休刊、そして三度の復刊をはたした伝説の雑誌『relax』
2000年代の初め、『relax』と出会った。知る人ぞ知る伝説のポップカルチャー誌である。マガジンハウスから90年代に創刊された当初、この月刊誌は『モノマガジン』や『Begin』『グッズプレス』と同じような、どこにでもある男性向け情報誌だった。90年代の終わりに休刊、2000年代の始まりと同時に復活を果たす。90年代末に休刊する前の『relax』について、私は実際のところ何も知らない。私が知っている『relax』は復活後の、そして2006年に再び休刊されるまでの『relax』である。ずば抜けた存在感をはなち、芸術的で前衛的、しかし取り扱う素材は新しいものばかりでなく、当たり前に昔からある風景、何気ない日常、変わりゆく街並み、古いものにも新しい視点と独特の切り口で挑みかかり、それでいて世界への深い愛に満ちている。そんな抽象的な言葉でしか言い表すことはできないが、型にはまらない誌面作りは、二度目の休刊から18年を経過した今、あらためてどのページを開いてみても新鮮さを失っていない。

こんなことが商業誌としてあり得るだろうか?いや、『relax』はそれを平然とやってのけた。2003年5月号は通常の第75号として発行されたのとは別に、特別編集の別版・第75.5号を発売し、初めから最後まで全てのページを海の白波で埋め尽くした(トップ画像)。

『relax』にしかない背表紙の特徴的なコピーは、毎号にわたっていつも印象深い。藤子・F・不二雄作品を特集した第66号の背表紙は「すべての日本人は野比のび太である。なんてたわごと言いたくなる夏。」ー推敲に推敲を重ねて生まれた言葉というよりは、思いつくまま、ふと口をついて出てきたような気取らない言葉の選び方にセンスを感じる。
『relax』は2004年に大きく様変わりする。編集者の交代である。それまで誰もついて来られないほど先へ先へと前を走り続けていた誌面が、突如として表情を変える。それまでの前衛的な雰囲気を残しつつも一般商業誌に近づけた誌面作りに舵が切られた。
すべての雑誌が商業的に低迷していく中で2006年に再び休刊となった『relax』だが、10年を区切りとして、かつての読者誰もが待ちわびた奇跡の復刊企画が持ち上がる。あくまで一冊限りの復刊だったが、自動車メーカー・スバルの協賛を得てディーラー店頭に定期限定発行のフリーペーパーを設置。記念すべき復刊号の発売日に合わせた企画が誌面内外で展開された。

UNIQLOが発行するフリーマガジン「LifeWear magazine」の中に、かつての『relax』の面影をちらりと見つけて懐かしさが込み上げてくる。マガジンハウスの元編集者が製作に携わっているのが理由かもしれないが、もちろんそこに『relax』のような悪ふざけはない。無料であるのが不思議なほど豪華な内容である。
20年以上前にもUNIQLOは、見ごたえある写真集というべきカタログを定期刊行していた。現在のような読みものではなかったが、相当に高いクオリティを維持しながら無料での配布にこだわりを見せていた。以前から雑誌というかたちに何か特別な思いがあるのだろう。
広告に溢れ、スポンサーの意向通りに甘みたっぷりの記事が書かれ、魅力的な商品写真がページを埋め尽くしている、多くの雑誌が同じように見えるのは理由がある。それはそれで需要を満たしているのだし、歴史文化を記録する貴重な資料として十分価値あるものである。
全ての商業誌は多かれ少なかれ読み捨てられることを前提に作られているのかもしれない。あくまで本質的にはチラシ広告であり、その場しのぎの暇つぶし、美しいタレントを起用し、誰もが関心のある娯楽としての魅力が加われば、お金を払って広告を買ってくれる読者が生まれるーその程度のものなのかもしれない。
はたして、それが意図されているのか否かは別として、あるいは創刊のねらいが何であれ、お金を払ってでも読みたい雑誌、残しておきたい誌面が生まれるのは事実である。読み捨てられない存在価値をそこに認めるのは読者の側ではないか?

2020年、『relax』はさらに三度目の、しかしまたしても一度きりの復刊を果たした。懐かしい顔ぶれが久しぶりに集まる同窓会のような、そんな雰囲気。4年に1回のオリンピックみたいに、また次回、会えるのを楽しみにしている。
