予感①
四月は憂鬱だ。
暖かな春のイメージとは裏腹にまだ肌寒いし、
新学期だからと切りに行かされた髪型での顔は、
居心地が悪いし。
何よりもクラス替えがある。
1年間を通してどうにか慣れてきたところで、
振り出しに戻らされイチからやり直さなければならないほど苦痛なことはない。大人たちはずっと同じ人たちと働いているというのに、なぜ子どもだけは毎年のように新規メンバーとスタートしなければならないのだ。子どもの方が柔軟性があるとでも思っているのだろうか。
そんな柔軟な心をもっていたら、こんなにいじめやトラブルが起きるはずがないじゃないか。
そう、ご多分に漏れず、わたしたちの学年も問題は起きていた。
いや、起きていたなんてもんじゃない。
学級崩壊という言葉がニュースでよく耳にするようになっていたけど、わたしたちの場合は学年崩壊していた。
いじめやケンカなんて日常茶飯事で、先生のお説教が始まって授業なんかしょっちゅうつぶれていた。
宿泊学習なんて、楽しい思い出を作るどころか、あちこちで発生するトラブルと先生たちの怒鳴り声で作られた。
下級生のお手本に、と言われていたのは
あんなふうにはなりたくないという意味でのもので、
なにしろ校庭で遊ぶとなれば、
楽しく遊んでいる低学年の子たちを追い出すし、
一緒にドッジボールやるとなれば年下の子たちにぶけつて笑っているような連中のいる学年だった。
もちろんまじめな子たちもいたけれど、
まじめにやっていても馬鹿を見るばかりでいいことなんかないので、何事もなければそれでいいというほど存在感を消していた。
先生たちのお説教も、どんなに怖い顔して言われても、
毎年のように担任が変わるってことは、
実は先生たちもわたしたちの学年を担任したくないというのが見え見えで、誰も本気でわたしたちのことなんか考えていないというのが子ども心に何となく感じられ、先生もふくめて大人に対してはハイハイということを聞くふりをする、
それがわたしたちの学年だった。
そんなことだから小学校最後の1年を前にして、
わたしが憂うつになるのは当然のことだった。
