーションを与え、宇佐野が用意周到に引き寄せたのではないかと、神岡は考えた。
神岡はすでにマッサージ店でコンタクトを取ってきた、宇佐野真紀の霊の話は加奈子に話していた。
SDに記録された音声を聞いたのち、長い沈黙の後で、神岡はかすれた声で言った。
「これは犯罪にかかわる記録でしょうね。しかし今の司法では、あの世も霊の存在も認めてはいないので、これは事件の証拠にはならないと思います。これをコピーさせて貰って構いませんか?」加奈子は「ええ」と頷いた。
神岡は作業しながら「でもこの記録がドライブレコーダーから無くなっていると分かると、須賀美さんが疑われ、事故の真相を知ったということで、須賀美さんの身に危険性が生じないですか? 私にはそれが心配ですが」
「乗っ取られたときの記録がまさかドライブレコーダーに残っているなんて、修平さんはまだ気づいてないと思います。これを抜き取ったときに、別のSDチップを差し込んできましたので、チップを抜き取ったことは分からないと思います。先生、これはやはり、心理学でいう、多重人格なんかではなく、むしろ昔からいう、憑依現象の異言、霊によるのっとりなんですよね」
「そう考えるほうが自然だと私は思います」
「先生、この宇佐野真紀って人、私が偶然入ったマッサージ店で縁と言われるものがついたのでしょうか?」
「いゃあ、そんな偶然の可能性は、ほぼあり得ないと思います。やはり宇佐野真紀という霊が、鮎川さんとの関係を知って、貴方をマッサージ店に故意に誘い込んだのでしょう。そして施術中の貴方の精神と肉体がリラックスしている隙をついて、身体に入ってきたのだと思われます。それはあなたを頼って事件の真相を明らかにして欲しいのか、貴方が鮎川さんとつながっているのを利用してなにか復讐しようとしているのか……。今は、彼女の狙いがどこに有るのか、私には未だ分かりかねます。ただ言えることは、宇佐野さんとどこか同調する部分、周波数が合う部分が、須賀美さんを引き寄せた原因とだけは言えます。
しかし……この霊、だんだんと激昂するかのように内容がエスカレートしていきますね。そこがしっくりこないというか引っ掛かるのですけど。最初は自首を勧めてるように感じましたが、だんだん興奮してきたのか、須賀美さんを殺すように誘導し、殺人をそそのかせてますね」
「やはり私にも彼女と同通する、そういう恐ろしい一面があるのでしょうか? 怒りを止められず、最終的には他人を殺してしまうところまでいくような、じぶんでも気づかないもう一人の私の恐ろしい闇の部分が――。だとしたら、なんだか嫌だわ。じぶんでじぶんが怖くなってきました。じぶんの知らないじぶんが、本当は夜叉のような一面を持ってるのだとしたら先生、これから私どうしたらいいのでしようか?」
「このドライブレコーダーの記録の内容が本物なら、ここでの言葉どおりに単純に考えると目的は須賀美さんも巻き込んでの鮎川さんへの復讐ですよね。つまり鮎川さん自身をのっとり、もう一度殺人を起こさせる積りなんです。いや、おそらくそれはもう、すでに実行していますよ!」
「あっ!」加奈子はその瞬間、神岡の云った意味が分かった。
同時にじぶんでも分かるくらい、顔から血の気が引いていたと思う。肩のあたりが小刻みに震えているのが分かる。
あの深夜の公園のトイレでおきた通り魔に見えた殺人事件は、鮎川が宇佐野真紀っていう怨恨霊に乗っ取られて、加奈子を殺そうとした目的殺人だったのか?
犯人は修平さんなのか?
そんな馬鹿な!
そしてたまたま隣の人が間違われて殺されてしまったと言うの?
