「看病の日々」が教えてくれた「足元の天国」
噂には聞いておりました。
「保育園が始まると、
兄弟で風邪とか次々もらい合ってきて
保育園を休むことも結構あったりするよ〜」と。
けれど、こんなにも大変な事態になるとは
私たち「じじ&ばば」は知る由もなく…。
今回、久々に長い記事となりそうです。
お時間ある時にお付き合い頂けましたら
嬉しいです…❥❥ 𓅼
│𝑪𝒉𝒂𝒑𝒕𝒆𝒓1│それは、孫たちの「発熱リレー」から始まった
GW終盤、そろりそろりと始まった
孫たちの「発熱リレー(再)」。
「あらら、また風邪かな…?」と思いつつ
娘と連絡を取り合っていると、何と2人揃って
「おたふく風邪」の可能性大とのメールが…!
►【しかし後に・・・】
兄E君は「RSウィルス感染」だったと判明
☟
►【さらに数日後・・・】
ものすごい発疹と共に「溶連菌」感染という
「泣きっ面に蜂」事態に。
(連日、夜になると40度近い発熱…😭)
当然この間、孫たちを保育園には預けられず、
娘夫婦+「じじ&ばば夫婦」の4人で
まさに「ギリギリの総力戦」。
泊まり込む日も含め、「仕事×家事×育児」に
大わらわ…😭😭😭😭(←冗談抜きで、4人ともこんな感じ)
誰が仕事を抜けるか。
誰が買い物と夕飯作りをするのか。
誰が病院に連れていき
誰がどちらの孫と添い寝し、夜を見守るか…
各自の手帳は「担当事項」で一杯に。
弟K君が一足先に回復し、保育園通いに復帰。
しかし生活が通常運転に戻るまでに
約12日間を要する「身も心も常に張り詰める日々」が繰り広げられたのでした。。。

「第1チャクラのテーマ」と重なり合った「ヘンリー・D・ソロー」の言葉
しかしです。
いつも本当に不思議だなぁと思うのですが
どんな時も「こころの出口」って
「絶妙なカタチ&タイミング」で用意されるものなんですね。
慌ただしく夕飯の買い出しに出かけた
ある日の帰り道、
とある施設の張り紙に書かれていたこの言葉に、
私の目はまさに「くぎ付け」になったのです。
Heaven is under our feet as well as above our heads.
天国は私たちの頭上だけでなく
足元にも広がっている
ー ヘンリー・D・ソロー
「足元」という言葉に
反射的に「第1チャクラのテーマ」が重なり
心の奥の、さらに奥深くで
「遠い過去」と「現在」までもが
そっと重なり合うような気がしました。
チャクラの学びを知る「前」と「後」。
異なる時間軸上にある
母としての「過去」と
祖母としての「現在」が…。
以下しばらく、
ワンオペ育児をしていた頃の
「ちょっと長い思い出話」になります。。。

│𝑪𝒉𝒂𝒑𝒕𝒆𝒓2│ワンオペ子育ての思い出
・夫の名誉のために、これだけは付け加えておきたい
当時、夫は仕事よりむしろ
娘の子育てに「積極的に関わりたい」と願っていました。
けれど
あの当時の状況が、それを許さなかった。
数年に一度の転勤に加え、
責任ある立場に抜擢された夫は
睡眠時間もろくに取れないほど「激務続き」。
そして時を同じくし、
私の祖母が入院。
母が介護を引き受けたため、
私は母を頼ろうにも、ほぼ不可能な状況に。
夫の両親はお二人とも身体が弱く
最初から頼れる状況ではない。
あの頃の私は、転勤先の東京で
とにかく自分が踏ん張るしかありませんでした。。。

