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スピノザの国家論は何が異質なのか

「国家論」という邦題ではあるが、直訳は「政治論」という名で知られる著作である。

スピノザ晩年の作で未完であるが、のちにアルチュセールやアントニオネグリらにも影響を与え、今日でも先端の政治理論としても耐えうる圧巻の思想がここにある。

歴史上における国家のあり方、政治システムについて、①君主制②貴族制(代表議員制)③民主制の順で、人間をただ「笑わず、嘆かず、呪わず、理解する」(『政治論』 1 章 4 節)ために幾何学的に考察されていく。

③の民主制が書かれないまま未完において終わってしまっている点が惜しむべきとこではあるが、後世の研究者、哲学者らが欠落したスピノザの民主制への考え方の可能性にさまざまな想像力を働かせているのである。

スピノザは、ここで何がよい統治形態なのかの優劣はつけない。君主制であれ、貴族制であれ、それが最適な政治システムとしてありうる理想の考え方をスピノザは展開する。

国家形態の理論付けという点で、すぐに思い出されるのはホッブズの「リヴァイアサン」であろう。

人間はたえずお互いがお互いにとっての敵である自然状態にある。人間がこのような他者からの恐怖を回避し「社会状態」としての生活を享受するには、各々が持つとされる自然権を譲渡しなければならない。その譲渡先こそが、あらゆる人間をおさえつけることができる国家であり、リヴァイアサンなのである。大ざっぱではあるが、これが有名なホッブズの社会契約説である。

スピノザの場合はどうか。スピノザはホッブズの自然権に対する考え方を批判する。スピノザにおける自然権とは、個体が持つ存在、力そのものである。ゆえに自然権は全ては譲渡できない。魚に泳ぐなと命じても泳ぐことはやめられないように。スピノザにおける社会契約は、自然権の譲渡からの法との契約ではなく、その延長で自然権のさらなる増幅なのだ。そしてこれは人が多ければ多いほどよい。その力が社会であり、そこから人の自由を守るための国家ができあがる。

スピノザにおいて自然権は「主権」として他者と対立するものてはなく、他者と協調しつつ自己の存在を維持するというものであり、このロジックをそのまま国家の成立にもあてはめる。すなわち国家同士もまた、対立するのではなく、同盟を結ぶことにより理性に導かれる。


スピノザが描く同盟国家は自然状態における同盟であるとはいえ、諸国家を部分として有機的に結合した全体として考えることができる。同盟は他国を規制するものではなく、むしろ自由の強度を高める。しかし、その国家に背反すれば、自己に大きな損害をもたらすことになるであろう、<法的規制力を持った>統一国家の意である。

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