教育論⑥ 〜出来ると分かるの違い〜
こんにちは!シュウです!
今日は出来ると分かるの違いについてお話します!
これは野球のみならず、教育論として知っておいてほしい考え方です!
是非ご覧下さい!
テーマ 出来ると分かるの違い
出来ると分かるの違いが分かりますか?
この2つは、似ているようでその本質は大きく違います。
勉強でも、「出来ること」と「分かること」ではその効果がまるで違います。
「出来る」だけではなく、「分かる」ようにさせてあげられる教員、指導者に私はなりたいです。
今回はそんな違いを、野球を題材にして取り上げたいと思います。
①野球における例
野球を例に取り上げてみると、
重盗の動きが出来る
のと
重盗の動きが分かる
のは違います。
何が違うかというと、一塁ランナーはこの動き、三塁ランナーはこの動き、バッターはこの動き、と動き方自体はそれぞれ理解しているけど、何故そう動くのかという意味を分かっていなければ、それは重盗の動きが出来ているだけで、分かってはいません。
分かっていない知識はすぐに忘れます。
そして本質を分かっていない動きでは試合の中での柔軟な対応ができなかったり、相手の守備を見てどの重盗が決まるのかという判断が出来なくなります。
だから私は、常に何かを教える時は分かるまで教えます。
これは勉強でも一緒です。
勉強が出来る、というのは短期記憶に過ぎず、定期試験ならなんとかなっても受験勉強に適した勉強法ではありません。
学んでいる内容の本質を理解すれば、1年経ってもそれを忘れることはありません。
勉強というのは、分かるという体験の繰り返しなんですよね。
②無知の知
じゃあどうしたら分かることが出来るのか。
それは人に教えることですね。
野球でも勉強でも、人に教えることで、話に詰まった時に自分がその本質を理解していないことに気付きます。
だから私はなんでも先輩が後輩に教えるべきだと思うんです。
先輩が後輩に教える流れで、先輩が話に詰まるシーンが来ると思います。
この瞬間がまさに教えている先輩にとっても学びの瞬間になります。
説明している中で、自分の未熟さに気付き、分からないから聞く、調べるということをすれば、それは長期記憶に繋がります。
私は社会科の教員ですが、授業をしている中でもこんなことはしょっちゅうあります。
生徒から違う角度で質問されて答えられなかった時、自分がその分野を分かっていないことに気付きます。
無知に気付いた時にこそ、人が成長するチャンスです。
自分が無知であることにも気付かない人にならず、無知であることを自覚し、学びを止めないことが重要です。
古代ギリシアの哲学者、ソクラテスが提唱する
「無知の知」
ですね。
皆が誰かの先生になれば、皆が無知の知に気付けます!
是非積極的に人に何かを教えてあげてください!
今日もご覧頂きありがとうございました!
