スピノザとアンチスピノザ
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昨今、日本でみられるスピノザ哲学のブームというのは、喜ばしい反面、なんとも奇妙なものでもある。私自身、スピノザ思想の肯定的な内容ばかりを記事にさせてもらってはいるが、本来スピノザとは、哲学史的にも「異様な」存在だったのである。
スピノザ自身が生きていた17世紀、スピノザは無神論者として罵られ、その思想が危険視されていた。生前は『神学・政治論』は発禁処分、『エチカ』はスピノザ最大の哲学体系があらわされた本であったにも関わらず、『神学・政治論』での世間の反応をみて出版を控え、生前に世に出ることはなかった。
スピノザの死後、友人らによって編まれた『遺稿集(Opera posthuma)』が世にでまわる。同書刊行の直後、スピノザをめぐるさまざまな反応が見られるのだが、代表格は17世紀オランダのデカルト主義神学者、クリストフ・ヴィティヒによる、その名も『アンチ・スピノザ』である。残念ながら邦訳では読めない(参照:『クリストフ・ヴィティヒ『アンチ・スピノザ』を読む』笠松和也)。なお、この『遺稿集』は刊行の翌年には、神を信じない異端の書として焚書が命じられ、所持することも禁じられている。
芸術や文学においては、ゴッホやポー、メルヴィルのように、生前は批判されていても、死後に評価が高まるというケースはあるが、スピノザは死後もしばらくは、批判的・否定的な受容をされてきた。むしろ、腫物扱いであった。18世紀に入っても、その名を口にすることがはばかられるほどであったのだ。
フランス啓蒙思想のモンテスキューもルソーも、イギリス経験論のヒュームもロックもなんらかのスピノザ受容があっただろうということは研究されてきてはいるが、はっきりと公言していたものはいない。ではスピノザはどのようにして読まれていたかというと、地下写本(発禁本を隠れて読むこと)として読まれていたのだ(『フランス近代の反宗教思想 リベルタンと地下写本』岩波書店)。
スピノザの見直しがされるのは、ドイツ観念論の始まりにおいてであるが(第一次スピノザルネッサンス)、それとて、手放しの称賛という受け止め方ではなく、危険視扱いされていたスピノザ思想に対しての接近と反発という摩擦の繰り返しであり、ドイツ思想界でスピノザをめぐる激しい論争が行われるというものであったのだ(ドイツ汎神論論争)。
このようにスピノザは、西洋の哲学史においては「踏み絵」なのであった。松岡正剛氏が言うように、「スピノザについて発言することは、たちまち全ヨーロッパの知との関係を問われるか、さもなくば自分の哲学を問われるということ(松岡正剛)」になるのだ。
ベルクソンは「すべての哲学者が二つの哲学を持つ、スピノザの哲学と自分の哲学を」と表現した。スピノザ研究者の上野修氏は、スピノザ思想は「近現代哲学の形成を貫く「虚軸」のように機能してきた」のだと言う。
スピノザの哲学は「踏み絵」であり、「虚軸」である。これまでのスピノザ受容はそのようなものであった。その様相が変わったのが、フランスにおける第二の「スピノザ・ルネッサンス」である。この新たなスピノザ受容においては、スピノザ哲学の積極的な読み直しにより、スピノザ研究の水準を押し上げ、哲学史におけるスピノザの位置づけの見直し、再評価の気運を一気に高めたのである。
それは現代においても続いているといってもよいかもしれないが、代表的な研究書としては、ジル・ドゥルーズによる『スピノザと表現の問題』、ピエール・マシュレの『ヘーゲルかスピノザか』、アントニオ・ネグリの『野性のアノマリー』が挙げられるだろう。
スピノザにおける生の肯定の哲学、革命的な異形の哲学、存在と力能の哲学という評価、印象は、ドゥルーズやネグリが作ったといってもよいのではないだろうか。そしてそこから、スピノザ思想の絶対的な肯定、手放しの称賛というような状況がとりわけフランスを中心に起きているように見える。
このような状況を、「スピノザを愛せないなんて?」という空気が醸成されているみたいだと、少し皮肉めいた形で指摘していたのは、スラヴォイ・ジジェクである。
ドゥルーズはスピノザへの無条件の崇拝という点にあって他の追随を許さない。フランスからアメリカに到るまで、今日のアカデミアにおける不文律の一つにスピノザへの愛という指令がある。アルチュセール的な「科学的唯物論」からドゥルーズ的なスキゾ的無政府主義者に到るまで、宗教への合理主義批判から自由と寛容というリベラルな党派性に到るまで、また『エチカ』における知識の神秘的な第三の型を女性的な直観的知識(男性の分析的理論を越え出る知識)として解読することを提唱するジュヌヴィエーヴ・ロイドのようなフェミニストは言うに及ばず、誰もがスピノザを愛している。こういう状態では、スピノザを愛さないことなどできる話だろうか?
