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だから父は、家族で外食しなかった。


子どもの頃、地元に回転寿司屋さんがあった。

町に、ひとつだけだ。
そこでしか寿司が食べられないので、休日の夕方は、なかなか混んでいた。

今のように、ネット予約なんてない。
だから、混んでいるときは、店の外で呼ばれるのを待った。

「23番の方ー!」
お店の人が、直々に呼びに来る。
それまでは、退屈だ。
お腹も空いているし。

でも、店の前の道路を行き交う車を、ぼんやり眺めるのは案外飽きなかった。
わたしは寿司屋のスロープの手すりに腰かけて、紺色になりつつある夕焼け空や、ついたばかりの街頭を見つめた。





ある日のこと。
めずらしく、家族そろって回転寿司に行くことになった。

父は、昔から外食をしない派だったが、この日はなぜか、父もいた。
母と父とわたしと弟の四人。
黄色っぽいソファーで仕切られたボックス席に、向かい合って座った。

くら寿司でも、スシローでもない。
聞いたことのない名前のお寿司屋さん。
ボックス席から回転するレーンの中を見上げると、寿司職人のおじさんが真ん中でひしめき合っていた。

皆うつむき、テキパキと寿司を握っている。
そこだけが、ぽっかりと光るステージみたいだ。
わたしたちは、寿司握りショーを見にきた観客。
おじさんたちは皆、真剣で、誰とも目が合わなかった。



さて。
昔は、注文用タブレットなどない。
開店している寿司を選んで取るか、直接職人を呼ばねばならない。

回っている寿司は、時々色が悪かったり、米が固かったりする。
せっかくなら、食べたいものをその場で握ってもらった方が美味しいよ、と母が言った。
あと、わさび抜きも確かめられるし。


というわけで、「すみませーん!」と呼ぶ必要がある。
私たち家族は、誰が声を張り上げるのかと顔を見合わせた。

「こういうのは、父親が言うものよ」

母が言った。
母は、自分の父がしていたこと=父親の仕事だと思っている節がある。

たしかに、力仕事などは分かる。
でも、寿司屋で声を張り上げるのは、父親にしかできないことだろうか?
子ども心に、わたしは首をかしげた。


なんせ父は、声が小さい。
父が大きな声で話しているのなんて、見たことがない。
大声で笑うのも、怒るのも。
ボソボソと低い声で喋るので、普段の会話ですら聞こえづらい。

そんな父が、果たして寿司職人を呼ぶことができるのか?
わたしは、不安になった。


父は不満そうに、体を起こし、職人たちを見た。
そして、少しだけ右手を上げて、口をあけた。

「すいませーん‥」


当然、声は届かない。
他にもたくさんのお客さんが、「すみません!」と呼んでいるのだ。
店内はガヤガヤと騒がしい。
もっとアピールしなければ、気づかれない。

父はもう一度、「すいませーん」と言った。
だめだ、やっぱり気づかれない。

わたしは、父の声が不発で終わるたびに、かわいそうやら、恥ずかしいやらで、モジモジした。
もう、レーンに回っているのでいいじゃない。
早く食べようよ。


すると、母が横で「はあ」とため息をついた。
そして、ガッと右腕をあげ、

「すみません!!!」

と大声をあげた。
よく響く声。
職人の一人がすぐにこちらを見て、「はい!ご注文は?」と聞き返してくれた。

母は、自分の好きなエンガワ、わたしの好きなハマチとイクラ、弟のためにタマゴを注文した。
そして父に、
「アンタは自分で言いなさいよ」と促した。
父は、ボソボソと自分の欲しいものを伝えた。
寿司職人のおじさんは「かしこまりました!」と笑ってくれて、すぐに手を動かし始めた。


__最初から、母さんが呼べばよかったじゃん。

わたしの心の声がささやく。
でも、この場では言えなかった。

母は呆れた顔で、頬杖をついている。
父が寿司の注文すらできないというのが不満なのだろう。
対して父も、いたたまれない。
多分内心では「お前の方が声がでかいんだから、お前が呼べよ」と思っていたはずだ。
そして、寿司が来るまでの気まずい沈黙。


ああ、だからか。
だから父は、外食をしないんだ。


納得した。
外で食べるのが嫌いなのではない。
母と出かけると、父は父らしくいられないのだ。

わたしはその日から「家族で外食」に憧れるのを、やめた。
それで何の不都合もなかった。



人には、得手不得手がある。

声をはって注文するのが苦手な人もいれば、そんなこと気にもしないという人もいる。
だったらそれを、補い合えばいいじゃないか。
そんな簡単なことが、どうしてできないの?

小さかったわたしの中に、くすぶっていた感情が、今になってようやく言語化される。



父と母と揃って外食したのは、この寿司屋さんが最後だった。
それ以降は、父とだけ、あるいは母とだけ。
父とはほとんど行った記憶がない。
家族そろって行きたいとは、今でも思わない。




大学生になった頃、父と二人でラーメン屋に入ったことがある。
わたしは、寿司屋のことを思い出し、すこし緊張していた。

父は、店員を呼べるのだろうか。
いざとなれば、先にわたしが呼ぼうか__


「すいませーん‥!」


あっという間に、父が店員を呼んでいた。
寿司屋の記憶よりも、はるかに大きな声で。

たしかに、店内は空いていて、騒がしくもないし、店員がキョロキョロと注文が来るのを待ち構えていたので、気づかれやすかったのもある。

でもわたしは、驚いた。
そして、あの寿司屋は何だったのよ。
そうツッコミそうになって、やめた。

父と向かい合って、とんこつラーメンを食べた。
細麺に、あぶらっこいスープが絡んで、めちゃくちゃ美味しい。

「このラーメン好きやわ」

そう言うと、父は麺を啜りながら、「ここ美味いよね」とつぶやいた。
小さくて、ボソボソと低い声だった。

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