【創作長編小説】海竜のイルムと空びとのリーフ⑥
第6話 南へ、北へ
緑の葉から作ったという熱い飲みもの。それをお茶という。
熱いから気を付けて少しずつ飲むんだよ、という空びとの少年、リーフの小声の忠告を、ニンゲンの姿に変身中の海竜のイルムは、しっかりと守っていた。
海洋生物には、実にありがたい忠告。
己の唇と口中、舌を危険から遠ざけつつ――「あちち、あち」の未来を無事回避した――、昼下がりの陽の光に包まれた食堂のテーブルにて、ふくよかなお茶の風味を堪能しているのだ。
イルムとリーフ、それから地上で暮らす地びとのソルが、お茶を飲みつつ剣の話をしている、ちょうどそのとき。
「お客さんがた、うちの料理を気に入ってくれたようで。嬉しいよ。これ、うちのかみさんからのサービス」
お盆になにか料理を持って、低くがらがらとした声の男性が、イルムたちのテーブルにやってきた。日に焼けて、いかにも海の男といった感じの逞しい体つきに、白の前掛け。この食堂の店主らしい。感動だだ漏れのイルム、ちょい漏れのリーフの様子が、カウンター越しにもしっかり伝わっていたようだ。
夫婦で店を切り盛りしているようで、サービスと称して持ってきたのは、店主の奥さんが作ったデザートらしかった。テーブルを拭いている女性が、イルムたちのほうを見て笑顔で軽く挨拶をする。この女性が、店主の奥さんのようだ。
「こんな漁師町の食堂に似合わないってのに、これから少しずつデザートも提供したいっていってね。これ、試作品になるんだけどね。ちょっと食べてみて」
昼どきを過ぎていたからか、他の客たちはもう食事を済ませて店を出ていて、このとき店にいた客はイルムたちだけだった。
なんだ……! これは……!
イルムは息をのんだ。
「海色豆のゼリーさ」
テーブルに置かれたとき、かすかにその身を震わせたゼリーは、海岸近くの浅い海の色をしていた。透んだ水色は、「海色豆」という豆で色をつけているとのことだった。ゼリーの中には、「星果」という淡い黄色の星形の果物が浮かんでいて、思わずイルムはスプーンを握りしめ、上からだけでなくテーブルに頬を寄せて横からも、まじまじと見つめてしまった。
「食べるのがもったいないね」
と、リーフが顔を輝かせ、
「これ、とても爽やかでおいしい……! 絶対メニューに加えたほうがいいね!」
一口食べたソルが、絶賛していた。
イルムも、口に運んでみる。見たこともない美しい食べものに、手がぷるぷると震えた。スプーンの上のきらめくひとすくいも、ぷるぷると震える。先にゼリーを口に含んだリーフも、おいしい、と感激していた。イルムの心は、「おいしい」の先入観に支配される。
実食。
ここは、楽園なのだろうか。
またしても感動し、言葉を失う。イルムにとって初めて食べたスイーツであるこのゼリーは、「おいしい」の先入観の枠さえも軽々と飛び越えた。
おいしいなんてもんじゃない。これはきっと、「おいしい」に翼がついているのだ。
おいしさ、翼を授けられる。イルムの心は、ゼリーに運ばれるように食堂のテーブルから飛び立ち、楽園という名の異世界へと飛んでいた。
「そういえば、魔法石も美しい水色らしいね。ところでこの辺りで、魔法石の伝説とかなにか、魔法石に関する話ってありませんか?」
店主に話し掛けるソルの声に、イルムは我に返る。
魔法石。そうだ。ちょうど、こんな水色だ。
イルムは自分の胸元当たりの魔法石に、服の上から手を当てていた。
「魔法石? お客さん、魔法石についてなにか調べてるのかい?」
店主に尋ねられたソルは、そうだ、とうなずく。
店主は改めてソルやイルム、リーフを見つめる。ちょっと、話すべきかどうか、迷っているようでもあった。しかし店主は、ちょっとうなずくようなしぐさをしてから、話しだした。
「正直、この辺では聞いたことないねえ。でもさ、魔法石、面白そうだしちょっとロマンはあるけど――。悪いことは言わないから、あまり深入りしないほうがいいと思うよ」
え。
店主の言葉に、イルムはちょっと驚いたが、当のソルはさして気にしていないようだった。
「ええ。まあ、よくない連中も狙ってますし――」
「まあ、伝説を楽しんで集めるくらいならいいと思うけどね」
「ええ。そうですね」
ソルが素直に従ったので、うんうん、と店主はうなずく。
「隠してるわけじゃないよ。本当に俺の知ってる範囲では、聞いたことがないんだ。海の町は、様々な情報の集まるところでもある。そういったことで、ふらりと町に立ち寄る、あまり人相のよくないような連中から、同じように尋ねられることはあるが……。幸か不幸か、本当にこの辺でそういった話はないからね。お客さんは、あんな後ろ暗そうな連中が目をつけるものに、関わらないほうがいいと思う」
「そうですか」