ただ、一方で上野修氏なんかは、この第二のスピノザ・ルネッサンス期においても、やはりスピノザを口にすることは憚れる感じがあって、その名を口にすることは、禁を犯すかのようにスピノザにコミットすることを表明することなんだという趣旨のことを言っている。たとえばアルチュセールは「実はわれわれはスピノザ主義者だったんだ」と犯罪を告白するように打ち明けるのである。(『スピノザというトラウマ』思想2014年4月号)
現代の日本の一般のマーケットでのスピノザブームは、アカデミアにおける潮流のうち、手放しに称賛される部分のみがフューチャーされ、もてはやされているようにみえる。だが、スピノザの「光」の部分ばかりを見て、その深淵をのぞきこまなければ、スピノザ思想の核心は掴めない(と私は思う)。
その深淵をのぞきこむには、もちろん覚悟が必要なのだが、光だけをすくい取り、スピノザだスピノザだと称賛するということは、スピノザを袋叩きにしていた17世紀の時代の受け止め方と、じつは変わらないのではないかとさえ私には思えてしまう。
スピノザ思想とは、やはりアンビバレントな側面を持っているものだ。『エチカ』第五部の神の直観的認識、永遠なるものへの認識は、生の喜び、生の肯定という形で読まれるという傾向が強いが、上野修氏はそのことに異を唱えている。『エチカ』第五部は、生の哲学ではなく、神の属性における永遠なのだから、生きているも死んでいるもない。われわれは永遠この方モノである。スピノザにとっての救いとはそういうことだと上野氏は一貫してアンチヒューマニズムの考えをとっている(『批評空間』2000Ⅱ−25)。
スピノザ哲学は、アカデミアや世間で受け止められているような「生の肯定」というヒューマニズム的なものではないよと上野氏は疑義を呈しているわけである。むろん、この『エチカ』第五部については、さまざまな研究者がさまざまな解釈を与えている。だが、手放しの称賛、無条件の肯定というものは、無条件の否定や排除と同様に、強烈な「抑圧」となる可能性をもってしまう。
かつては、「お前はスピノザなんか読んでいるのか?」「スピノザを否定せよ」が同調圧力だったのに対し、現代の空気のままいくと、「お前はスピノザを読んでいないのか?」「スピノザを肯定せよ」が同調圧力になりかねない。
スピノザのアンビバレントな側面を見ること、それとあわせて、スピノザに対して批判的なアンチ・スピノザの議論を知っておく必要がある。そこにこそ、じつは重要な哲学史的な問題が潜んでいたりするわけで、それらも含めてスピノザ哲学を系譜学的に学ぶことだと私自身は考えている。
そのアンチ・スピノザの代表格が、ライプニッツであり、カントであり、ハイデッガーであり、レヴィナスといった思想家たちである。ヘーゲルも付け加えてもよいと思うのだが、ヘーゲル自身はもともと、「スピノザは近代哲学の原点である。スピノザ主義か、いかなる哲学でもないか、そのどちらかだ」と言っていたくらいのスピノザ主義者ではあったが、スピノザにおける「実体」を「主体」と理解することで、自らの思弁哲学を築いていった。
ライプニッツとカントについては、これまで何度か記事にしているので、ここでは省略するが、ライプニッツにとってのスピノザ哲学は、人類の危機というくらいの大問題であったのだし、カントもまた『純粋理性批判』『実践理性批判』においてスピノザを仮想的として批判の対象としている。
ハイデッガーに関しては、アンチ・スピノザというよりは、スピノザに対しては徹底して沈黙を貫いていたということで、その事自体が不穏である。哲学史に精通しているハイデッガーである。なぜ、スピノザに対してそこまで冷淡であったのか。このあたりは、「ハイデッガーによるスピノザの締め出し」(デリダ、ナンシー)という形で問題が提起されている。
レヴィナスは反スピノザの立場を鮮明にしており、かつて「スピノザの裏切り」を非難した(『困難な自由』)。「裏切り」という強烈な言葉の背景には以下のような、スピノザがユダヤ人でありながらユダヤ教を破門されていたという問題が、現代においてもユダヤ人に対して影響を残していることを示している。
新生イスラエル共和国では、初代首相のベン・グリオンを中心として、スピノザの破門を解こうとする世界的規模の運動が展開された。その時の熱狂的な雰囲気について、近々私は、エルサレム・ヘブライ大学の名誉教授ポール=メンデス・フロール氏から直に話を聞くことができたが、その際、スピノザがユダヤ人に対して赦し得ない「裏切り」を犯したとして復権に反対した人物の一人が、ほかでもないレヴィナスだった。
アンチ・スピノザの議論において、やはり批判の対照とされる概念とは、大雑把に言えば、スピノザには「主体」がないということ、世界が必然性によってのみ成立しているため「自由意志」がないこと(※自由ではないことに注意。スピノザは自由は認めていた)、自由意志がないゆえに「責任」が問えないこと、善悪といった道徳的な問題が問えないこと、神が自然とイコールなので、原罪や魂のような宗教的・神学的な問題が問えないこと、などが挙げられると思う。
