【創作長編小説】海竜のイルムと空びとのリーフ⑩
第10話 よかったのだ、よかったのだ
黒い森の中をひた走る。探索の魔法を駆使しながら。
魔法石。おそらく、護りの魔法で隠しているようだが――。確実に、そのありかに近付いている……!
鳥を従えた、黒づくめの男。ついに確かな気配を掴んだ。魔法石を見つける己の感覚は、魔法を使う者の中でも、抜きんでて優れていると男は自負している。
見つけた……!
男は、ついに発見した。木々を抜けたところに設営された、一つのテントを。
野生の勘。
海竜のイルムは、海の中の上位捕食者ではあるが、多種多様な生物――ナマコンブも含む――の暮らす海という過酷な生存競争の場で生きているため、睡眠中であっても危機察知の鋭敏な感覚が働くようになっていた。
青年の姿に変身中のイルムは、毛布に包まれながらも、密かに目を覚ます。
殺気。
迫りくる、ただならぬ気配を感じた。イルムは、接近する相手を打ち付けるべく、すかさず自身の尾をくねらそうとした。
あっ、尾がない。
慣れない人型、しかも眠りから覚めたばかりで、今の自分には尾がないことをイルムは忘れていた。そのため悲しいことに、毛布の中でイルムは盛大にお尻を左右に振ったのみとなる。それではただ、かわいいだけだ。いや、かわいいという表現には疑問が残るが――。そんなわけで、少々反応に遅れをとったわけだが、
ざっ。
テントの暗闇の中、毛布を投げ飛ばし急いで起き上がったイルムは、その場から飛び下がった。そして、状況を把握した。
ニンゲンだ。見下ろすとうずくまるような、ニンゲンの黒い影。ニンゲンが、イルムが寝ていた場所に、なにかを突き立てている。間一髪、イルムの動きが速かったのだ。
短い剣だ。
ほんの少し、刃の光が見えた。気付かず寝ていたら、ちょうど、イルムの胸の辺りだっただろう。短剣が突き立てられていた場所は。
「ちっ」
ニンゲンは短く舌打ちをし、突き刺した短剣を素早く引き抜き、イルムに斬り掛かってきた。
遅いな。
そのときイルムは見た。ニンゲンの目を。暗がりでもわかる。今このニンゲンは、目を大きく見開き、驚きの表情を浮かべている、と。
イルムは、右手で襲い掛かるニンゲンの手首を掴み上げていた。短剣を持つ、右手。そして、イルムの左手はニンゲンの腹へ。それらのイルムの動きはほぼ、同時だった。遅れてニンゲンが、うめき声を上げた。イルムの左こぶしが、ニンゲンの腹を打っていた。
腹への打撃は力をかなり緩めていたが、右手首のほうはちょっと強かったのかもしれない。ニンゲンの手から、短剣が落ちた。
「きさま……!」
ニンゲンが、大声を出しそうになった。男の声だった。
「リーフが、起きてしまう」
イルムは今度、左手のひらで、男の口を、びったん、と音を立ててふさいだ。その際、ちら、と目の端でリーフのほうを確認したが、手のひらの「びったん」でもリーフは起きなかったようだ。
手首を掴み上げられた状態のまま、動きを封じられた男は、イルムに蹴りを入れようと、右足を振り上げていた。
遅いな。
イルムが、男の軸足である左足を軽く払う。結果、男の蹴りがイルムに当たることはなく、男の体はイルムに掴まれたままの右手首だけが支えで、斜めに倒れそうになってしまっていた。
「去れ。さもなくば、食うぞ」
イルムは、脅した。イルムの場合、脅し、というかほぼ宣言である。イルムは男の顔に自分の顔を近付け、大きく口を開けた。ニンゲンの歯で、尖ってはいない。逆にそれが、狂気を感じさせる圧となる。
「き、貴様、空びとじゃ、ないな……!? いったい、何者……」
恐怖からか焦りからか、荒い息で男は尋ねる。
「それは私のほうが問うべき質問だろう。貴様、何者だ」
苦し紛れか、にやり、男の口元に、笑みが浮かぶ。そして、男は叫ぶ。
「我は開け放つ、写し取りたる妖月の輝き……!」
え。
今の叫びは呪文に違いない、とイルムは思った。目の前に、大きな光が広がった。
なにも見えない……!
