【創作長編小説】天風の剣 最終話
第十章 空の窓、そしてそれぞれの朝へ
― 最終話 綴られていく物語 ―
激戦の後を埋めつくす、雪の白。
ノースストルム峡谷は、あいかわらずの吹雪だった。
赤朽葉は、激しく負傷しすっかり疲弊した体を回復させるため、本格的な睡眠に移行しようとしていた。
「なあ、赤朽葉」
雪風の向こう、同じくひどく負傷した様子の、黒裂丸の声がした。
「なんだ。黒裂丸」
顔の位置をずらすだけで、雪に埋もれかけた黒裂丸の姿が見えた。自分と同じく、今の黒裂丸は、立ち上がる力もないようだ。
「お前も、ひどくやられたな」
赤朽葉の状態をそう評した黒裂丸の声は、なぜか笑っていた。
そんなことを言うために、わざわざ話し掛けてきたのか。
赤朽葉は、黒裂丸の変わらぬ様子に、苦笑する。
「俺たち、従者じゃなくなったようだな」
黒裂丸が、しみじみと呟く。
赤朽葉も、感じていた。空の窓という特殊なエネルギーが永遠に閉じてなくなり、自分の身に起きた変化を。
「ああ。従者というものは、この世界からなくなったようだな」
「どうする?」
黒裂丸が、問う。
「どうする、とは?」
「体の調子が回復したら、赤朽葉、これからお前はどう生きる?」
「それは、もちろん――」
自由。からっぽになった心と体に、新しい風が吹く。
きっと、芽吹く。私の中にも、新しい自分が。
長い間縛られていた鎖から解き放たれたように、喜びが、押し寄せる。
もう、私は、真に自由なのだ――!
黒裂丸が、赤朽葉の答えを待たずに話し出した。
「俺は、そうだな。世界中を旅して、世界中の強いやつと戦ってみたい。面白そうだろう?」
本当に変わらないな。こいつは。
乾いた血がこびりついた赤朽葉の口元に、笑みが浮かんでいた。
「そこで、だな。赤朽葉」
なにが、そこでなんだ、と赤朽葉は思う。
「回復したら真っ先に、赤朽葉、お前と勝負したい」
ほんとに、変わらんな。こいつは。
赤朽葉は天を仰ぐ。傷だらけの顔に、冷たい雪が、今は心地よい。
「なるほど――。承知した」
赤朽葉は、うなずいてみせた。
「よし! それでこそ、回復のしがいがあるというもの! 張り切って、眠るぞ!」
わははは、とひとしきり大声で笑ったあと、黒裂丸の声は途絶え、吹雪の音しか聞こえなくなった。
黒裂丸は、意気揚々と――、一足先に、完全な回復の眠りへと移行したようだ。
ここは、魔の者の侵入を拒む神聖な場所。そして厳しすぎる環境に、獣の姿もない。
人間たちや、元四天王、元従者たちも、とうにこの地を発ったようだ。
睡眠中の自分たちが、誰かに殺される危険はなかった。あとは、時の流れに任せるだけ。
私も、眠るか――。
赤朽葉は、目を閉じる。
さて。私とあいつ、どちらが先に目覚めるか。とはいえ、お互い、傷は深いな。いったい、いつの話になることやら。
どちらが先に目覚めるかなどという、小さな競争に、笑みを浮かべる。
静かに降り積もっていく、雪。
赤朽葉は雪の下、必ず訪れる朝を待っている。
「ニイロおにーちゃん」
ニイロは、持っていた自分の弓を、思わず取り落とす。
「お、お前は――!」
「二か月ぶりで、忘れちゃった?」
小首をかしげる、美しい少女。かたわらにいるのは、どう見ても、翠と蒼井。
「シトリンー!?」
「そうだよ」
にっこりと微笑む。背も高くなり、胸元がふくらみ、白い手足が、すらりと伸びていた。どう見ても、十代半ば、もしくはもう少し上くらいの少女に見えた。
「他の兵士たちの気持ちを考えて、私たち、ちょっと姿を隠してたの」
目の前の少女、シトリンは輝く――とても美しかった――笑顔を見せる。ニイロは、戸惑う。
この美しい乙女が、あのシトリン……!?