そう考えるのが流れとしては自然なのかも知れないが、加奈子は神岡の言葉でもそれだけは信じられなかった。
いや信じたくなかったというほうがいいのかも知れない。
「先生、あの公園での犯人が仮に修平さんだとして、修平さん自身はそのじぶんの行動を、覚えているのでしょうか」
「いや、それは分かりませんが。いままでの憑依現象による殺人事件のケースでは、完全に乗っ取られたとしても、本人にも自覚があった可能性のほうが強いと思われます」
「……つまり修平さんは、私を自覚し状態で殺そうとしたのですね」
「たぶん、そう考えると、事実が繋がってきます。須賀美さんがその交通事故のことを知られるとまずいと思ったのは、事実でしょうね。
あなたを口封じのために殺すとまでは考えないにしても、なんとか事故を隠したいという暗いマエナスエネルギーの思いが、その事故で殺された宇佐野真紀という被害者の強烈な恨みのマイナスエネルギーと同通して、鮎川さんの肉体をのっとり、貴方を襲ったのかも知れません。ただ現時点ではこれは単なる仮説でしか有りませんが…… しかしそれに失敗したので、彼は再びそれを実行するかもしれません。つまり須賀美さん貴方は、非常に危険な状態にいるのだと思われます」
「でも事件後、犯人が捕まりましたよね? あれは……」
「容疑者の誤認逮捕の可能性があります。最初はマスコミは警察の発表を鵜呑みして、大々的に犯人逮捕と騒ぎ立てましたが、最近のマスコミの論調は変わってきています。警察は是が非でも自白を取りたいところでしょうが、本人は一貫して否定していると報道されています。凶器でも見つかれば別ですが、このままでの起訴は難しいと推測されます。警察は面子を掛けて、拘留期間を延長するかも知れませんが、なにか決定的な証拠がでなければ、やはり起訴は難しいと思われます」
「修平さんがあの日ナイフをあらかじめ用意していたということは、事実なんでしょうか? 会話ででていたハンティングナイフって、聞いたことがないのですが」
「あぁ、ハンティングナイフは文字通り、ハンターが狩猟などで仕留めた鹿などの動物の血抜きや解体に使用する特殊ナイフのことです。それを用意していたというのは、推測でしかないのですが、おそらく、本当でしょう。でも現時点での証拠は、このドライブレコーダーの録音しかありませんが、さっきも言ったように、この憑依現象による異言の録音内容が証拠に採用されることは恐らくないと思われます。ただの演技と思われるでしょう」
「やはり修平さんを説得して、警察に自首してもらうしかないのかも知れません。これができるのは私しかいませんね。私には公園での刺殺事件のほうは、修平さんではないと信じています。ただこのSDチップに記録されていたのっとり霊と修平さんの会話の内容は、本当だと思いました。そのひき逃げ事故だけでも修平さんは認めて、自ら出頭して欲しいと思います」
「しかしあなたが真実を知って核心に迫っているとなると、それはまずいですよ。鮎川さんに知られると、非常に危険ですよ」
「でもこのままだと、その宇佐野って女の人が浮かばれませんよね。その人のためにも何か証拠を掴んで、修平さんに罪だけは償ってほしいのですが」
「須賀美さんの優しい気持ちはわかりますが、相手は人間でも思考エネルギーの塊ですから、この世で生きていたときの感情が十倍くらいに拡大するのです。この世で幸福感を持って死んだ人はあの世でも十倍くらいの幸福感で生きています。反対に、この世で不幸感覚が強かった人が死ねば、あの世での不幸感覚は十倍です。まして怨恨、恨みのような強い目的をもったマイナスエネルギーを生前持ちながら死ぬと、あの世ではすざましい破壊エネルギーとなります。私がこの宇佐野という人の霊と接触した最後には『須賀美さんには手を出さない』とは言ってくれましたので、僕はそれを信じたいとは思っています。これは私の個人的な見解で、何の根拠もない直勘ですが、私にコンタクトしてきたその宇佐野という霊は根っからの悪人とは思えなかったのです。しかしそれはあくまで私の感じ方であって、客観的な意見を言えば、その宇佐野真紀という怨念霊に同情心を持つ須賀美さん優しさも理解できますが、やはりそれはとても危険な行為です。浮遊霊や悪霊には、情けや同情心は一切無用です。彼らはその同情心を足場にして、心への侵入を試んで来ますので、なるべく関わりをもたないほうがいいです。