光が辺りを支配していたのは、ほんのわずかな間のようだった。が、知らず、手が緩んでいたようだ。突然の明るさから元の暗闇に目が慣れるその間に、男の姿が消えていた。
イルムは、テントの外へ走り出る。しかし、男の姿は見当たらない。その代わり、動くものを見つけた。
「鳥だ――」
星の下、黒い木々の上を、一羽の鳥が飛んでいくのが見えた。
「イルム、イルム、イルムーッ!」
激しく肩を揺り動かす、小さな手。
「んあ」
イルムは、目を開けた。
「イルム、これ、なに……!?」
唐突な質問と共に、空びとの少年、リーフの戸惑う顔があった。
「これって……、これってなんのことだ?」
イルムは、寝ぼけ眼をしながら起き上がる。辺りはすっかり明るく、鳥の声も聞こえ、どうやら朝になったようだ。
「これ……、短剣……! どうしてこんなものが、ここに……? イルム、なにか知ってる……?」
ああ。なるほど。
イルムはいっぺんにわかってしまった。今、自分がやたら眠いのは、深夜あの男の侵入で起こされ、二度寝をしたためだということ、そして、リーフが今慌てているのは、テント内に短剣があったこと、という二点。そして、ついでにいえば、あの騒動でもまったくリーフが起きなかった、ということも。
「深夜、男が入ってきた。それは、その男のものだ」
ええーっ、と腰を抜かさんばかりにリーフは驚き、そして、手に持っていたくない、とばかり、短剣を後ろに放り投げた。
「ええ、なにそれ、なにそれ! 全然僕、気付かなかったよ!? 強盗!? 殺人鬼!? 山賊!? そんなのが来てたの!?」
ゴウトウ、サツジンキ、サンゾク。
新たな単語にイルムは首をかしげ、リーフは強盗と殺人鬼と山賊について説明する羽目になる。
「なんだ、それは……! ニンゲンの敵、ニンゲンだらけじゃないか……!」
多種多様なニンゲンの「悪」に、イルムは衝撃を受けた。
「悪いひと、いっぱいいるよ……。他にも。ええと、たとえば、変質者とか、詐欺師とか、もっと色々――」
イルムの目は、まんまるになってしまった。「変質者」や「詐欺師」についてはリーフの講釈が必要だったが、生存競争としてではなく、誰かの生命や暮らしを脅かす明確な害悪は、イルムにとっても素直に「悪」と納得できた。
「悪いひとの細分化が、半端ない……! なんということだ……! あまりに種類が充実しすぎる……! もしかして、ニンゲンは敵だらけなんじゃないか……!」
そこまで驚いてから、イルムの頭に新たな疑問が湧く。
「それでは、いいひとは、どうなんだ!? いいひとの、種類は?」
いいひとも、細分化されているのだろうと思った。
「いいひとは、いいひとだよ」
いいひとは、いいひとだった――!
いいひと、一本化されていた。
「ニンゲン自身を脅かすニンゲンの種類が、たくさんある。だから、分類するためにもニンゲン社会には裁判というものが必要なのか」
イルムはなんとなく、昨日教えてもらった「裁判」というものを思い出していた。
「よかった――」
リーフは盛大にため息をついていた。
「え。今、裁判に思いを馳せたのが、よかったのか?」
違う、違う、とリーフは首を左右に振った。
「イルムが無事だった。それがすごくよかったと思ってるんだよ」
私の、無事――。
よかったあ、よかったあ、とリーフはイルムに抱きついた。
誰かの無事を思うこと、それを優しいという――。
イルムは、リーフの優しさを嚙みしめていた。胸にリーフのぬくもりを感じながら、それとは別に胸の中、じんわりとなんともいえない幸せなあたたかさが広がっていく。
「ありがとう。リーフ。無事を思ってくれて」
「うん! ほんとによかった!」
今度はイルムの両手をとり、よかった、よかった、とリーフはイルムの手を持ったまま上下に振っていた。
「リーフも無事で、よかった」
今度はイルムが繋いでいるリーフの両手を、よかったのだ、よかったのだ、と述べながら上下に振り、それからふたりで笑い合った。
「イルム。それでその怖いひと、どうなったの?」
少し眉根を寄せながら、リーフは尋ねる。
「ああ。一応手加減して攻撃しておいた。そして、食うぞって言ったら、逃げて行った。だが」
「だが?」
リーフは、大きな目をさらに大きくし、胸の辺りで両手を組みつつ、イルムの話の続きを促した。謎の侵入者に対する怯えと同時に、侵入者を追い払ったイルムの武勇伝の中身に、少々の好奇心も寄せているようだ。
「光るなにかを、出した。おそらく、魔法の呪文で」
「魔法――!」
「魔法を使えるということは、あいつは空びと、なのか?」
リーフは、少し考え込んでいるようだった。
「地びとでも、魔法を使える者は、とっても数が少ないけれど、一応いるらしいよ。あと、空びとと地びとの間に生まれた者も、魔法を使える――」
「そうか……」
「イルム。その悪いひとの特徴とか、言ってたこととか、覚えてる……?」
イルムは腕組みをし、ちょっと考える。
「声や体格の感じから、大人の男だったと思う。言ってたことは――、私に対して何者か、と訊いてきたくらいかな」
さして重要な情報じゃないな、と思った。そもそも、リーフを起こさないよう、あまりしゃべれないようにしていた。
朝の光と歌うように聞こえてくる小鳥のさえずり。昨晩のできごとが、まるで嘘のようだ。
「あ。鳥」
「鳥?」
「ああ。男を追って外に出たとき、遠く鳥が飛んでいくのが見えた」
爽やかな朝の、はずだった。マルテを探す、新たな希望のスタートとなる朝のはずだった。
ひんやりとした新鮮な空気の中、イルムとリーフは不穏な影について思いを巡らす――。
◆小説家になろう様掲載作品◆
