一神教は不寛容、多神教は寛容?②
前回、「一神教は不寛容で攻撃的、多神教は寛容で平和的」という話は、現在では典型的な俗説(ステレオタイプ)とみなされている、ということを書きました。
それではなぜ、このような俗説が広まったか、ということが気になり、それについても少し調べてみました。
この俗説がなぜここまで広く浸透したのか、その背景には歴史的な文脈、特定の思想家の影響、そして現代社会の心理が複雑に絡み合っています。主な要因は以下のとおりとのことです。
1. 「絶対真理」vs「相対主義」というイメージ
最も大きな要因は、それぞれの教義の構造にあります。
一神教のロジック: 「唯一の神が絶対であり、それ以外は偽り(偶像)である」という構造。これが「自分たち以外を認めない不寛容さ」に直結すると解釈されやすい。
多神教のロジック: 「八百万の神」に代表されるように、新しい神を受け入れる余地がある。これが「多様性を認める寛容さ」と同一視されました。
しかし、歴史を振り返れば、多神教国家であった古代ローマがキリスト教徒を迫害したり、近代の多神教国家が他国を侵略したりする例は枚挙に暇がありません。「教義の形」と「実際の行動」が必ずしも一致しないのですが、理論上の対比として分かりやすすぎたことが、俗説の定着を招きました。
2. 近代以降の知識人の影響
この対比を知識人が広めたことも大きな要因です。
啓蒙主義やニーチェ: ヨーロッパの知識人たちが、キリスト教の抑圧的な側面を批判するために「古代ギリシャ(多神教)は自由で良かった」と理想化した時期がありました。
日本における文脈: 明治以降、西洋(一神教)の強大さに圧倒される中で、「日本には八百万の神の寛容さがある」と唱えることで、精神的な優越感やアイデンティティを保とうとする動きがありました。
3. 歴史の「切り取り」と単純化
歴史上の大きな紛争が、宗教のレッテルを貼って理解されがちであることも影響しています。
十字軍や植民地支配: これらは政治的・経済的動機が強かったのですが、「一神教による異教徒制圧」というストーリーで語られることが多く、攻撃的なイメージを補強しました。
多神教の暴力の忘却: かつて多神教世界で行われていた生贄(いけにえ)の儀式や、神の名を借りた部族間抗争などは、「寛容」というイメージの影に隠れて語られにくくなっています。
4. 現代の「平和主義」への投影
現代人にとって、多神教の「何でもあり」な雰囲気は、現代的なリベラリズムや多様性の尊重(ダイバーシティ)と相性が良く見えます。
一方で、一神教の「厳格な規律」は、個人の自由を制限するものとしてネガティブに映りやすいという、現代の価値観によるバイアスもかかっています。
結論:なぜこの俗説は根強いのか?
結局のところ、この俗説は「複雑な歴史や人間関係を、宗教の種類のせいにすることで単純化して理解したい」という欲求に応えるものだからだそうです。
実際には、一神教の中にも隣人愛を説く極めて寛容な宗派はありますし、多神教が排外的なナショナリズムと結びつくこともあります。「寛容か不寛容か」は、宗教の形式よりも、それを信じる人間や政治状況に依存するというのが現実的な見方と言えるとのことです。