・母娘で喘息と闘いながら
娘も私と同じく「喘息体質」。
季節の変わり目はよく、
親子ダブルで夜中の発作に苦しんだものです。
担当のお医者さまが貸してくださった
吸入器をまず娘に使わせ、
発作が収まって寝静まった後、ようやく自分の身体のケア。
ろくに眠れず、疲れも取れないまま朝が来て
また24時間、待ったなしの娘の世話と家事。
そして疲労が蓄積し、持病悪化の悪循環…。
病院を何度受診するも回復せず、
身体はいつも「倦怠感のベール」に覆われていたため、幼稚園に通う前の娘との遊びと言えば
「病院ごっこ」が定番。
「患者役」として、部屋で寝転がることで身体を休めつつ娘と過ごす。
そんなことくらいしか、できない時期も多かった。
自分のキャパを超えた慢性的な「過労状態」に
エネルギー自体が枯渇していたのだと思います。
・キッチンに立つ力すら出せない時、
椅子に座りながら材料を切って作る食事
・山のようにたまる洗濯物
・掃除するエネルギーすら湧かず、散らかり放題の部屋…
子供を見守りながら
家事をすること
それは社会で働くのとはまた別次元の
決して「きれいごと」だけでは語りきれない
〈心身消耗プロセスの側面〉と常に隣り合わせなのだと思い知りました。
我が子を愛する気持ち、
家庭を大切にしたい思いが
強ければ強いほどに。
頭では「仕方ない」と分かっている。
けれど
どうしようもなく、とめどなく湧き上がる
「夫がもっと手伝ってくれたら」
「自分がもっと健康でさえあったなら、
もっといい母親になれていたはずなのに」…
当時の私の心の内は、そんな
夫への「恨めしさにも似た感情」や
自分への「不甲斐なさ」で溢れかえっていました。。。

│𝑪𝒉𝒂𝒑𝒕𝒆𝒓3│言葉ではなく行動で。夫が見せてくれる「土台を編み直す勇氣」と「尊さ」
話を「現在」に戻して。
孫たちの誕生以降、
彼らの世話に「これ以上ない」というほど向き合う夫。
その姿は私の眼に、単なる「孫かわいさ」だけじゃなく、娘の子育てに関わり切れなかった
「当時の悔しさ」を埋めているかのようにも映ります。
(職場の同期や友人たちからは
「それ、ホンマやり過ぎやで~」と笑われているそうで…)
過去は変えられない。けれど、
今の自分ができるひとつひとつをかき集め、
自分が求めていた「日々の土台」を編み直す
夫の口からそう聴いたわけではありません。
けれど私には、そんな風に見えるのです。
誰に求められたわけでなく、
自分の意志で始める「過去」と「土台」の再構築。
それは決して簡単なことではありません。
そしてとても「勇氣がいること」だと思います。
その作業を「言葉」でなく
「行動」で実践する夫の姿に、
感謝と敬意、そして言葉にできない「尊さ」を感じ、胸がいっぱいになるのです。。。

│𝑪𝒉𝒂𝒑𝒕𝒆𝒓4│祖母となった今、「新米ママだった自分」に手渡せたメッセージ
約30年前、チャクラの考え方を知らなかった
「あの頃の自分」が持てずにいた視点。
それは
「根っこを支える価値」の大きさ
家族と共に対峙した
今回の「看病の日々」をきっかけに
そんな風に感じました。
色彩心理の世界を学び、そして「祖母」となったいま、そのことを「過去の自分」に手渡せたようにも感じます。
ただ「今日」を生きるためにご飯を作ったこと。
眠る場所を整えたこと。
娘の小さな体を、ぎゅっと抱きしめたこと。
過去の自分が、来る日も来る日も
「死に物狂い」で向き合い続けたこと。
それらは全て
健やかな心とからだを育てる
人生の「根」そのもの。
あの頃の私は、夫が日々実践してくれていた
「外で働くこと」とは別次元から、
確かに「家族の根っこ」を支えていたのです。
けれど、その行為の「価値」に
ほとんど気づけていなかった。
重い身体を引きずりながら、
日々そこへ挑み続ける
自分の「強さ」の価値を正当に認めることすらできていなかったのです。。。

