【創作長編小説】天風の剣 第190話
第十章 空の窓、そしてそれぞれの朝へ
― 第190話 名もなき旅人 ―
キアランと花紺青を乗せ、シラカバの幹が、雪空の中を突き進む。
オリヴィアさん、翠……! 四聖の皆を連れ、無事遠くまで逃げることができただろうか――。
キアランたちは、知らない。
上層部の魔導士たちに、四聖は連れ出されてしまったのだ、と。
キアランの前を行くのは、シトリンと蒼井。
くそ、オニキスめ――! どうか、間に合ってくれ――!
どくん、どくん――。
唐突に、キアランは、鼓動を感じた。
はじめ、自分の心臓の音だと思った。
違う……?
感じるのは、天風の剣を持つ右手。目をやれば、天風の剣が、感じる鼓動と共に金の光を明滅させていた。
アステール……!
ハッとした。
きっと、もう間もなく、空の窓が開くのだ――!
百年に一度形どる、特別な空の星位。そのときが近いことを、アステールは感じ取っているのだ、キアランは推察する。
「キアラン……!」
花紺青が、後ろからキアランを抱きしめていた。
「聞いて。今から、アステールの言葉、伝えるね」
そのとき花紺青は、アステールの心から発せられる声を、受け取っていた。
『もう間もなく、お別れです。その瞬間、私を空に、送ってください』
伝えながら、キアランの背から回された小さな花紺青の腕に、ぎゅっと力がこもる。
『今まで本当にありがとうございました。剣としての私は、そのまま残ります。私の体は、これからもあなたと共に戦い続けます。心は天に。空から、あなたを見守り続けます』
「アステール……! 私は――」
たくさんの想いがあふれてくる。しかし、喉につかえ、うまく言葉として出てこない。
私は――! お前と共に、旅をしてきた……! お前と――。
キアランは、叫んでいた。こみ上げる熱い涙と共に。
「アステール!」
なにかを、伝えたかった。しかし、想いを表す適当な言葉が見当たらない。
焦りともどかしい思いの中、キアランは、自分でも思いがけないことを、口走っていた。
「頼む! アステール……! 行きたくないと、言ってくれ……! 自分の魂は自分のものだ、そう言ってくれ……!」
「キアラン!」
驚き、花紺青がキアランを見上げる。
「そんなのお前ら人間たちの勝手だ、一緒に逃げようって、言ってくれ――」
ふっ、と景色が変わる。
キアランの目の前に、水色の長い髪の青年が現れた、ような気がした。
幻の青年は、笑っていた。
『キアラン。子どもみたいですね』
アステール……?
『私がそんなこと言ったら、困ってしまうのはあなたでしょう?』
そうだ、と思った。そんなことをアステールに言われては、きっと使命を果たせなくなってしまう。
アステールの、長い指。そっと、キアランの涙を拭う。
『ありがとう、キアラン』
「アステール。お前は、本当にそれで――」
『あなたの今の気持ち、それは私にとって、充分すぎるほどの贈り物です。何十年何百年何千年、ただ夢のような中で生きることより、確かな重みがあります』
アステールは、肩をすくめ、いたずらっぽく笑った。
『私は剣ですから、これ以上は抱えきれません』
花紺青が、涙声になりそうなところをこらえつつ、おどけながら、
「手がないもんね」
と、述べた。ふふっ、と無理に笑い声まで付け足して。
『ええ。薄っぺらい金属です。これ以上は、おなかいっぱいです』
「アステール……」
胸が締め付けられる。想いに、押しつぶされそうになる。
なぜ私なのだろうと思う。なにも知らなければよかった、と思う。
一振りの剣だけを携えた、名もない旅人でいたほうが、よかったのではないか――。
しかし、花紺青の腕が、キアランを支えていた。キアランを現実に、繋ぎとめていた。
ひときわ強い、雪のつぶて。
キアランは、まっすぐ前を見据えた。
違う。私は、たくさんのものを得た。アステールと、皆と共有した。私は、たくさんの大切なものを、大切な命を、守らなければならない――!