「だからって、そ、そんなに姿が変わるほどの時間は、経ってない――」
「私たち、魔の者だよ。成長の度合いは、人とは違う」
ちなみに、成長のタイミングや度合い、進み具合も、個体差が大きくあるとシトリンは述べる。花紺青など、二十年以上変わらず少年の姿のままだ。
「昨日から、この姿になったの」
「へ、へえ……」
昨日からか、それはまた突然、とニイロは言うしかなかった。
「俺の呼びかたが、この前から『おじさん』から『おにーちゃん』に変わったのは、そのへんの変化もあるのか」
ずっと、「ニイロのおじちゃん」だった。それが、あの空の窓が開く日から「おにーちゃん」に変わっていた。
「私ね。考えてたの。ずっと」
なにが、とニイロは荷物の整理をしつつ尋ねる。
ニイロは、この日、この町を発つつもりだった。キアランやソフィアの怪我が治るまで、ダンやアマリアたちは滞在する予定のようだが、長い間空けていた島の様子も気になるし、いつまでも世話になるわけにもいかないと、ニイロは皆に別れを告げていた。
ちなみに昨晩は、テオドルが主となり、盛大にニイロのお別れの会が開かれていた。
「私の初恋って、ヴィーリヤミのおじちゃんだったのかな、って」
へ、へえ。ニイロはふたたび、へえ、と言うしかなかった。
「でね、二番目の恋って、本物だと思うの」
二番目の、恋……!?
ニイロの頭の中は、疑問符でいっぱいになる。なぜ二か月ぶりに現れ、旅立つ最後の準備中の俺に、そんなことを言うのか、と。
「まあ、出会いからいったら、ニイロおにーちゃんのほうが先だけど。あのときは、私も幼かったから。そういうわけで、二番目なのね」
あのときは幼いって、昨日まで幼かったのでは――。
ニイロは、ハッとした。
自分の両腕を、しっかりと翠と蒼井が掴んでいたのである。
「な、なにを――」
シトリンは、頬をバラ色に染め、はじらいながら笑う。
「ニイロおにーちゃん。私、ニイロおにーちゃんのお嫁さんになるね」
え!?
ふたたび、弓を取り落とす。弓だけではあきたらず、背負った矢も、ばらばらと散乱させていた。
「そういうわけだ。あきらめろニイロ」
翠が言う。
「我々も二か月間、シトリン様のお心を変えようと、死力を尽くした。しかし、どのような分野でもシトリン様を超える力など、当然我々にはない。あきらめろ。ニイロ。お前は、オムコサンニナルノダ」
後半カタコトになりながら、蒼井が言う。
「あきらめろって、なにが――」
翠と蒼井が飛び立ち、二人に両脇をかためられたニイロの足は、宙に浮かぶ。
シトリンの、眩しい笑顔。ニイロが一瞬言葉を失うほどに、シトリンの笑顔は清らかな光に満ちあふれていた。
「さっ。あの島に帰ろう。ニイロおにーちゃん。そして私たちに、おいしいごはん、食べさせて」
我に返る、ニイロ。
「私たちって、翠と蒼井、お前らも――」
「もちろん、一緒だ。我々は、シトリン様の従者だ。その力がなくなっても」
「その立場では、なくなっても。魂ある限り、我々は、シトリン様の忠実なしもべだ」
なに、なんだって!? ちょっと待て。理解が、追いつかん――。
お嫁さん、おむこさん、ごはん――、ええと、俺の気持ちは、俺の旅立ちは、島って、つまり、俺の島――と、ニイロの頭の中、様々な疑問や考えが浮かんでは消える。
ニイロは、叫ぶ。
「て、ゆーか! 俺がお前らを食わせていくのかーっ!」
空高く、ニイロの叫び声が、こだましていた。
フレヤが、空を見上げた。
「どうしたの? フレヤ」
ベッドの上、ソフィアが尋ねる。
「いえ。翠さんの声が、聞こえた気が――」
フレヤの瞳は、いつまでも空を映していた。
よく晴れた朝。開けた窓から、そよ風が入る。
「ライネ。久しぶりだな」
キアランのもとへ、ライネが訪ねてきていた。
「オリヴィアさんや、テオドル、ユリアナさんの手伝いをしていて、なかなか時間がなくてな」
ライネは、国を立て直すために奔走するオリヴィアたちを、自分ができうるあらゆる面から、手助けしていた。
「キアラン。具合はどうだ?」
「ああ。おかげさまで、すっかりよくなった。私も、そろそろ国へ帰ろうと思う」
そこで、ぴょこん、とお盆を持った花紺青が顔を出す。
「僕も、ルーイも、アマリアさんも、一緒にねっ。あ、ソフィアさんはもうしばらく休んでいたほうがいいみたいだから、ダンさんやフレヤさんは、もうちょっとこの町にいるだろうけど」
