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興味が持てないのではなく興味がないだけ。

大学四年生女子。

ブランド品のカバンや化粧品、服に興味が持てない。
もちろんどれも高価なもので、欲しくないなら節約になるし悪いことではないのかもしれない。

だけどSNSには誕生日などにブランド品をもらってうれしそうに写真に写る同級生の姿が浮かぶ。通りすがりのブランドショップを見て目を輝かせる友人の顔を何度も見てきた。

ああ、大学四年生の女子は、こういうものをもらえると嬉しいんだ、と理解はしている。だけど自分がそれを受け取って同じように嬉しいと感じるかと言うと、きっと違う。

その、「違う」という事実が私の胸をざわつかせる。

たとえば、欲しいものが手に入らないとき。
お金が足りなかったり、バイトする余裕がなかったり――そんな悩みを持つことは自然だと思う。
でも私の場合、そもそも「欲しいと思わない」。
そこには別の、言葉にしづらい疎外感がある。

ブランド品を持っていないという事実は同じでも、
欲しいのに持っていないことと、欲しいと思わないから持っていないことは、その立ち位置がまるで違う。

そして、後者の方が楽なように人の目には映るだろう。

だけど、みんなが欲しがるもの、価値がある、素敵だと思えるものを欲しいと思えないこともまた、人を苦しめる材料になりうるのだ。

「値段が高いもの=価値が高いもの」だと思い、
その価値を何の疑いもせずにいいものだと見ることができる人が本当に羨ましい。

皮肉でもなんでもなく、本当に羨ましいと思う。

自分の中での価値と、社会が作り上げた価値が同じだったなら、
ぴったり重なることはなくても、違和感がない程度に重なってくれているなら、
こんな社会から外れているような感覚に陥ることはないんだろうと思う。

ブランド品だけではない。

「あたりまえ」だとされている思考や感情に私はついていけない。

私は恋愛が分からない。というか恋愛感情や性的感情がどこから湧き上がってきてどういう風に判断するものなのか分からない。
アセクシャルアロマンティックなんだろうと、今のところは位置付けている。

みんなが当たり前のように恋愛の話を口にする。
「誰かと誰かが付き合ったらしい」「誰かが誰かを狙っている」
別に楽しくないわけではないけど、どこか蚊帳の外の気持ちになる。

恋愛ドラマも綺麗だなぁと思う。
でも「私もこういう恋がしたい」とは思わない。
ただのファンタジーで現実味がないのだ。

「彼氏欲しいとか思わないの?」
「なんかいい人いないの??」
そう聞かれると、どこか責められたような気持ちになる。

「思わないの??」という言葉が
頭の中で「思えないの??」という言葉に変換されてしまう。
思えない自分はどこか変なんじゃないのか、そう考えてしまう。

別にみんなと同じでありたいとか思っているわけじゃない。
だけど彼氏ができないことで悩んだり、片思いがつらいとか、失恋した、とか、そういう当たり前??の悩みを持って生きていれる人がものすごくまぶしく思える。
そしてそんな悩みを持てないこと、共感できないことにものすごく孤独を感じる。

「おなかがすいた」とか、「寝たい」とか、
そんな欲求と同じように、
「ブランド品が欲しい」「彼氏が欲しい」と自然に思ってみたい。

だけどそんなことは無理なことは分かっている。
そんなの自分が制御できる領域ではないのだ。

だから私はまず、「思えない」と思うことをやめようと思う。
みんなと同じように思えないのではなく、
ただ「思わない」だけ。
興味を「持てない」のではなく
興味が「ない」だけ。
そこに良いも悪いも、存在しない。

無理に世間の普通に合わせる必要はないし
合わせようと思ったら、それは自分の尊厳を無視することにつながる。
自分に嘘をついてまで持った関心は、果たして何になるのだろう。

社会の当たり前にとらわれず、自分の好きなように、自分がよいと思った方向に進んでいこうと心に決めた。

自分が好きな自分でいるために。





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