われわれは宗教専門家ではないですから、その作法や知識、心の修行を知らないし、心のパワーの使い方も十分に分かっていない素人なので、強い怨念霊には対処できないと思ったほうが安全で懸命です。興味本位で、心霊スポット巡りに行くとか、怪談話や幽霊話にのめり込むのも本当は非常に無防備で危険な行為なんです。例えば子どものころ流行った『コックリさん』という遊びも、動物霊や浮遊霊を呼び寄せているので、本当に危険な行為です。絶対に近寄らない方がいいのです。それにのめり込んだ隣町の小学校の子どもの気が狂ったのを、実際私は小学生のとき見てますしね。
ミイラ取りがミイラになると言うようなことは、特に霊を相手の世界では本当に起こるのですよ。分かり易く言えば、何も見えない真っ暗闇のなかを手探りで進む者と、『暗視スコープ』をつけた者が何も見えない者の動きをすべて監視しているような一方的な関係なんです。そこに宗教的知識と、神さまの信仰心がなければ、目に見えない相手との霊的な闘いとなるわけですから、なかなか勝ち目は有りません。『君子危うくに近づかず』ですよ」
「神岡先生でも、ですか?」
「ええ、勿論です。じぶんの力を過信すれば、それは一発で攻撃されますよ。それに対抗するにはもっと大きなパワーの源、神さまと強く繋がっていないと簡単にやられてしまいます。その繋がりは、強い信仰心なのですよ。これが無いと、または弱いと、勝てません。私はそんな例を嫌と言うほど見ています。霊的精神世界は素人兵法では、まず勝てないですよ。いや、自称宗教家を名乗ってる人でも、謙虚でない人は悪い霊、つまり悪霊とよばれている元人間のマイナスエネルギーと狡猾さには勝てないのです。かれらはプライドや名誉欲、そしてなによりも恐い、慢心、嫉妬心をくすぐる方法を知ってますからね。
謙虚で常に自らを省みる反省の姿勢を一生崩さず、じぶんに厳しく努力研鑽を怠たらず、欲がなく、人には優しく祝福の心を持つ愛の人でないと、悪霊、またはそのリーダー格の悪魔には絶対に勝てないのです。つまり大宇宙の源、愛と智慧の根源である神さまと繋がっているような人でないと、勝てない。それほど厳しい世界でもあります」
「先生、もっと心の世界を教えて下さい。私、もう周りの環境や人間関係で、じぶんの人生を翻弄されるのは嫌なんです。じぶんの心のコントロールが人間の幸不幸を決めるのだと知ったら、今までのような受け身だけのじぶんの人生を変えたいのです。少なくともその宇佐野という女の人の霊が、何らかの縁で、私と波長が合って同通したということですから、私のなかのマイナスエネルギーを変えていくしか防御法はないと思います。そう考えれば、私、マイナス思考の欠点だらけの人間でした。いままでそれがじぶんだと思っていたし、それがじぶんの性格であり変えられない個性だと思ってました。いえ、そんなじぶんを変えたくなかったのかもしれません。いままでのじぶんを変えるのは、世間に負けを認めたというか、いままでのじぶんを全否定されているようで、じぶんが可哀想に思えるのでしょうね。頑固というか、じぶんの最後のプライドなのかもしれません。でもそれは違うんですよね。神さまから見て、褒めてくださる心の在り方なのか、それともその考え方が神さまから見て駄目なのか、なんですよね。明るいプラス思考の霊って、絶対迷わないですよね。基準を知ると、そこに神さまのルールがあるのですね。そのルールを基軸にした人生には、恐れるものなどなにもない気がします。先生、私、もう惨めな人生は嫌なんです。もっと、じぶんを生きてみたいのです。
前に貰った先生のアンケート用紙の問題に答えていくうちに、そんないびつで偏ったじぶんの考え方がつくづく嫌になったんです。それをすこしでも神さまの喜ぶ、プラスの方向に変えていきたいと思います」
「須賀美さん、凄いですね。じぶんを変える決意をなさって、立派ですよ。たいがいの人は、じぶんは変えたくなくって、人のせい、環境のせいにしてしまんです。私だってそうです。プライドと過去へのじぶんへの執着があって、本能的にじぶんを体系的破棄することに恐怖心と反発を覚えてしまうのですよね。一緒に頑張りましょう。次は、来週の土曜日のこの時間でいいですか? あっそれから、くれぐれも無茶をしないように。鮎川さんともふたりきりでは逢わないで下さい。それでもなんらかのアクシデントでふたりになってしまったときは、僕に電話をしてください。深夜でも構いません。僕がかけつけますから。そしてあの事故の話、SDチップに記録されていた内容は、今は絶対鮎川さんには話さないでください。命に関する危険が及ぶ可能性が、ありますから。この件を僕の知り合いの弁護士に、相談してみますから、くれぐれも無茶はしないで下さい」
「はい、分かりました。先生、ありがとうございます」加奈子は神岡のクリニックを出た。 (第八話に続く)