アステールの声が、キアランの頭の中に直接届く。
『お願いします。キアラン』
守らなければならない、のではない、とキアランは心の中で訂正する。
『私の使命を、果たさせてください』
守りたいのだ――! その気持ちは、アステールも一緒だ。それならなんとしても、アステールの想いに、報いねば――!
水色の美しい髪の青年の姿はもうない。明滅する、天風の剣。それが彼のすべて。
「アステール。よろしく頼む――」
吹き付け続ける雪の合間に、アステールが微笑んでうなずく姿が、ほんの一瞬見えたような気がした。
『お別れでは、ないんですよ。ずっと、一緒です』
うん、とうなずき返す。右手に感じる、剣の重み。
ずっと、旅をしていた。これからも、一緒だ。
迫る、最後のひととき。しかしその瞬間を超えても、相棒と言える大切な剣を携えた、名もなき旅人に違いはない、キアランは思い直した。
ふと気が付けば、前を飛ぶシトリンと蒼井が急降下していた。四聖の皆を、見つけたようだ。
「キアラン、行くよ!」
花紺青も、シラカバの幹を急降下させる。
振り上げられる、しなやかな腕。
そして繰り出される、四天王オニキスの、雷のような、一撃――。
「はっ……」
アマリアは、息をのむ。
亜麻色の長い髪が、舞い上がる。
自分たちのところに、落とされた攻撃なのかと思った。しかし、爆風が発生したのは、自分たちの背後。
いななき、立ち上がる愛馬バームスをなだめつつ、アマリアは振り返る。
「シルガーさん! 白銀さん! 黒羽さん……!」
オニキスの攻撃は、人間たちの上空を飛び越え、シルガーや白銀、黒羽、そして赤朽葉の戦っている辺りに向けられていた。
そうか、四聖の力を手にするために、四聖に当てるわけにはいかないということ――。
シルガーたちの状況はわからなかった。気になりつつも、アマリアは前方に意識を向ける。
四天王オニキスに気を取られた魔導士たちの合間を縫うように、ライネが愛馬グローリーを走らせる。
「ルーイ!」
ライネは、無事ルーイをグローリーの背に抱え上げていた。
「フレヤッ」
ソフィアも、妹フレヤに手を伸ばし、自分の愛馬の上に引き上げることを成功させていた。
「四聖の皆様は、こちらで――」
「私がユリアナ様をお守りします!」
魔導士の言葉を遮り、テオドルはユリアナを抱え、無事自分の馬の背に乗せていた。
「ルーイ、しっかりしろ、ルーイ!」
「フレヤ、どうしちゃったの? 私が、わからないの?」
「ユリアナ様――!」
ライネたちの動揺した反応を見る前に、四聖たちの様子がおかしいことを、アマリアも気付いていた。
「兄さん……!」
アマリアは急ぎ、愛馬バディに乗っているダンに問いかけた。ダンは、ニイロを自分の前に乗せている。
「ああ。ニイロ殿も、強い魔法がかけられている。彼の場合、強靭な精神力で意識を保っているが」
「そんな――!」
「空の窓への祈りは有効だが、このままの状態が続けば、皆の心身が危険だ」
ボコオッ……!
不意に、足元の雪が割れ、勢いよくなにかが飛び出した。
「見つけたぞ、四聖……! 空の窓がもう間もなく開くからか、俺の勘もいつになく冴えてるとみえる! 我ながら、あっぱれ!」
雪の下から、飛び出したのは、四聖の気配を追って出た黒裂丸。
しまった……! 様々な強いエネルギーが渦巻き過ぎていて、気付くのが遅れてしまった――!
黒裂丸は、一番近くにいる四聖、ニイロに視線を定めていた。
「兄さん、逃げて……!」
アマリアとダンは、黒裂丸に向け、同時に攻撃魔法を唱えた。
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