「ありがとう、じゃ、足りないの。」
留学中、私は何度も思った。
「ありがとう」って言葉だけじゃ、全然足りない――と。
目に見えない優しさに触れたとき、胸がぎゅっと掴まれるような感覚。
小さな出来事だけれど、遠く離れた異国で生きる私にとって、それは命に近いほど大きな瞬間だった。
雨の降る夕方、私はバス停で立ち尽くしていた。
手には地図、スマホは残りわずかの充電。
降りしきる雨は容赦なく、傘をさしてもずぶ濡れになりそうだった。
周りの人々は皆、自分の世界に夢中で、私の存在には目もくれない。
ーーとうしよう、、。
孤独と焦りで、胸がぎゅっと締め付けられる。
「どこに行きたいの?」
振り返ると、見知らぬおばあさんが、柔らかく微笑んで立っていた。
英語はゆっくり、簡単な単語だけ。
でも、その声の温かさに体の力がふっと抜けた。
「Thank… you…」と口にしたけれど、言葉だけでは到底伝えきれない、胸の奥からあふれる感謝がこみ上げた。
おばあさんは私の地図をのぞき込み、指を差しながら言った。
「ここに行きたいのね」
そして自分の傘を少し傾け、私に近づけてくれる。
その小さな動作に、言葉を超えた優しさを感じた。
私は何度も頭を下げながら、心の中で「ありがとう」を繰り返した。
「雨に濡れないようにね」とおばあさんは笑った。
その笑顔は、ずっと心に残った。
留学生活の中で、こうした「ありがとうじゃ足りない瞬間」は何度もあった。
授業でつまずいたとき、クラスメイトがそっと席を立ち、私のノートを覗き込みながら教えてくれた。
「大丈夫、ゆっくりでいいよ」と肩に触れるように言われた瞬間、恥ずかしさよりも安心感が勝った。
言葉を間違えて恥ずかしくなったときも、にこっと笑ってフォローしてくれた。
「Don’t worry. You’re doing great.」
その一言に、胸がぎゅっと締め付けられる。
放課後、公園で迷っていると、犬の散歩をしていた女性が声をかけてくれた。
「道に迷ったの?」
家まで一緒に歩きながら、優しく教えてくれる。
「この国では一人で迷うこともあるけれど、必ず誰かが助けてくれるのよ」
その言葉に、心がほっと温かくなった。
一番忘れられないのは、ホストファミリーとのある夜だった。
その日は英語の授業で大きな失敗をしてしまい、家に帰る足取りも重かった。
「どうしてこんなにうまくいかないんだろう…」
胸の奥で自分を責めながら、玄関を開けた。
何も言わずに並べられた夕食が目に入った。
「大丈夫よ」とホストマザーが差し出す笑顔。
「Shiori、今日は疲れたでしょ。座って」
涙が自然とこぼれた。
「Thank you…でも、これじゃ足りない」と心の中でつぶやく。
世界にたった一人取り残されたように感じていた私を、誰かがこんなにも優しく包んでくれる――
その事実が胸をぎゅっと締めつけた。
留学は、語学や勉強だけの経験ではない。
孤独や不安に向き合う中で、人の優しさを心の底から感じ、胸に刻む時間だ。
「ありがとうじゃ足りない」瞬間を重ねるたび、私は少しずつ、自分も誰かの支えになりたいと思うようになった。
雨に濡れたバス停、迷った公園、落ち込んだ夜の食卓――
どれも小さな出来事だけど、私の心を何度も救ってくれた。
言葉だけでは伝えきれない感謝――
その感覚を胸に刻むたび、留学を選んで本当に良かったと心から思う。
そしてこれからも、どんな小さな優しさも見逃さず、深く受け止めて生きていきたい。
心を動かしてくれたすべての人へ、改めて――ありがとう。
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