ライネのために、お茶を淹れてくれていたようだ。
「ライネ。お前は――」
一口お茶をすすってから、ライネがうなずく。
「この国がある程度落ち着くまで、俺はここにいる」
「そうか――」
ライネは、顔を上げ、ニッと笑った。
「オリヴィアさん、俺の庭をぜひ見たいって言ってくれた! だから、いつかはたぶん――」
「そうか……!」
そのとき、キアランの頭の中には、あの手入れの行き届いた小さな庭で、草花や不思議な石たちと会話しながら、仲睦まじく寄り添い合う未来の二人の姿が、はっきりと浮かんでいた。
キアランは、窓の向こうを見る。遠い空から、遠い故国を見つめる。
「あの、ライネのまじない、ちゃんと叶えてくれるんだな」
「え? 俺のまじない?」
「うん。みんな揃って、また無事に帰って来れるようにっていう、木の実の魔法」
『投げた木の実は日の光をいっぱい浴びて森に落ち、やがて大樹へ成長する、そして、俺たちをたくさんの木の実で迎えてくれるんだよ』
「ああ、そうだな」
ライネが、笑う。
「うん。木の実をつける前に、きっと――」
ばたばたと、廊下を走る音がする。
「キアラン! あっ、ライネも! 大変だよ、助けてあげて――」
ルーイが、息せき切って扉を開ける。
「ルーイ、どうした」
「魔の者が――、町の外れに魔の者が出たらしいって――! 牧場の動物たちが、たくさんやられたって――」
キアランとライネ、そして花紺青は、共にうなずき合う。
キアランは、立ち上がる。天風の剣を、手にして。
「行くぞ、フェリックス!」
キアランは、愛馬フェリックスに飛び乗った。
月日は、あっという間に流れていく。
ノースストルム峡谷は、いつもと変わらず雪が吹き荒れる。
赤朽葉と黒裂丸も、この地を旅立って久しい。
金色の葉をつけた、一本の木。世界にただひとつの、木。外界で季節がうつろい変わっても、金の葉が落ちることは、なかった。
木の前に、三つの影が降り立つ。
「久しぶりだな、カナフ」
シルガーと、白銀、黒羽だった。
シルガーは、金色の葉の木の前に立ち、手にした瓶を掲げた。
「高次の存在に出会ったとき、聞いた。これは、とても神聖な泉に湧く、特別な水らしい」
こうして瓶を手にしていても、びりびりとした感覚がある、確かに力のある水だ、とシルガーは笑う。
シルガーは瓶を開け、木の根元近くに、水をそそぐ。
「一杯やろう。あのときのように」
これは、私や白銀、黒羽は飲めんが、とシルガーは付け足す。
カナフの意識は、もうどこにもない。シルガーは、そのことを知っていた。しかし、シルガーは木に話し掛け続ける。
「カナフ。最近のやつらの話でも、しようか。あいつらは、常に変化していて、本当に見ていて飽きない。まあそれぞれ色々あったようだが、中でも一番私が仰天したのは、フレヤかな」
シルガーは、木の根元に腰かけた。白銀、黒羽も微笑み、すぐ傍に座った。
「私に、ニイロの島へ、連れて行けというのだ。どうしてかと尋ねると――」
金色の葉をつけた枝が、揺れる。強い風や、降る雪のせいだろうか。
「どうしても、翠に会いたいというのだ。なんとフレヤは、あいつの傍に、いたいと言うのだ」
もちろん、姉のソフィアは猛反対したが、フレヤは姉や周りの意見を頑として聞き入れない、とシルガーは愉快そうに述べる。
「翠も、目を大きく見開いて驚いていたが、まんざらでもないようだった。それで今は、ニイロやシトリンたち、そしてフレヤまで加わって、あの島の人口密度が一気に高まっている」
シルガーは、話し続ける。カナフ、お前が聞いていようがいまいが、関係ない、私が話したいから話しているだけだ、と――。
「それから、これも大きな変化だ。キアランとアマリア。二人の間には――」
二人の間には。
シルガーは、天を見上げた。銀色の瞳は、分厚い雲の上、まだ光を放つことのない、昼間の星を見つめる。
シルガーには、ひとつの星が見えていた。
「そうして物語は、綴られていく。豊かに、それぞれの輝きを放ちながら。この先も、ずっと。そうだろう、アステール」
地上のカナフと、空のアステール。
二つの存在は、もういない。それでも――。
いつまでも、いつまでも語り続ける。
太陽の時間から、月や星の時間に変わっても。
金の葉が、揺れる。そっと、微笑むように。
◆小説家になろう様、pixiv様、アルファポリス様、ツギクル様掲載作品◆
