第9話|デュラはん、オッさん、おじいちゃんの国|創作大賞2025エンタメ原作部門
スマホの画面をとんと指で触ると、「20:43」。
(さすがに、ちょっと、いやだいぶ……遅いよなぁ……)
首と手の治療で病院へ向かったデュラはんと、付き添いの黎分、ふたりのことだ。
この、乙彦がいるマンションへ戻ってもこない。
数回、乙彦もトークを送ってみたが、返信はなく、既読もつかない。
※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※
櫻国櫻子への取材は⸻、乙彦は好んでそれを「トーク・セッション」と呼んだりするが⸻長時間に及んだ。
ICレコーダーの記録によると、17:13から録音が開始され、19:49までと録音時間はじつに2時間36分。
すでに、彼女は帰って行った。
トーク・セッションの中では、櫻国があからさまに苛立って声を荒げる場面もあったし、感情が昂って嗚咽を漏らす場面もあった。
前者は、「次回は、泉司春詩とこうしてセッションしたいと思うので、間を取り持ってくれないか」と依頼した時。
後者は、そこからの流れで
「私はもう、おしまいだ」と言い出した時だ。
彼女によると、今回のこの失敗は⸻デュラはんを〈始末する〉という、なかなかの非日常なTo DOの失敗⸻春詩の逆鱗に触れるのは確実で、さっきトイレからトークで状況報告した段階で激怒していた。
少なくとも大幅な地位の低下、最悪の場合、放逐や破壊を招くかもしれない。
私が春詩の傘下で唯一の〈偽月石〉であるなら別だろうが、実際には〈代わり〉を務めたがっているものたちというのが京都内外に多くいる、と。
「うーむ、ですが」、
乙彦は言った、
「これまでのお話を聞くに、どうも、春詩氏だけでは何もできなさそうといいますか……、
〈託宣〉というかたち、テイでの、あなたの判断や決定がないことには、八百祓会のもろもろの運営業務を彼が自分でやっていくというのは、ちょっと厳しそうじゃないかなぁと、そういう印象を受けます。
そして、そこに、別の誰かが参入したとしても、果たしてあなたのようにうまく、できるのか……」
「まあ、そこはね、私も自信、自負、そういうのがやっぱり、あって」、
乙彦のフォローで櫻国はいくぶん気を持ち直したようだ、
「やっぱり、嘉永……ってあなたわかるかしらね、ペリーが来た頃ね、私、その頃からもう、泉司本家のお台所やら物置やらにじっとして居てさ。
見聞きしてるわけよ、女たち、男もか、生き様っていうのをね、たくさん。
綺麗なことばっかりじゃない、綺麗なことなんて正直ほとんどありはしない、修羅場だとかいろいろさ。人の心の、あれよ、心の、ほら……」
「あ、機微ですかね」
「そう、それ、機微、それなんか、そんじょそこらの人よりか、よーく知ってる」
「なるほど。それで、ちょっと、〈操る〉的なことも、洗練されて……」
「そそ。でさ、しかも私、ないから、ヒトの良心みたいの、これっぽっちも。
だって、石だしさ、あっは!」
「なるほどねぇ〜」、乙彦もあわせて笑う。
「でも、やばいよ、ほんと、春詩坊ちゃんは。
私は、『心はない』けど、見知っててわかっちゃうわけ、それって今風に言うとさ、AIが学習して『理解』するみたいなものよね。
だから、『かわいそう』とかの手前のところまで、〈波〉が行くときがある。
でも、春詩坊ちゃんは、ないよ、本当に、ぜんっぜん、ないの。
ヒトらしい感情が、まるきり、ない。
なんでなんだろうと思うけど、あれは、ちょっと、いかがなものかと思うね。
確かに、ご両親の振る舞いというのも、きっと何か影響しているかもですし、あとは本人の資質っていうのか、『サイコパス』なんて言葉があるけど、その定義づけじゃぜんぜん生ぬるいって思いますもん、側でずっと、小さい頃からずっと見てきて」
(そして、彼女はいくつかのエピソードを話してくれたが、それらは正直思い出すのもむかむかするおぞましい内容で、具体的にはとてもここに書けない(「ボウガン」「幼児」「示談金」などでせめて想像してほしい)。
もし「そういう精神」の世界大会があるとして、オールタイム各国別代表を選ぶなら、彼は日本代表候補に間違いなく入ってきそうだ(そして英国代表には、『ジョジョの奇妙な冒険』第一部のディオ・ブランドーが入ってきそうだ)。