打ち明けてくださり、ありがとうございます、とソルは礼を述べてから、これ以上話を広げるのを避けたのか、南の方向にある町へ行くにはどう行ったらいいか、どのくらいで着くか、などを店主に質問していた。
リーフは、魔法石の話題の間、なにも言葉を挟まなかった。魔法石についての話は、それで終わってしまった。
剣とかいう、武器。ソルは、それに魔法石をつけたい、と言っていたが。
剣に魔法石をつけるというソルの話にも、リーフはなにも言葉を掛けなかった。と、いうよりなにか言葉を言う暇もなく、店主がやってきてしまったのだが。
やはり、空びとや魔法石、空の国に関する話はしないという考えか。
「ゼリーもとってもおいしかったです。ごちそうさまでした。それじゃ――」
と、感謝の気持ちを述べ、ソルはなにかを取り出し――財布というものだと、あとからリーフに教わる――会計に立つ。
「ソルさん、ほんとにごちそうさまでした!」
食堂を出たあと、リーフはソルに深く頭を下げた。ソルに全部おごってもらったからだ。
「ごちそうさまでした。ほんとに」
イルムもリーフにならい、頭を下げてみる。
「はは。いやいや、そんな頭を下げなくても。これは怪物から命を助けてもらったお礼なんだから」
むしろ足りないくらいだよ、とソルは白い歯を見せた。
「ソルさんは、この先の町へ行くの?」
リーフが尋ねる。
「ああ。じゃあね。夕がた前に着けたら、って思ってる。ほんとにありがとう。イルムさんもリーフ君も、よい旅を!」
「ソルさん、どうか気を付けて。よい旅を!」
手を振るリーフにソルは笑顔で手を振り返し、そして背を向けた。心地よい潮風が吹く。リーフとイルムは、ソルが見えなくなるまで、並んで見送った。
「これで、いいのか?」
イルムがリーフに尋ねる。初めて出会った地びとのソルと、一緒に行動するのかと思っていたからだ。
「うん。魔法石を探してるって言っていたから……。ここでお別れしたほうがいいと思うんだ」
「そうか」
「魔法石はね」
ちょっと辺りを見回してから、リーフが語りだす。
「地びとたちにとって、毒になると言われているよ」
「え、毒」
それじゃ、ソルに毒だって教えてやったほうがいいんじゃないか、とイルムは慌てたが、リーフは首を左右に振った。
「僕たち空びとは、ずっと昔からみんなが魔法石を持っている。魔法も使える。地びとさんたちは、魔法は使えないし、きっとほとんど誰も魔法石を持ってない。持っていない人たちの中で持っている、それって危険な場合もあるんだって。特に魔法石は、力を持っているから。最悪、魔法石を持った地びとさんだけじゃなく、地びとさんたちの社会全体が壊れてしまうかもしれないんだって」
「へえ? まさか」
小さな石に、そんな力があるのか、イルムはにわかに信じがたい、と思った。
「だから、魔法石は地びとさんの手に渡らないようにするんだよって言われてる。たまに、空から落っこちちゃうこともあるんだけど……」
「そういうものなのか」
それにしても、とイルムは思う。
社会、か。
イルムは、食堂の看板を振り返る。
リーフにこっそり教えてもらった。料理の得意な者が皆に料理を出し、皆がその礼としてお金というものを渡す。さっきのソルと店主のやり取りが、金を出して受け取るということ、なのだろう。そしてそれは食べ物だけじゃない。舟や荷車、馬という動物と一緒に歩いているところなど見てきたが、それらは色々なシゴトというものに関係するらしい。日々誰かのためになにかをして、そしてなにかを返してもらっている。ニンゲンの暮らしというものは、循環する社会を作っている。
通りを歩く、ニンゲンたち。ひとりひとりが、関わり合っている。食べる、食べられるの循環ではなく、心地よく生きていくための知恵と心の循環。そう思うと、ニンゲンたちの紡ぐ壮大な繋がりに圧倒されるような気がした。
ソルを助け、ソルにおごってもらう。笑顔を向けると、笑顔が返ってくる。私も今、ニンゲンのルールにちゃんと参加できているのだな。
奇妙な感覚だった。どこか、嬉しいような、誇らしいような。イルムは、初めて関わるニンゲン社会というものに感心し、好感を持って見つめていた。
「新参者だが」
「え?」
つい、思っていることを口に出してしまった。リーフが不思議そうな顔でイルムを見上げていた。
「ソルは、次の町へ行った。私たちは、どうしたらいいだろうか?」
イルムの質問に、うーん、とリーフは腕組みした。
「実は、魔法で探ってたんだけど、マルテの気配が全然ないんだよね……。僕らも、他の場所へ行ってみようか?」
ソルの向かった南とは反対の北の方向に、歩き出した。
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