・「今」の中に見定めるものを信じる
Heaven is under our feet as well as above our heads.
天国は私たちの頭上だけでなく
足元にも広がっている
ー ヘンリー・D・ソロー
ソローが綴った「足元」という言葉。
私はここに、第1チャクラの学びで説かれる
「まずは足元」という考えを重ね合わせずにいられません。
今、この瞬間の身体。
今、一緒にいる人(人々)。
今、ここで息をしている自分…
まずはそこへ、ただ真っ直ぐに目を向けて。
全ては「今」から始まり、
“「今」の中に見定めるもの”を信じる
その「延長線上」に
未来は開けていくのだから
第1チャクラの主要テーマである
「今、ここ」や「土台」。
その本質の「ひとかけら」は、そういうところにあるのかもしれない。
いまの私には、そんな風に思えるのです。。。

│𝑪𝒉𝒂𝒑𝒕𝒆𝒓5│「足元の天国」が世界を繋ぎとめる
Heaven is under our feet as well as above our heads.
天国は私たちの頭上だけでなく
足元にも広がっている
ー ヘンリー・D・ソロー
高熱でぐったりしながら
こちらに手を伸ばしてくる孫たちの仕草。
小さな体を抱き止める時、
この腕に感じる温もりと重み。
疲れた娘の表情の奥に見える
「母としての強さ」。
帰宅後、息つく間もなく
グズる孫を膝に乗せ、ご飯を食べさせる夫の
柔らかな眼差し。
パパに会いたいと泣き続ける長男に、
出張先から予定調整して
ビデオ通話してくれる義理の息子の笑顔…
「華やか」なんてとても言えない
それぞれが、くたくたに疲れ切っているはずの時間。
「お金」「生産性」を基軸に「価値」を測られることの多い、
人間界独特の経済・社会的視点から見れば、
およそ「立派」とは呼ばれるものではない行為…。
けれど、そのひとつひとつの光景は、
私にとって間違いなく「足元に広がる天国」でした。
頭上のどこか遠くにある
「ごほうび」なんかじゃなく、
辛く険しい今日という一日のどこかに
ひっそりとまぎれこむ
この上なく尊い「救い」。
それらはきっと時空を越え
世界のどこかで今、この瞬間も紡がれる
「世界そのもの」を、そっと静かに支え続ける営み。
大袈裟に聞こえるかもしれません。
けれど、疲労困憊の「家族の景色」に
私は神々しい「この世の救い」を見る思いがしたのです。
地味で、しんどくて、面倒なこと。
それこそが「ヒト」という生き物の「人生の土台」。
この世界はきっと、
そんな「地味でしんどい役割や行為」のおかげで
いつも、ぎりぎりのところで繋ぎとめられているのだと。。。
・
・
・
【おまけ】記事にできずにいたババ馬鹿ショット
ここまで、長い長い文章にお付き合いくださり
ありがとうございました。
(こんな長文を書いたのは、いつ振りだろう💦)
日常が戻り、やっとホッとできるはずなのに
どうしても「キロクに留めたい」と、
思いの丈を書き連ねてしまった次第です…(;^_^A
そんなこともあったりして
このところ、すっかり記事にしそびれていた
「孫ショット」。
最後にその一部を
紹介させてください…m(_ _)m

ご満悦だったE君。
尻尾を触っても全く怒らず、
穏やかに遊んでくれるお姉さんワンちゃんです…
(2025.11月)

後がつかえてたので、この後
無理やり引き離しました…😅ごめんよ〜
(2026.4月)

ミツバチに気づいて
「あー、あー」と指差して教えてくれるK君でした。
(2026.2月)

じじと植物園の並木道をテクテク。
(おしゃぶりが、まだまだ手放せません)
道ゆく人、ほぼ全員?に
バイバイしながら歩いていました…👋✨
(2026.5月)

クルクル回るのが大好き💕
次第に「高速かごめかごめ」になって
倒れても爆笑しながらエンドレスで続きます…😆
(2026.4月)
多忙につき、なかなか皆様のnoteに訪問できず
不義理ばかりで申し訳ございません。
本当にゆっくりではありますが
皆様の記事を拝見し、
いつもパワーと学びを頂いております。
コメントを見落としてしまったりと
何かと失礼もあることと思いますが
どうぞお許しくださいませ<(_ _)>
本日もお立ち寄りくださり、
最後までお付き合いくださって
本当にありがとうございました。。。
©𝐽𝑜𝑦𝑓𝑢𝑙 𝐶𝑜𝑙𝑜𝑟

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