ライプニッツもカントもある程度のところまではスピノザを受容する。なんならライプニッツにおいては、最初は衝撃をもって受け入れるのだが、スピノザの深淵を覗き込んだのちには、そこから引き返すのである。偶然性や可能世界を導入することで、神の意志による選択や、潜在性において世界に奥行きを与えるということで人間の自由を確保するといったように。
スピノザ哲学、とりわけ『エチカ』においては、神から始まり神の認識で終わる。それらが幾何学的様式による論証という形をとっているため、そこですべてが、システムとして完結しているのだ。つまり、数学における証明が普遍的なものであるように、神もまた証明できるものである。この神とはこの自然であり、われわれはその自然の法則に従った、自然の中から出てくる様態としてあるのみであり、その自然という必然的なシステムの中で神を認識すること=愛することが、人間の幸福である。そしてこれこそが真理である。真理があるならば、世界はこのようなものでなければならない、以上終わり。
プログラミングだけすれば(定義や公理)、あとは勝手に結果(定理)まで導かれるみたいな感じである。そんな感じなものだから、彼の思想は他者との対話、議論の拡がり、発展性などを持たずに終えてしまう可能性があるのだ。弁証法のヘーゲルはそこが大いに不満で、スピノザ哲学には動きがないと非難し「実体」を主体化することで発展変化する運動を作った。(ドゥルーズはスピノザのテクストを徹底的に読み込むことで、「表現」という概念の重要性に着目し、存在論的でも認識論的でもあるスピノザ思想の力動的なものを見ていたわけだが、、、)。
要は、スピノザを受け入れ、スピノザを肯定するだけでは、自身の哲学というものが築けないのではないか。前に進まないのである。そんな感じがする。だからこそ、ベルクソンは、「すべての哲学者が二つの哲学を持つ、スピノザの哲学と自分の哲学を」と述べたのではないか?
仮にスピノザの影響を受けたとしても、それでも自分の哲学を構築し、前に進むためには、それを否定するか、抑圧するか、排除するか、無視をするか、そのような差異化においてしかなかったのではないか?
厄介なのは、影響自体を隠蔽し、批判の方にまわり、自分の哲学でマウントするということである(笑)。
後世に巨大な影響を残した者たちは、同時に、彼以前の状況を覆い隠してしまう。ヴォルフはライプニッツに残された〈スピノザの傷痕〉を隠蔽した。しかしカントは、ヤコービとともに、ライプニッツ、ヴォルフ、メンデルスゾーンと続くスピノザ受容の線を隠蔽し、自身も隠れながら(あるいはカントもまた〈スピノザの傷痕〉を受けたのか?)、彼自身がフィルターとなって、次世代のスピノザ受容を規定している。フィヒテの場合も、そうしたポスト・カントのスピノザ受容の一例と見なせるだろう。
あるいは、日本の哲学者の永井均氏が言うように、スピノザがやってきたことは、じつは哲学ではないんじゃないか、という見方もありうる。
スピノザは明らかにあまり哲学的ではなかったと思います。いわゆる「大陸合理論」の他の二人、デカルトとライプニッツに比べると、断絶といえるほどの差異を感じます。
断絶は哲学的関心そのもの(「そのもの」に傍点)が出発点になっているか否かにあるような気がします。そもそもやっていることの種類そのものが違う(のにスピノザ自身はそのことに気づいていない)という可能性があると思います。
永井均氏の指摘は、確かにその通りだと思わせるものがある。スピノザは、自身がやっていることを哲学とは認識していたが、「哲学的」なものとは程遠かった可能性はあり、スピノザ自身もそのことに無自覚だったのかもしれない。スピノザ哲学が、哲学史的な並びの中で、どうもしっくりこない位置付けなのは、哲学的ではない「異様さ」にあるのだろう。
ハイデッガーのスピノザの無視もこのあたりにありそうな気がしてならない。スピノザは、教科書的な哲学史の流れの中にうまくおさまってくれないのだ。スピノザのやっていることは哲学ではない、だから関心の対象としていなかったのではないか。そんなことも考えられる。
永井均氏自身は、この宇宙にただひとつだけ特殊な形で存在する独在的な「この私」という問題にこだわり、それこそが永井均の「哲学的」営みとなっている。対してスピノザには「この私」の問題はない。なんなら、人間という個物は神の無数の様態でしかなく、無限の反復なのだから、「私」というヒューマニズム的な問題が出てくる余地がないのだ。
しかし、永井均氏の「この私」も、いわゆるヒューマニズム的なものとは無関係だと思われ、じつはアプローチの方法は違えど、スピノザが示した神=自然(現実)と近接しているのではないか、という直感があるのだが、それについてはおいおい考えたい。
ともあれ、スピノザとアンチスピノザ、あるいは「この世界」と「この私」について、この問題を考えること自体が、今の私の関心事である。これもスピノザの光の部分のみだけを見ていたら、出てこなかった関心であろう。
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