AI時代に「余白」は必要か?高校生が行う。狂言から考える想像力と共感のアンケートにご協力ください!
なぜ、私は狂言と「余白」を調べるのか?
今、私たちの生活にはAIやSNSなど、膨大な情報があふれています。
AIの推薦機能によって、自分の興味のある情報ばかりが届き、異なる考えに触れる機会が減ることもあります。
SNSでは、相手の事情や気持ちを想像する前に、自分の正しさを主張する場面も少なくありません。
そんな情報で埋め尽くされた現代だからこそ、「あえて語らない」「想像する余地を残す」ことに意味があるのではないか、と私は考えました。
私は小学二年生から、狂言、日本舞踊、三味線、華道、茶道、習字など、さまざまな日本の古典文化に触れてきました。
そこで感じたのが、古典には「余白」があるということです。
例えば狂言では、身体的な見立てや、間があることによって、見る人自身がその先を想像します。
では、この「自分で想像する余地」は、他者の気持ちを考えることにもつながるのでしょうか?古典はデジタル化による自己中心的な考えに陥ることの助けになるのでしょうか?
先行研究では、余白を美しいと感じることが必ずしも自然に備わっているとは限らないことが示されています。また、演劇と共感性の関係も研究されていますが、狂言特有の「見立て」や「間」が、他者の立場を想像する力とどのように関係するのかは、まだ明らかになっていません。
そこで私は、
「狂言の見立てや間を自分で解釈する体験は、
他者の立場を想像する力と関係するのか?」
という問いを立てました。
まずは実際に狂言の映像を見てもらい、
* 何を見立てとして認識したのか
* 「間」の中で何を想像したのか
* 登場人物の気持ちをどのように考えたのか
などをアンケートで調査します。
情報で埋め尽くされた現代に、古典が持つ「余白」は何をもたらせるのか。
この小さな実験を出発点に、狂言の「見立て」や「間」が、私たちの想像力や他者理解に持つ意味を探っていきます。
ぜひ、狂言を見て、あなたが何を想像したのかを教えてください。
所要時間:約2分
回答は研究目的のみに使用し、回答したくない質問には無理に答える必要はありません。
ご協力いただき、本当にありがとうございます。
また、この記事を引用して、アンケートを周りの方にも広めていただけると大変うれしいです✨
狂言を知っている方も、初めて見る方も、ぜひ参加してみてください‼️
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