そういう男が、日本屈指の家柄の元に生まれ、ありあまる資産と人脈を持ち、しかも、土地が生むカネだけに飽き足らず、道楽や愉悦や暇つぶしを兼ねて、各種のえげつないことをビジネスにしてもいる。

乙彦は彼女に、励ましめいた言葉さえも送った。
⸻長い時間、一緒に過ごして、春詩氏とあなたには一種の「同期」のような結びつきだってあるのでは。
⸻おそらく、もう局面が変わってしまって、春詩氏が白馬の首飾りを再び奪うことはできないはずだし、デュラはんへの性的な執着もかなわないだろう。
あきらめるよう説得してくれるなら、ぼくらの側でもそれに報いて、なんらかの方法であなたを利するような返礼を、考えなくもない……。
※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※
櫻国が帰り、ひとりになって乙彦は、ICレコーダーを聞きながら、セッションの文字起こしを試みていた。
これが、仕事の原稿になる見込みは、はっきり言って、ない。
けれど、激しいスポーツの後に、筋肉のダメージを最小限度にとどめるためストレッチが必須であるように、乙彦にはこの「まとめ行為」が自分にとって、必須であるように思えた。
ノートパソコンに向かって、乙彦はタイプする。
「だが、それでも……とても難しいことだが、『それでも、彼は敵ではない』、と言い続ける。
だが、私が彼に直接被害や屈辱を受けたら、その時もそう言えるのか。
あるいは、被害や屈辱を受けた、近親者や恋人だったら。
想像すると、」
そこで、タイプの手が止まる。
恐ろしいことを、妄想してしまう。
かつて、あの鴉の八百万黎分は、泉司春詩の元で、中心的な働きをしていた。
その証言が、先ほどのセッションの中で、櫻国から得られた。
(もし……、
黎分が、実はまだ、泉司側だったら……、
そして、この部屋を出た櫻国と結託して、デュラはんを拉致し、泉司の元へ連れて行っているようなことが、いままさに起こっていたら……?!
音が鳴る。
トークが届いた音。
乙彦は、すばやくトークを起動する。
【黎分:ンーなわけあるかヴォケカスッ! オッさんおめなめてんじゃねーぞゴルァー!】
【TUKI:へえぇ〜おつひこ心配くれる〜 びょういんおわった❤︎】
【黎分:めっちゃ待った 普通に2時間やば 俺らの能力なんざなんも役立たん
腹減ったんでファミレス寄るからきな 俺におごれだよ いいって遠慮すんな】
【TUKI:鍵かけてきてね 鍵はトイレの棚にあるの箱 なんか銅製してるふたりみたいー❤︎】
※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※
外はもうすっかり夜だった。
知らないマンションのエントランスを出て、知らない道を(地図アプリに頼って)烏丸線松ヶ崎の駅へ向かう乙彦が、ふっと立ち止まり、振り返って、マンションの方を見る。
一瞬、ほんの一瞬だけ、白い馬が《見えた》ように思う。
その後もグループでのトークは続き、それで知ったところによると、夕方行った近所の整形外科では追加の検査が難しいらしく、結局市のだいぶ中心の二条駅近く、千本通り沿いにある市の急病外来へ向かったそうだ。
そこはかなりの混雑で、診察までとんでもなく時間がかかった、と。
(や……、それにしても、返信ぐらい、できたでしょうよ……)
とはまあ思うのだけど、そこは強くは言えない。
とりえず無事だったわけで、ああよかったで終わろうか、とおさめる。
烏丸線、東西線と乗って二条駅に着き、案内されたファミレスへ入る。
「おー、ここだ、ここ!」
「ちょっとぉ、やだっ、声、でっかいすぎです」
手を振っている黎分とデュラはんを、乙彦の目がとらえる。

(……ふたりとは数時間前、初めて会ったばかり。なんだけどなぁ。)
もう、かれらが《欠くべからざる仲間》だという意識。
かなり確かに、それは、ある。
そんな自分に気づいて、乙彦は、不思議半分、「いやこれでいいんだ」いう確信半分、そんな心持ちで、立っていた。
(第10話に続く)
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